第505話 専用紙
ロッコとの会談が終わり、僕はトボトボと建物を出た。
と、近くで様子を窺っていたグェンとグロリアが駆け寄ってくる。
「どうでした?」
表情から察してかそれほど期待もしていなさそうな口調でグェンが聞く。
「それより、それはなんですか?」
グロリアは僕が抱えている一抱えの木箱を指して言った。
「ええとね、もう全然ダメだって。今からあれを元手に戦争するからって。で、これはお土産にって一箱だけくれたよ」
せっかくだからとロッコから渡された小麦の箱を地面に置いて、腰を伸ばす。
しかし、そういうこともあるだろう。
必ず狙いどおり商品が仕入れられる、売り切れるなら商人が破産する事は無い。
ダメなら次に行かなければいけない。
「とりあえず来た道を戻ろうか。グェン、皆を集めてよ」
戦争が始まるなら引き起こされる最大の問題は混沌である。
そうブラントが言っていたのを思い出す。
文字通り何が起こるのかわからない状況が地上に展開し、そこにいる者は否応もなく巻き込まれて行くのだ。
となれば最も大事なのはすぐにその場を離れ、距離を取ることだろう。
ちょっと離れて様子を見つつ、戦火が近づいてきたら山脈を越えて東方領へ逃げ帰ればいい。知らぬ道を進むより来た道の方が知識もあって判断しやすい。
しかし、グロリアは複雑な表情を浮かべて自らの顎に手を当てていた。
それも無理からぬ事で、今からメッシャール人たちが蹂躙するのは彼女の故郷なのだから愉快な筈はない。
しかし、その口から零れた言葉は小さく予想外のものだった。
「撤収前に、この基地の総兵力を探っていく必要があります。グェンさん、お願い出来ますか?」
急に名指しされ、グェンは戸惑った表情を僕に向ける。
いったい、彼女は急に何を言い出すのか。
「ここからなら西に二日進んだところに大きな川が南北に流れています。それを越えましょう」
小声で鋭い表情を浮かべ、グロリアは周囲を窺っている。
「あの、グロリア。悪いけど僕は戦わないよ」
彼女がどうするかは自由だが、僕らがそれに付き合う義務もない。
「いえ、お二人ともこちらへ」
ロッコの居館前から僕とグェンは引っ張られて人気の無い路地裏に押し込まれた。
そうして彼女は服の中から丸められた棒状のものを取り出す。
「残念ながら、あなたにはその義務があるのです。これを」
嫌な予感にまみれながら受け取ると、それは丸めた羊皮紙だった。
広げると文章が書いてあり、角には紋章が刻み込まれている。
領主ロバートの署名と東方領主勅命用紙。いずれか一方でも偽造すれば問答無用で死刑となる代物だ。
『北方領が他国勢力により侵略を受けている場合、以下の者を臨時指揮官として防衛隊の運用を命ずる。また、北方領内にあっては防衛に必要最低限に限り接収権及び徴兵権を東方領主名により保証する。なお、本命令の発令時期に関してはグロリアに一任するものとする』
最下段には大きく、僕の名前が刻まれていた。
僕とグェンは一読して顔を見合わせる。
「今この瞬間、本命令が発令したことを宣言します。東方領主様の代理として、あなたを北方蛮族メッシャール軍より北方領を守る守備隊長に任じます」
こんななにもない路地裏の任命式もあったものであるが、流石にそれをすんなりと受け入れる訳にはいかない。
なんせ、僕たちは戦う為にここへ来たのではないのだ。
当然、隊商の構成員にだって戦争をする為の覚悟などどこにもないだろう。
この駐屯地に陣取る数千名のメッシャール人兵士だけでも話しにならないのに、彼らが全体でどれほどの数に上るのか想像もできない。
「出来ないことは従えないよ。僕たちはメッシャール人に遭遇しなかったしこの命令書も、出さなかったことにしない?」
しかし、グロリアは首を振って拒否した。
「私たちが到達した時点でメッシャール人が侵攻に満足していればこの命令を出すつもりはありませんでしたが、まだ進軍するというのであれば命令の撤回は有り得ません。それにあの御方は出来ないことを人に課したりしません。ということはアナタなら出来ると評価しているのでしょう。私もあの方の判断を信じます」
ロバートのどこに信頼に足るところがあるというのか。僕は彼女の盲信に頭を掻いた。
どうりで僕の案内依頼をすんなり受諾したと思えばそういう裏があったのである。もしかすると、グロリアが案内人を引き受けたことを聞きつけて細工を行ったのかもしれない。
「いずれにせよ、ここで話す話題じゃないですよ。皆のところへ戻りましょう」
グェンが周囲をはばかりながら囁いた。
それはその通りだ。
元々はそれなりに大きな規模だったのだろう町の街路を歩いていると、ところどころに血の跡があった。
広場には無数の死体が積み上げられ、おそらく簡易な奴隷売買のようなものに兵士たちが興じていた。
ブラントに言わせれば死体は病気をまき散らす原因になるので、直ぐにその場を移動するのでなければ穴を掘って埋めるのがいいと言っていた。
しかしメッシャール人の兵士たちはあまり気にしないのか、死体を椅子代わりに腰掛けて雑談していたりする。
「惨いことを……」
グロリアは眉をひそめて呟くのだけど、戦争というのはそういうものなのではないのだろうか。
僕だって、たぶんグロリアだって大勢殺してその場に打ち捨ててきた。
それに、軍隊が残虐さをむしろ派手に喧伝する行為は敵を逃げさせて戦いを避けたり、怖じ気付かせて戦闘を有利にすると聞いたことがある。
そうであればこういった行為も利に適ったものなのではないか。
ただし、あくまでもそれは侵略する側の思考であって、もちろん踏みにじられ、奪われる側にとってはたまったものじゃ無いだろう。
そうか。
不意にロバートの思考が見えてきた。
ひょっとして、あの男はこの機に過剰な難民を北方に送り返すつもりではあるまいか。
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