第504話 実用品
蛮族たちを取り囲んだ一団が先頭につき、僕たちはダラダラと出発した。
僕は後尾付近の荷車に乗ろうとしたのだけれど、一番後ろでガルダ商会の荷車にアスロが飛び乗ったので、僕も同じ荷台に乗り込んだ。
アスロは僕の方をチラリと見たものの、黙ったまま木箱に背中を預けて座り込む。
見れば唇は少し裂けているし、腫れ始めた頬と左瞼が赤染まっていた。
上手く直撃を避けていたとはいっても、耐えられる、倒れるほどではないというだけで全くの無傷というわけではないらしい。
荷車が進み始め、ゴトゴトと車輪が音を立てる。
「ええと、アスロ君」
「アスロでいいよ、アナンシ会長さん。皆、そう呼んでいるから」
どこを見ているのかわからない視線がぼんやりと床に向けられている。
ほとんど覇気が感じられないこの男が、しかし内面に強烈な実力を忍ばせているのは先ほど見たとおりだ。
「ビックリするほど強いんだね」
僕は素直に言った。
迷宮に立ち入る冒険者は戦闘を重ねる毎に強化され、超人的な戦闘能力を獲得していく。
その迷宮冒険者あがりのグロリアが話にもならなかったのだ。
時々、そんな怪物が迷宮都市にも紛れこむ。
ノラだったり、カルコーマだったり、東洋坊主だったり。あるいはアンドリューも地上にいながら魔法を極めようとした異形だった。
程度の差はそれこそ個人次第だが、迷宮に入らずとも圧倒的に強い者はいるのだ。アスロもそんな外れ者の一人であろう。
互いに栄養が足りない幼なじみとの喧嘩にも負けていた僕なんかでは計り知れない鍛錬を積んできたのかもしれない。
しかし、アスロは嬉しくもなさそうにフイと横を向いた。
「別に。ただ殴り合いが身近な場所にいただけだよ」
「さっきハメッドさんが言ってたけど、軍隊出身なんだって?」
僕が知っている軍隊といえばブラントが連れて行ってしまった兵士の集まりか、新西方領で陣取っていた部隊とロバートが組織した難民集団くらいしか知らない。
それでも一応、ブラントから教育を受けているので他国の軍隊となると僅かながら興味があった。
「うん。一応、国軍と領軍の両方に軍籍があるよ。というか、まだ軍籍は抹消されていないから現役軍人かな」
アスロはそれきり、目をつむってしまったので僕も話しかけず、沈黙の中で荷馬車は進んだ。
※
一行は丘を越えてメッシャール軍の駐屯地に到達すると、ユゴールと同行するメッシャール軍の尖兵たちが上手く話をつけたのだろう。
行進はすぐに再開され、車列はゆるゆると進み出した。
「アスロは前の方に行かなくていいの?」
いつの間にか目を開けていたアスロに気づき、問いかけた。
ユゴールたちの話を統合すれば、彼らはアスロの主家に従ってここまで来たらしい。それならば、ボージャ家の代理人として交渉事には率先して出ていくのが普通なのではなかろうか。
「俺が出てった方がいいときは、ユゴールさんが事前に知らせに来るんだ。それ以外は、暴れる時くらいしか出番がないよ」
やや自虐的な表情でアスロは頭を掻いた。
「アスロはその、貴族家の用心棒なの?」
ある面で、軍人とは国家や領主の用心棒であるともいえる。
しかし、そういったものとはまた別の個人的な役割についての質問をした。
アスロは視線を空に向けると首をかしげて難しい顔をする。
「用心棒って言うか、仕えている家の息子の護衛役……遊び相手、個人秘書、雑用?」
どうも一言では表せない複雑な立ち位置らしい。
確かに、貴族家を代表して遠くまでやってくる代理人がただの用心棒であるわけがない。
少なくとも主人から強力な信頼を得て、本人にも篤い忠誠心が求められるだろう。アスロは若手ながら相当な評価を得ているものと思われる。
「まあ、でも俺はそんなに頭がいいわけじゃないからさ。戦って勝ち負けを決めるだけなら得意なんだけど、世の中はどうもそんなに単純じゃないみたいだし今回はユゴールさんの言うとおりに動くよ。ボージャ家とユゴールさんは付き合いも深いから、ご当主様からもユゴールさんの指示に従う様に言われているんだ」
アスロはそう言うと、荷箱から砂糖漬けの瓶を取り出し、中の果実を美味そうにむさぼるのだった
※
大規模な駐留基地に到着すると、司令官に話があるというユゴールやアスロたちと別れ、僕はメッシャール軍の補給官と呼ばれる人に面会をした。
ロッコと名乗る大柄で厳めしい髭を蓄えた赤毛の男はどう見ても在庫管理よりも山賊の頭領でも務めている方が似合っているのだが、事実として実務は複数の副官がこなしているらしかった。
「それで、なんだ。ガルダと言ったか?」
しわがれた低い声が腹に響く。
「ああ、いえ。アナンシです。閣下。ガルダというのは商会を立ち上げた人物の名前でして」
おそらく何らかの集会場を接収したと思われる建物で僕とロッコは対談を始めた。
周囲では大勢のメッシャール人たちが品物の出し入れをしているが、ロッコは喧噪を気にしないらしい。
木製の机を挟んで僕と向き合う大男は無骨な指で卓上の果物を取ってシャクリと囓った。
「まあ、なんでもいいやな。それで?」
ロッコの眼球がギョロリと剥かれてこちらへ向く。
本来であれば配下の商人やグェンなどと臨みたかった会見はしかし、責任者以外の立ち入りを断られて僕はただ一人、メッシャール人の中でロッコと向かい合っている。
「僕たちはずっと南から食料を買い付けに来ました。この辺りには大規模な穀物倉庫があったと聞いていますが、目当てはその中身ですね」
臆していても仕方が無いし、目の前の怪人が冗長を好むようにも見えないので、僕は単刀直入に切り出してみた。
「ふむ」
ロッコはため息とも判別しがたい鼻息を吐いて働いている部下に視線をやった。
一抱えほどの木箱で運ばれているのはどうやら小麦粉らしい。
「あれは俺たちのだ。そうして、これから戦うのに必要なものだ。残念ながら、オマエらに売ってやる分はないな」
特段の感情も感じ取れない口調で、しかし力強くロッコは言い切るのだった。
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