第503話 お説教

 次の対戦相手を押しのけたグロリアに、アスロはたじろぐ。


「よろしくお願いします」


 にこやかに言うグロリアは女性にしては大柄だが、ルガムなどとは比べるべくもない一般的な範疇の体格である。

 つまり、殴り合いに向いているようにはまったく見えない。


「じゃあ、行きますよ!」


 アスロが困惑しているうちにグロリアはつっかけた。

 しかし、遅い。

 バタバタとした足取りで距離を詰め、人を殴ったことなど無いかのような右拳がアスロの顔に向かって突き出される。

 それをかわしながらアスロは困った様な視線をハメッドに向けた。


「チッ、馬鹿が!」


 僕の横でハメッドが苛立たしげに吐き捨てた。

 突然の乱入、細身の女性、笑顔、不慣れな足運び、わざと避けやすく伸ばされた腕。

 全てが弱者を装う手段である事を、アスロは右腕で遮られた向こうのグロリアの左腕によって思い知っただろう。

 次の瞬間には、アスロの腹にはくぐもった音を立てて拳が突き刺さっていた。

 

「相手に合わせてやろうとするから、見誤ってあんな目に遭うねん」


 アスロの顔が苦痛に歪むが、その顔にも拳が飛び上体が大きく仰け反る。

 グロリアの指は押し下げられるとアスロの襟を捉え、力任せに引っ張った。

 勢いよく近づく顔面にグロリアの額が打ち込まれると、膝が飛び上がって股間を蹴り上げた。

 側頭部への肘打ち、再度腹への拳撃に続いて切れ目のない連打が降り注いだ。

 そこで僕はようやく思い出す。どこかで見た動きだと思えば小雨の体術に似ているのだ。

 すっかり忘れていたが、彼女と小雨は兄弟弟子だった。

 いつだったか、ああいう連打を打ち込まれて小雨に殺されかけた記憶がよみがえってきて背筋に鳥肌が湧く。

 

「なかなかやるが、最初の一発だけやったな」


 荷車に寄り掛かり、ハメッドがつまらなそうに呟いた。

 眼前では岩も砕けよとばかりの攻撃が繰り返されており、なんのことかわからなかった。


「……あ、あのボケはひょっとしてわざと負ける気か!」


 言い捨てるとハメッドは中央で戦う二人の元へとズンズンと進んでいく。

 

「待て、姉ちゃん。自分で気づいているやろ。ぜんぜん効いてないぞ」


 ハメッドの言葉に動きを止めたグロリアは荒い息を吐きながら距離を取った。その顔には苦々しい笑みが浮かんでいる。


「どうやらその様ですね」


 一方のアスロは鼻血や打撃の赤みを顔に残しているものの、呼吸も乱れず当たり前に立っていた。

 ただ、ハメッドが出てきて気まずいのか頭を掻いて視線を逸らしている。


「全部こっそり綺麗に受けて、微妙に動いて威力を殺して、ダメージも無いくせにいいくらいのとこで倒れてマイッタするつもりやったな?」


 しかし、アスロはゴニョゴニョとして鼻血を拭っていた。

 その頭にハメッドの拳骨が打ち落とされ、派手な音を立てる。


「いつも言うてるやろ。そんなんじゃいつかやってかます日が来るて!」


 この一撃は効いたらしく、アスロは頭を押さえてうずくまった。


「いや、だってこの人を殴る理由がないし、女の人だよ!」


 ハメッドは大きなため息を吐くと、手のひらで顔を押さえて天を仰ぐ。


「ワガから殴り合いの場に出てきたモンに性別が関係あんのかい。女やったらなんやねん!」


「いや、女性は守るべき存在だってユーリが……」


「ボージャ家のボンクラ坊ちゃんがそう言うたんかい。ほな、これが武器を使うての殺し合いでもオドレは刺されて死んでやるねんな」


「そういう訳じゃないけど」


「ええか、アスロ。この姉ちゃんは自分が女やから手加減してもらえる。勝ちを譲ってもらえる。そんな甘いこと考えてオマエに挑んだんやないやろ。事実として、そこらの腕自慢よりよほど腕が立つし、その腕前に自負を持っとるから出てきてんねん。さっきまでオマエのナメ腐った拳闘をワシが黙って見てたのも、オマエが勝つからやないか」


 先ほどまで盛り上がっていたジプシーたちも、いつの間にか水を打ったように静まりかえっていて、辺りにはアスロに詰め寄るハメッドの声だけが響いていた。


「手を抜いて勝つのはいいわ。それは勝者の自由や。全力を出して負けるのもいい。そういうこともあるやろ。しかしな、こういう場面で手を抜いて負けるのだけは許さん。わかったらゆっくりと三度頷け。嫌やったら首を振れよ。このままワシが相手したるわ」


 アスロは言われるまま、三度頷いて見せた。

 その頭をハメッドは軽く叩き、クルリと振り返る。


「水を差してすまんかったのう。姉ちゃんが続けたいって言うんやったら詫びとしてアスロの骨を二、三本折ってから続けさせるから堪忍してくれや」


 その言葉にアスロはギョッとしていたが、しかしグロリアが首を振って申し出を断った。


「いえ、実力の違いは既にはっきりしました。我が拳足はそこらの刃物に劣らぬ威力があると自負していましたが、どうやら自惚れだったようですね。彼の本気さえも引き出せなかった身の程を恥じて、今後の鍛錬の糧とします。ありがとうございました」


 ハメッドは肩をすくめて周囲を見回す。

 もはや先ほどまでの熱気はどこへか消え失せてしまっていた。


「アスロの反則負けでええわい。姉ちゃん、約束の酒は後で届けるわ」


 ハメッドはそのままユゴールの方へ歩いて行ってしまい、一方的に勝者に据えられたグロリアは納得の行かない表情で取り残されるのだった。

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