第502話 異文化交差

 アスロの拳闘は全く危なげない、安全策の積み重ねのような形をしていた。

 目がいい。勘がいい。鼻が利くとでもいうのか、相手が腕を伸ばそうとする前には小技で崩し、崩れたところに腕を伸ばす。

 左拳が相手の腹に突き刺さり、今また一人が倒れた。

 これで半分の十名を打ち倒した事になる。

 怪物的な膂力や人並み外れた速度を見せるわけでもなく、ただ対人戦を熟知した者特有の無駄なく美しくすらある動きでありながら、どこか投げやりで雑な印象を受けるのは本人の表情ゆえだろう。

 完璧な予測と行動計画、それを実行する身体能力があるのなら痛みを伴う殴り合いだってただの単純作業になるのかもしれない。

 と、背後で舌打ちが聞こえた。


「相っ変わらずつまらん戦い方をするやっちゃのう」


 振り向くまでもなく、ハメッドだった。


「いや、なかなか……手加減の具合もしっかりしているし、悪くはないと思いますよ」


 僕は素直に評価を下す。

 アスロの攻撃は後に引かないよう、肉の分厚い部分を限定して加えられている。

 相手だって兵士なのだから荒事には慣れているのだろうに、それを欠片も感じさせないのは殴り合いの技術が相当に高度だからだろう。

 どうりで、冒険者上がりの用心棒も転ばされるはずだ。

 それがそのまま戦闘力の比になるわけでもないし、大型の魔獣を倒せるとも思えないけれど地上にいる限りアスロに殴り勝てる者というのはそういないのではないだろうか。


「ほな会長さん、アンタんとこの用心棒ならどないだ。アイツに殴り合いで勝てるか?」


 言われて想定すると、例えばグェンであればどうだろう。

 仮にも元は達人級の冒険者だ。巨大な魔物や悪魔とだって真正面から渡り合う身体能力を持っているのだから、勝負が素手だとしてもグェンが勝つのではないだろうか。


「ほら、それがあかんねん」


 僕の逡巡をハメッドはいきなり否定した。


「勝てるて思わせてる様じゃ二流や。見せるときには徹底して見せつけとかんと、舐められるやろ。アイツのやり方はその典型やねん。なんや、軍人あがりか知らんけど『無駄なく、必要な力を必要なだけ』がアイツのポリシーらしいわ。喧嘩が嫌いな、ただの怠け者やろ」


 ハメッドが憤慨する間もアスロは戦い続け、ついには最後の一人も感慨無く打ち倒してしまった。

 

「アスロ、カッコイイ! 愛してる!」


 ルドミラという少女が口に両手を添えてアスロの勝利を称えるが、他のジプシーたちの視線はそっちに向いていなかった。

 視線の先にはアスロに倒されて項垂れる北方蛮族たちがいる。その一人をリリーと呼ばれるジプシーの女が叩いた。


「ほら、二周目や。骨も折れてへんし、脳しんとうも起こしてないただの打撲や。まだやれるやろ。行ってこい」


 アスロに圧倒された蛮族たちは信じられないとう表情を浮かべたものの、勢いに押されて立ち上がる。

 アスロの方も不満な表情を浮かべたものの、ため息を吐いて次戦に備えた。


「おいアスロ、青アザもちゃんと見えるところに作ってやらんと!」


 ジプシーの中からヤジが飛び、笑いが沸く。

 

「ほら、あのボケどももノコノコと立ち上がりおるやろ。ワシがやってたら二周目どころか一回目の三人目くらいで残りの連中に勘弁してくれと泣かせてるわ」

 

 ハメッドの憤慨に僕は首をかしげる。

 

「でも、これからあの人たちに道案内をさせるんでしょ。大ケガさせちゃうとマズいんじゃないですか?」


「三人クシャクシャにしたっても残りは無傷やがな。どつかれてない分、我が身かわいさで場に立たんかった奴らなら脅すのもたやすい。後の事を考えたらアイツの暴力は全然『必要量』に足りてへんのんじゃ」


 アスロの暴力はどこかサラリと乾いており、確かにそういった面もあるだろう。

 しかし、それこそアスロとハメッドの価値観の違いでしかないのかもしれない。

 その間もアスロは蛮族との戦いを続けていた。

 先ほどまでと違い、今度は躊躇無く顔面を叩いている。しかし、それでも手加減は絶妙なようで、歯も骨も折らず殴りつけるというよりも拳を軽く差し出しているように見えた。


「せや、会長さん。アスロが何回抜くか賭けようか。あのケガ具合なら向こうももう一周くらいはするで。ワシは通算五十回目くらいでアスロが投げ出して終わると思うなぁ。アンタ、どう思う?」


 こんなうさんくさい男相手に賭けなどするものか。

 僕が無視していると横から「私が乗りましょう」と声がした。

 声の主はグロリアで、振り向けば服の下に隠したいくつかの武器を取り出して僕に差し出す。

 僕が受け取ると、彼女は髪を後ろで束ねた。いくつもの耳飾りが陽光を受けてギラリと光った。

 

「私が負けたら、普段自分にしか使わない回復魔法を一度だけあなたの為に使って差し上げましょう。私は、彼が三十六戦目で敗北すると予想します」


「会長さんが用心棒の兄さんを治したみたいなアレかい。ほんで、アンタが勝ったら?」


 ハメッドが目を細めてグロリアのうなじを見つめる。


「あの火酒を私にも一瓶。というのは強欲が過ぎますか?」


「えらい高くつきそうやのう。よし、乗った。しかし、アスロはあれでクソほど強いぞ」


「楽しみです」


 会話はそれで終わり、アスロが延べで三十五人目を倒した直後、グロリアは踊るような足取りでアスロの前に出て行くのだった。

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