第459話 変化
「妙にフワフワとするが、劇的にどうこうという訳ではないな」
ベリコガは額の汗を拭いながら呟く。
感覚を確かめるように剣を数度振り、目をギュッと閉じた。
少しして瞼を開けるとやや充血した瞳が現れる。
「大丈夫です。二度、三度と服用する事で必ず恐怖は払えます」
ずい、と出てきたクロアートを突き飛ばしディドがベリコガに片手斧を突きつけた。
「二度と使うな。不幸になるのはオマエだけじゃすまないぞ。次、薬に手を出したら俺が殺す」
ベリコガは首元に延びる刃物を歯牙にも掛けず、口の中に残った残滓を吐き捨てる。
「次といわず、いつでも殺してくれよ。痛くない様に頼む。ちょうど今は恐怖感も鈍くなっているらしいからな」
剣を鞘に納め、ベリコガはすっと目を閉じた。
静かに、森の中で耳を澄ませているかのようなベリコガに対して、ディドの表情は憤怒に燃えている。
「どきな」
ディドを押しのけたカロンロッサの膝がベリコガの股間を思いっきり蹴り上げた。
無防備で急所を蹴られたベリコガの瞳は流石に見開かれ、地面に崩れ落ちると呻きながらうずくまる。
地面に擦りつけられる頭部を踏みつけ、カロンロッサは足を乗せたまま口を開いた。
「甘えてるんじゃない。アンタが苦しいなんてアタシらの知ったことか。地上に戻ったら仲間に聞いてもらえ。それから、ねぇ……」
カロンロッサの視線が僕の方に向く。
「アンタが連れてきたんだから帰るまではしっかり働かせなさい。前衛の仕事をきちんとやってりゃ、それ以上文句も言わないから」
気圧されて、僕は思わず頷いてしまった。
もっとも、彼女のいうことが正しいので反論のしようもない。
「それからクロアート、他人にその薬を広めないって約束をアンタ、ディドとしてたね」
「いえ、今回は私のせいでは……」
薬を服用して恐怖を払った筈のクロアートが怯えていた。
「問答無用!」
ベリコガの頭を踏みつけて走り出したカロンロッサはクロアートの下腹部に前蹴りを突き刺す。
カロンロッサは崩れ落ちるクロアートの左耳を掴むと頭を固定し、左膝をクロアートの頬に鋭く叩き込む。
「どんな理由があれ、アンタが持ち込んだ薬で起こった問題だ。きちっと責任をとりな」
「わぁ、痛そうだねぇ」
カロンロッサが手を放すと、クロアートはずるずると地面に落ちていった。
鼻と口からは血の泡がブクブクと出ており、サンサネラのいうとおり確かにとても痛そうだ。
「アンタたちがグダグダゴチャゴチャするとせっかくの罠が楽しめないだろ!」
苛立たしげに吐き捨てると、カロンロッサは壁際の石に腰を下ろした。
※
結局、僕がベリコガを。ディドがクロアートを介抱しているあいだ、サンサネラがカロンロッサの御機嫌伺いをして、僕たちは地上に帰ることになった。
ベリコガには僕が回復魔法を掛けたのだけど、クロアートはたいして痛くないので大丈夫と回復魔法を使うことを頑なに拒否して大きく腫らした顔で歩いていた。
と、数匹の魔物が行く手を塞いだ。
現れたのは全部で八匹の大蟹だった。
浅い階の蟹よりも順応が進んでいるのが一目でわかるほど、堅くて分厚い甲羅と強烈なハサミを持っている。
しかし、抱える魔力はほとんど肉体強化に使っている為か周囲と比較して弱く、僕の魔力感知に引っかからなかったのだ。
『風刃!』
戦闘はクロアートの魔法攻撃で始まった。
対象をズタズタに切り裂く筈の風の刃は、しかしほとんど傷らしい傷を与えられずに終わった。
蟹は巨体とはいえ体高が人の腰程度までしかない。
しかし、蟹のハサミは膝の高さを振り回されるため、対人の戦闘技術が通じずに、生半可な攻撃ではダメージが通りづらい。
コルネリも手を出しかねて天井付近を飛び回るだけである。
「オラ!」
ディドの片手斧が地面から振り上げられ、蟹の顔にめり込む。
しかし、甲羅に当たって深く刺さらないせいで致命傷にはならなかった。
相性の悪いベリコガは向かい合った蟹のハサミをどうにか避け、二匹目の攻撃を剣で払う。
前線を放棄して後ろに下がったりしないので、前衛の仕事はきちんと全うするつもりらしい。
サンサネラはルビーリーのナイフを振り回し、手近な蟹の甲羅をズブリと貫いた。
「ちょいと刃渡りが足りないねえ」
それでも動く蟹の甲羅からナイフを引き抜くと、空いた穴に短刀を深々と突き刺す。
蟹はそれで痙攣して動かなくなった。
僕も魔力を練り、呪文を詠唱する。
『氷霜煙!』
魔力球は蟹の群に飛び込み、性質を変えた。
液体の様に飛び散り、獲物に降り注ぐとそれぞれが周囲の気温を急速に下げていく。
これは対象の体内を低温にする魔法である。
体毛が生えていたり体温の高い魔物には効果が薄いが、体温が低い裸の魔物にはよく効く。
狙い通り、蟹たちの動きは緩慢になり半数程が絶命した。
生き残った蟹たちも脅威とは言い難くなり、前衛の手で掃討されるのに時間は掛からなかった。
「はい、おつかれ」
ムスッとしたままのカロンロッサが進み出て戦後処理を始める。
しかし彼女の不機嫌は宝箱にとりつくまでしか継続せず、罠の観察に取りかかった時には満面の笑みが浮いていた。
「お、コイツはいい罠だ。目が覚めるね!」
場違いな叫声が迷宮に響きわたるのだった。
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