第458話 グレアー
地下十三階、十四階、十五階と降りながら戦闘を繰り返し、その都度宝箱の中身を吟味しては価値を見極めてあぶれたものを投げ捨てていく。
「ふぅ、今日は本当にいい日だ」
荷物処理が終わるころ、クロアートがつぶやいた。
あまり地下の深くで発せられる言葉じゃないだろう。
全員の視線が向けられた先で、クロアートは恐怖止めの秘薬を口に入れようとしていた。
いつの間にか少し離れて立っていたクロアートの行動に、師匠のディドは顔をしかめた。
指先から舌の奥に秘薬が置かれようとした瞬間、横手から黒い影がそれを奪いとる。
サンサネラだった。
「なあディド先生よ、コイツは取り上げときゃいいのかい?」
クロアートは驚いた顔で秘薬が消えた指先を見つめている。
その一瞬に、クロアートの首にかかった小袋をもサンサネラは取り上げてしまった。
「返しなさい!」
我に返ったクロアートは激高し、サンサネラに詰め寄った。
「いや、別にいいんだよ。アッシはアンタがどうでもねえ。しかし、そっちのアンタは違うんだろ?」
そういってサンサネラは小袋をディドに放った。
「さっきから見ていたらどうも本気で止めてはないみたいだよね。本当はどうしたいんだい?」
サンサネラはクロアートをディドの方に軽く押しやって、距離をとった。
僕たちが迷宮に入り、ここに至るまで既に三度もクロアートは薬を服用しており、その都度ディドは嘆いていたのである。しかしその様は、確かに本気で止めているようには見えなかった。
もし本気で止めたければ今、サンサネラがやって見せたように無理やり小袋を取り上げればよかったのだ。
「先生、返してください!」
クロアートは額に汗を浮かべながら懇願した。
ディドは手の中の袋とクロアートを見比べて困惑の表情を浮かべていた。
「ほら、バカなことしてないでさっさと行くわよ」
カロンロッサはディドの手から小袋を取り上げると、クロアートに放る。
クロアートは小袋から薬を取りだす手間も我慢できないほどに慌てて、薬を口に入れた。
効果は数秒で発露し、彼はブルブルと震え始める。
「ねぇ、猫さん。可哀そうな子をイジメちゃだめよ」
「アッシは別にイジメたかったわけじゃないんだけどねえ」
カロンロッサの手前、バツが悪そうにサンサネラは顎を掻いた。
「もう今更なの。クロアートは絶対に薬をやめられないわ。だから怒って見せたって、殴りつけてみたって、刃物を突き付けてみたってしかたがないし、彼と薬の距離は小指一本分も離せないのよ」
カロンロッサの言い方と、ディドの表情を見ればそれは過去に試みられたのだろうことが分かった。
そうして矯正の努力は徒労に終わり、指導者であるはずのディドが逆に追い詰められていったのだ。
「ふぅ、見苦しい点をお見せしました」
吐息も荒く、しかし、しっかりとした足取りでクロアートがサンサネラに頭を下げた。
ギラついた目つきがさらに光を増し、口元に満足げな笑みが浮いている。
「いや、こちらこそ悪かったねえ。アンタらの間で話がついているとはつゆ知らず」
サンサネラは謝り真っ赤な舌をペロリと伸ばす。
「いえ、そもそも私の弱さが悪かったのですから」
早口な言葉とは裏腹に、クロアートはへへ、と笑う。
「私の服用する秘薬は、確かに恐怖を忘れさせる効果がありますが、同時に人体と精神を破壊する劇薬でもあります。我らは恐怖の満ちた場にいるときのみ、薬を使用することを神より許されています。私も、はじめはこの迷宮がただ恐ろしく、たまらなかったのですが、今ではもはや故郷よりも快適なほどです」
「恐怖に近づいた時は薬を使ってよろしい。そういう教えだから故郷じゃ使えない薬が堂々と使える迷宮はありがたいんでしょ」
カロンロッサは目を細めて言った。
「ディドも、止めるなら最初の一回を止めなければいけなかったわね」
おそらく教え子の薬物愛好を好ましく思っていない戦士のディドは言われるままに下唇を噛んでいた。
巨大な怪物を蹂躙できる有能な戦士が、薬物に負け続けているのだ。
「なるほど、勉強になるよ」
サンサネラは手にした薬を目にしていたが、横手からそれは取り上げられた。
「一つ貰おう」
言うが早いか、薬はべリコガの口に消えていく。
同時にディドとカロンロッサが目を剥いて動いていた。
「やめろ、すぐに吐き出せ!」
ディドはベリコガの頬を掴んで強引に口を開こうとしたものの、ベリコガが少し体を動かせばどういう魔法か地面に膝をついてしまった。
ブラントが用いていた体術の応用であろう。
「冗談じゃない。遊び半分でふざけてるのなら、その喉を掻き切って取り出してやるわ」
カロンロッサが取りだした細身のナイフがベリコガの首に突き付けられるが、刃が首に着く直前にベリコガの平手がカロンロッサの胸を押していた。
体重の差によりバランスを崩したカロンロッサは、後退しながらサンサネラに抱き止められる。
「冗談じゃない。ここのところ、ずっと怖いんだ。いくらかマシになるのなら、なんにでもすがるさ」
目を細めながら立つベリコガの瞳には追い詰められた者特有の狂気が宿って、僕を身震いさせた。
「その結果として死んでしまうなら、殺してくれるのならなおのこと助かる」
僕の失策だ。
落ち込んでいたベリコガを気分転換も兼ねてと連れてきたが、パーティの組み合わせが最悪だった。
僕が言葉を投げかけようとした瞬間、視線を落としたままベリコガは身震いをした。長い吐息の後に上げられた瞳は金属の様な鈍い光を放っていたのだった。
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