第408話 革袋
「ねえ、アル。そろそろお母さんのところに戻ろうか」
夕方、食事を摂りに帰ってきた子供たちの中からアルを捕まえて、僕は言った。
大勢が食事に用いる教会附帯の食堂ではなく、ルガムの家にある食卓で僕たち親子は向かい合う。
なにもかもがきな臭くなるのなら、アルは元の場所に戻した方がいい。
「え、いいけどお母さんはおうちに戻ってるのかな?」
「もうすぐ帰ってくるよ」
実のところ、彼の母親とは連絡が取れるようになっているので、そのあたりを心配する必要はない。
「それから、アル。しばらくは家の周りから離れないでね」
などと話していると、ガチャリと家の扉が開いた。
「客が来てるよ」
声の主は僕の妻であるルガムで、見ればその後ろにいたのはブラント配下の女剣士マーロだった。
その表情で用件はすぐに知れる。
「ブラントさん、お戻りになったんだね?」
そもそも、公職にも就いておらず、個人的な付き合いの薄い彼女がわざわざ僕を訪ねて来るのは、他に理由がない。
「はい。お時間を頂戴しますが、今から屋敷まで来てほしいとのことです」
普通はそれだけの言付けなど、適当な雑役夫にでもさせればよく、マーロのように教育に金が掛かった者を使者に立てることは少ない。
ということはそれなりに用事の大きさも測れる。
僕は大きく息を吸うと、肺を満たして全部吐いた。
深呼吸が少しだけ頭をすっきりとさせてくれる。
なにがあるか分からない時には万全の準備をしておくものだ。
ローブを羽織り、リュックを背負い、家用のサンダルから丈夫なブーツに履き替えると、アルの頭を撫でる。
「お父さん、僕も行っていい?」
「ダメ。何があるか分からないから君はここで留守番。そうして、なにかあったら家族を守るんだよ」
アルなら立派な戦力に数えることができる。
唇をとがらせる息子を可愛く思いながら背を向け、ルガムに向き直った。
「とりあえず行ってくるけど、なにか起こりそうならシグやサンサネラを頼ってくれればいいよ。もし僕が帰ってこなければマーロを恨んでくれたらいい」
「わかった」
一家の平穏を乱す者たちの一員として、ルガムは冷たい目でマーロを見据えた。睨みつけられたマーロは居心地わるそうに、視線を床に落とす。
同時にマーロから僕への好感度も下がった気がするけど、それも今更か。
※
「やあ、早かったじゃないか」
ブラントは僕が訪ねたとき、髪が濡れていたので洗面の直後だったらしい。部屋着で応接室の椅子に座り、優しく微笑んでいた。
「ええ、呼ばれればすぐに来ますよ。というか、どうせ僕の居場所を把握しているんなら、用意が終わってから呼べばよかったのに」
嫌みを込めて、僕は呟く。
僕に監視がつけられているのはもはや間違いないのだ。
しかし、ブラントは背筋を伸ばすとまじめな顔を作った。しかし、すぐに堪えきれないようにふきだしてしまった。
「フフ、いや失礼。年甲斐もなく笑ってしまうね。ちょっと嬉しかったものだから、許してくれたまえ」
何がそんなに楽しいというのか。
対照的に僕の眉間には深い皺が刻まれた。
「君は……そう、君は鏡の様な人間だね。君は、自らを愛する者を愛し、害為す者を憎む。頼ってくる者には手を差し伸べ、無関心な者には関心を示さない」
「人間は、ほとんどがそうじゃないんですか?」
目の前の男が何をいいたいのかわからなかった。
「いや、まあ、世の中にはいろんな人間がいるものでね、案外とそういった人間は貴重なのさ。さて、その鏡を覗いて私を見れば『最低限の敬意は常に払う』というところかな」
いわれてみればそういう気もする。
ブラントは確かに無茶を言うが、個人の意志は尊重されていたし、報酬を惜しんだこともない。それに僕の知らない場所で様々な手を回し、守っていた節もある。
それは彼なりの矜持であったのだろう。僕の生活が崩れない様に保つことで過去の自分へ餞をするような。
だけど、こちらも聞かなければいけない。
「僕が鏡なら、暗殺者を送らないといけませんね。ブラントさんに」
これは明確に害意といえる。
なんせ命を狙われたのだ。
「ふむ、そうだねえ。それほど腕の立たない連中を二人ほど送ってくれたまえよ。甘んじて、受け取ろうじゃないか」
ブラントは真剣な表情で髭を撫で、そう答えた。
隠す気もないらしい。
「いえ、そういうことではなくて、僕でも迎撃できた程度の刺客をわざわざ二回も送ってきた理由の方を聞かせてもらいたいんですけど」
この周到な男が本気なら、僕が生きているはずはない。
だから、本気では無かった。それはわかっていた。
「なぜというほどのことはない。私のやることを誤って君が邪魔をするといけないから、あらかじめ安全な場所に退いて貰っていたのさ」
ほんの親切心である。
もし、間違って邪魔をしたのなら、僕も排除される対象に名を連ねてしまうから。
言外にそう伝わってきた。
「案外とね、君の行動を想定するのは難しいのだけれど、領主府の行動なら想定できるだろう」
衆目にさらされて人を殺せばどうなるか。
当然、拘束される。
そうして僕が身動きをとれない間にブラントは大事な用を済ませたのだろう。
「私もいろいろと準備をしてきた訳だが、今がまさに好機というやつでね。いよいよ動こうと思っているんだ。君を呼びつけたのは、意志の確認をしたかったからさ。今から私のやることを静観するか、それとも協力するか」
反対する、という選択肢はないらしい。
確かに、僕はブラントを敵にしたいと思っていないので反対をすることはあまりないだろうが、明確に邪魔をする連中もいるだろう。
「そんなことよりも、ガルダさんをどうするかを考えた方がいいんじゃないでしょうか。部下を殺したと聞きました。あの人は絶対にそれを許しはしませんよ」
今、この瞬間にガルダがカルコーマや配下を引き連れてこの館を襲撃してこないとも限らない。
そうなったら、僕はどう行動すればいいのかが気になっていた。
しかし、ブラントは眼を細めて僕を見据える。
居心地が悪くなるような、腹のそこまで見透かす視線だ。
「それはもういいんだ。実は、すでに話が付いていてね。悪いが、あの革袋の中身を見て貰えるかい」
ブラントの手が、壁際に転がる革袋を差していた。
大きな袋に、なにかが入っている。
僕は立ち上がり、言われるままに袋の中を覗いた。
袋は二重になっており、内側の袋を開けると親しみ深い臭いが立ち上がる。
つまり、血と、死の臭い。
薄暗い革袋の中には生首が二つ。
どちらも見間違える筈がない。
ガルダと、カルコーマの首だった。
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