第407話 妊婦

 ガルダが僕の家に隣接する倉庫を閉鎖しているということは、うちの家族や近隣住民を被害から守ろうというのだろう。

 サミをあやすサンサネラを見ながら、僕はぼんやりと考えた。

 もちろん、善意や義侠心などというあの男に似合わないもののためではない。

 戦場と被害を限定化したいのだ。

 都市内でのイザコザは、互いに勝手知ったる路地や建物で行われる。

 遭遇戦、奇襲戦の他にも相手の士気を挫くため、間接的な関係者を狙ったり財産を壊したりとなれば、戦線は際限なく拡大し、両陣営が多大な被害を受けることになる。

 そうなれば、無関係の市民も被害に巻き込まれることもある。ここは迷宮都市であり、どんな腕利きに誰が繋がっているか分かったものじゃない。いつの間にか敵を増やすのは互いに望むところではないのだろうから、ガルダはブラントへ対して戦場を区切ろうという言外のメッセージを送ったものと思われる。

 互いの主要な面子、突き詰めて言えばガルダとブラントの首の取り合いに限定して戦闘は展開されるのだ。


「あの、ノラさんは?」


 妊娠による不調か、白い肌がさらに白くなっている小雨に尋ねた。

 しかし、小雨は首を振って口を開く。


「ノラさんはあなた方と一緒に迷宮に入り、そのまま帰ってきていませんよ」


 そういえばそうだ。

 ジャンカたちと迷宮に入り、もう少し潜るというノラと別れたのはまだ一昨日のことである。

 上級冒険者のノラが一人で迷宮に潜るのであれば、満足するまで短くとも数日間は地上へ出てこない。ということはその間、ガルダ側の最大戦力はカルコーマということになる。

 ブラントもノラがいなくなるのを見計らって行動を起こしたのだろうか。

 しかし、ブラント側で最も腕が立つのはほかでもない、ブラント本人だろう。そして、カルコーマとブラントの二人を並べれば、より順応が進んだカルコーマが有利なのは間違いない。

 配下の兵隊を比べても『達人』の称号を得た時点で迷宮から足を洗う兵士が主力のブラントに対し、イシャール撃破後も迷宮で腕を磨き続けている準上級冒険者のような連中も少数ながら抱えるガルダ。

 戦線を限定すればするほど、ガルダは有利になっていく。

 いずれにせよ、勝負はガルダの勝ちで終わるだろう。

 そうなると僕は、ガルダが余勢を駆ってブラント派の残党狩りでも始めるまで出せる口はないのではないのだろうか。

 少なくとも、ブラントとガルダは僕を戦場から締め出してしまっているのだ。

 もちろん、それは言い訳で、僕にはどちらに加勢する理由も敵対する理由も用意できる。

 ただ、現時点ではどちらにも肩入れしたくないのだ。


「あれ、ステアは?」


 ふと、ステアが見当たらないことに気づき、僕は視線を巡らせた。

 普段であれば朝食の片付けや教会の清掃などに忙しく動き回っている時間帯である。

 まさか、ガルダとブラントの抗争に巻き込まれでもしていないか。思いついてしまうと心配になって、心臓がドキリとする。


「ローム師がお亡くなりになったそうで『荒野の家教会』へ行っています」


 しかし、その心配は無用だと小雨が教えてくれた。

 

「え、ローム先生が死んだの?」


 特に感情のこもっていない小雨の言葉に僕はひどく驚いた。

 殺しても死にそうにない因業婆と言えば死者に対して失礼だけど、細身ながら健康そうで、突然死ぬとは全く思ってもいなかったのだ。

 なるほど、ステアはローム先生を敬愛していたので、たとえ袂を分かったのだとしても訃報を聞けば駆けつけずにはおれないだろう。

 

「残念ながら、お亡くなりになりました。表向きは病死だそうですが、カルコーマが見ている前で殺害されたとのことで、間違いはないでしょう」


 小雨は淡々と説明をするのだけど、一体どういう状況でそうなったのか、さっぱりわからない。

 しかし、あの老婆はこの都市における『荒野の家教会』の要だった。北方の本拠地で起こった混乱も記憶に新しいのに、この都市での要を失った『荒野の家教会』が今後どうなるのは非常に危うい。

 

「小雨さんは、行かないんですか?」


 僕は気になって聞いた。

 この暗殺者はもともとローム先生が呼び寄せた隠し玉だったはずだ。

 それが紆余曲折の末にステアとともに離脱し、こちらにいて、子を腹に宿している。

 ステアと同じくらい、いや下手をすればステア以上に『荒野の家教会』に深く沈んでいたはずの少女は、僕の質問に小雨はキョトンとして首をかしげていた。


「ローム師ほどの功労者であれば、通常は死体を北方へ送り返して本部で葬儀を執り行う筈です。もっとも手を食うのは防腐処理ですが、向こうの教会に残っている者で出来るでしょうし、付き合いとしても我が教会からは代表のステアさんが顔を出しに行っているので、私が向かう必要はありませんよね?」


 必要があるかと問われれば、彼女の言う通り、ないのだろう。

 僕がいいたかったのはそういうことではないのだけど、小雨がいいというのならそれ以上いうことはない。

 しかし、ローム先生の死か。

 本当にあれやこれやが騒がしい。

 ステアは小雨と違い落ち込んでいるだろうから、戻ってきたら優しく抱きしめてあげなければならない。

 やることが多すぎて、目が回りそうなのだけど、とりあえずは愛する妻を慰めることが優先順位としては最上位だろうか。

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