第406話 立場
「片付けが終わったら上に来い」
ムスッとした表情のご主人が応接室に顔を出したのは僕がサンサネラと朝食の後片付けを行っているときだった。
常になく有無を言わせぬ態度で告げ、すぐに応接室の扉を閉めて去った。
残された僕たちは目を見合わせる。ご主人は普段から激情的な男ではない。彼を怒らせるようなことをした覚えはない。
せいぜいが朝っぱらから怪しい一団を引き込んで応接室を占有したくらいだ。
嫌な予感がして、片付けもそこそこに僕たちは会長室に向かう。
「座れ」
ご主人が応接用の椅子に座り、対面の椅子を顎で示した。
僕はペコリと頭を下げてご主人の向かいに腰を下ろす。
サンサネラは椅子の横に立って話を聞くつもりらしい。
「この都市内がざわついているのは知っているな?」
「はあ、まあ」
深いため息がご主人の口から洩れる。
「ビウム君の個人取引の件でもそうだが、他にもうちの商会に影響が出ている」
人々の利害が密接に絡む都市内の経済事情だ。誰かが被害を受ければ様々な形で影響が波及するのが大商人たるご主人の立場だろう。
「ラタトル商会本体での直接的な被害は確認できないが、枝の方で使用人が何人か殺されている」
枝、といえばラタトル商会の傘下商会である。
ここしばらく、いくつかの商会を併呑し傘下に収めてきたと聞いてはいたが、僕を相手にことさら『枝』と表現するならその対象は限られる。
「ガルダ商会ですか?」
ご主人は渋い顔でうなずいた。
きっと、横から見れば僕も同じような表情になっていることだろう。
あの男は僕なんかとは違い、自分に害があれば見逃さずにキッチリと報復をする勤勉さがある。
「あの男は日頃からやりすぎる。恨みも買うだろう。もちろん、だからといって配下が殺されるのを甘受せよとは言わんが、今回もコトがコトだ。十分以上に代金を取り立てようとすればこちらまで恨みを買うことになりかねない。おまえ、ちょっと行ってガルダを抑えてくれんか」
「そ……れは」
僕は言葉を詰まらせた。
背中が粟立つのを感じる。
ガルダは喧嘩を売って来た相手に応じていちいち態度を替えたりしないのだ。
相手が弱ければ正面から吹き散らし、強ければ手段を練るが、いずれにせよ戦いは始まる。
先だっても一国の王子を屈服させたばかりではないか。
ご主人は今回の蛮行を仕掛けた主犯に心当たりは無いようだが、僕はもう知ってしまっている。そうして、ガルダもすぐに気づくはずだ。
いや、あのガルダはそんなにゆっくりとした男ではない。とっくに動いているだろう。
ブラント対ガルダ。
この都市で僕が敵対したくない二大巨頭がぶつかる。
できれば関わりたくない。
僕はそんなことを思った。
それに、こういってはなんだがどちらに対しても恨みと恩がある。そして正直に言えば、どちらとも関わりたくない。
しばらく知らん顔をして生き残った方と何食わぬ顔をしてつきあいを続けるわけには行かないだろうか。
いかないんだろうな。
ご主人の視線が言外に僕を責める。
うまく、これ以上は血が流れない解決法などあるのだろうか。
「できるだけ、努力をするというところだねえ。ラタトルさんだってアナンシさんが万事綺麗にまるっと治めるとは思っていないだろう」
背後でサンサネラが口を出し、僕もため息とともに頷いた。
もともと、ご主人は対ガルダ用の手札として僕を見ていたのだ。こういうときに働きをみせなけりゃ、愛想を尽かされてしまう。
それ自体は別にいいのだけど、その期待を込めてご主人は僕に連なる者たちの面倒を見て貰っている面もあるので、ある程度は答える言葉も決まってくる。
「できるだけ、やり過ぎないよう説得してきます」
その結果がどうなるかは保証できない。
というか、冒険者上がりの兵士を抱え、権力者たちに根を伸ばすブラントと、自らの商会を抱え、冒険者上がりの用心棒を抱えたガルダの戦いだ。
結果を予測しようという試みが無駄な労力なのかもしれない。
※
「連中、今日は急遽休みなんだってさ」
大量の料理が残った鍋を前にルガムがぼやく。
僕たちの家に隣接して建てられたガルダ商会倉庫には錠が掛けられて人気がない。こういう場合の防犯見回りもルガムが請け負っているので、それはいいのだけど、食事を準備してからそういうことを言われるのは困る。
「カルコーマでも来ればすぐに片づくんだろうけど、アイツもこないのよ。なにかあってるの?」
ぼやくようにルガムが問う。
「どうもね、戦闘準備に入っているみたい」
「え、誰とですか?」
背後から声を掛けてきたのは小雨だった。
どうも体調が優れないらしく、片づけは手伝わずに椅子に座っていた。
小雨までが知らないということは、今回の件に僕の周りを排除するつもりなのかもしれない。
「まだ分からないけど、たぶんブラントさん」
「え、あんな髭は私が行って殺して来ますけど……」
小雨は不満そうに呟く。
腹に子を宿そうが人間の本質は変わらないということなのだ。
「こら、アンタはまたそういうことを言う。おなかの子が出てくるまでは一人の身じゃないんだからおとなしくしてな!」
ルガムが怒鳴り、小雨は首をすくめる。
「アンタも妊婦の前で不用意なことを言わないでよ」
怒ったルガムに尻をたたかれ、僕も申し訳なく首をすくめるのだった。
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