第409話 旅立ちの時
心臓の打拍が強く、早くなっていく。
僕は悪臭を立てる革袋をそっと閉じた。
死体は見慣れている。知り合いの死体も。自分に言い聞かせながら下唇を噛み、必死に平静を保った。思考は常に次の行動を探らなければ、動きが遅れる。
「身構えなくてもいいさ。君を殺す気なら、もう首を跳ねているよ」
背後から声を掛けられ、僕はゆっくりと、ブラントの方に向き直った。
なぜ殺したのか、は愚かな問いである。
必要があったからと答えられて終わりだ。
「あの……どうやって?」
僕の素直な疑問が、口から沸いてでた。
直前まで僕は、たとえノラが不在でもぶつかればブラントが不利だと考えていたのだ。
「うん、いい質問だ。もし、君がガルダ君の立場ならどうやって私を殺すかね?」
ブラントはおどけたように、嫌な思考実験をさせてくる。
しかし、狙った敵を殺すのに手段を尽くす必要などないのだ。
「監視をつけて、できれば都市の外に出るときを狙って襲撃します。もちろん、腕利きを揃えた上で」
都市では権力中枢に顔の利くブラントへ、直接の手出しは避ける方が賢い。そうして都市の外、できれば迷宮で勝負をつけた方がよかろう。
ブラントの手駒よりもガルダの手駒の方が強い。
ある程度、多数同士の戦闘になっても結局はブラントが死ぬはずである。
「じゃあ、君が私の立場ならガルダ君にどうやって対抗する?」
言われて僕は考えた。
戦力に劣るのであれば直接の戦闘は避け、搦め手で対抗するしかない。
「領主府や冒険者組合の権限を使って、政治的にガルダさんを追いつめていくしか……」
暗殺者や他の勢力との闘争を煽り立てるという手法もあろうが、ガルダはそれを切り抜けて組織を肥大化させてきたのだ。
ガルダを相手にする上で、それをいい手段とは考えられない。
「実にいい答えだ。しかし、それは組織を率いて広範囲に勢力争いをやったことのない、はぐれ者の答えにすぎないね」
ブラントは指で口ひげをもてあそびながら、足を組む。
確かに、僕はいつだって下っ端か、いいとこ尖兵役ばかりをこなしていて、組織同士のもめ事で渦中にいたことはない。
だけど、たいていの人はそうなんじゃないだろうか。
「覚えておきたまえ。互いに組織が大きくなると、組織の構成員でさえ相手の組織から利益を得ていることもあるのさ。まして、第三者ならなおさらだ。そうすることで共生状態となり、全面的な争いはもはや起こりづらくなる」
しかし、現に首が二つある。
争いは起こったのだ。そうして、ガルダが負けた。この事実は揺るがない。
教授騎士は教え子に回答を促すような優しい視線をこちらに向けていた。もはや回答なんて一つしかない。
「ガルダさんの襲撃をどうやってか、返り討ちにしたんですね」
ブラントは嬉しそうに頷いた。
でも、いったいどうやって。
結局は、はじめの疑問に立ち戻る。
ガルダの側が襲撃するのだから、準備が整っていなかったことなどあり得ない。カルコーマと、それに領主府の兵士を上回るような腕利きを引き連れてブラントを追った筈だ。
「君は、おそらく自分を投影して考え込む癖がある。だから、動かせる連中をまず身近な者か、損得関係で選出する。その考えに則るのなら、私の手駒はシンパの領主府兵士か、マーロの様に私の下にいる者とそれに類する者たち。あるいは現役の生徒。他には、せいぜい君と、その周辺の連中か。だが、君にシガーフル隊がいるように、私にだってもう少し別の、対等な友人というのもいるのだ。忘れられがちだがね」
言われて、はっとした。
「今回は、私から仕掛ける機会を選定できたのでね。十分に選ばせて貰ったよ」
ブラントは背もたれに深く腰掛け、重たいため息を吐く。
先ほどまでの若々しくハシャぐ様とは一転して疲れた中年の顔をしていた。
「ノラ君の不在、そしてナフロイ隊の迷宮堕ちだ」
正直にいって、その存在を半分忘れかけていた。
迷宮深くに長期間潜り、もはや地上に居ることの方が少ない、迷宮の呪いに飲み込まれつつある怪物の名。
僕の師である『賢者』ウルエリがかつて所属したパーティの名前。
「迷宮堕ち……ですか」
「うん。少し前から頼み込んで引き留めていたんだ。ほんの一回だけ切れる強大なカードを今回切ったのさ。効果は見ての通り。引きこもって身を守る筈の私が生徒とともに迷宮に入ったのだから、ガルダ君は迷わずに着いてきたよ」
ガルダだって罠だと思った筈だ。
しかし、機知と実力の差で罠ごとかみ砕いてやろうと思っていたに違いない。
「迷宮では教え子とともに、ナフロイ隊を待機させている地下四階のホールまで、彼らに追いつかれずにたどり着けるかが勝負だった。そこで私は勝ったのさ。さすがにカルコーマ君は手強くて、危うくナフロイ隊にも死人が出るところだったが、他の連中が比較にならんのでね、終わってみればあっけないものだったよ」
ブラントは再び大きなため息を吐いた。
「だからナフロイたちはもう帰ってこない。今更実感するが、長年の友人たちがいなくなるというのは寂しいものだ」
ブラントは腹のそこから信用のできる人間ではないし、他に隠し玉をもっていないとも限らないのだけど、友人との惜別、その感情はおそらく本音であろう。
僕は何となくそう思った。
「とにかく、そんなわけでもう彼らが文句を付けて来ることはない。落ち着いて話を聞きなさい」
ガルダと話をつけたというのはそういう意味だったのか。
ブラントはそれをすでに前段の話として処理し、本題に移ろうとしていた。
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