第401話 大脱走
「とりあえず閣下、これで私が『襲われ、しかたなく対応した』というのも納得いただけましたか?」
明かり取りの天窓から星明かりが入る場所へ死体を動かして夜目の聞かない上級役人に見せる。
「こんなところまで侵入出来てしまう危険な連中です。納得いただけましたら釈放を認めて欲しいんですけど」
怪我は治ってもショックが抜けきらないのだろう。
役人はぼんやりとした眼で僕を見つめていた。
「……ダメだ。確かに刺客は来たが、それでおまえの罪が無いとされた訳ではない。もっと徹底的な調査の結果を持ってのみ、審判は下されるのだ」
まあ、そりゃごもっとも。
刺客がやってきたから無罪となるのは理屈の上でもおかしく、これはただ彼の混乱に乗じて勢いで押し通そうとしてみただけである。
「厳正に判断すればもちろんそうなんでしょうけど、ちょっと僕としても急ぎの用が出来ましたのでそこをなんとか。閣下がお金や便宜で動くことのない高潔な人だとは重々理解しているのですが、そこを曲げていただけると」
結局、どんな制度も最後は構成員の誰かが判断を下す。
今回は目の前の役人がその役割を負っている筈だ。
もちろん、『恵みの果実教会』の件で揺さぶるのも手段なのだろうけども、あまり無理なことはしたくなかった。
「法や律とは曲がりがちな人間を正すための指標だ。個別の事例で気軽に曲げてよいものではない」
前言撤回。
『眠れ』
僕の魔法により役人の意識は弾き飛ばされてあっさりと気絶した。
しかも特別に魔力が練ってあり、しばらくは眼を覚まさない秘技だ。
すぐに終わる戦闘では意味が無いけれど、こういうときなら役に立つ。
僕は部屋の出口に近づき、廊下に向かって声を掛けた。
「あの、その辺にさっきの人はまだいる? お役人様さんが帰っていいっていうからさ、取り上げた品物を返してよ。それから、マーロが来てるなら呼んでくれない?」
「……なにか?」
廊下の奥からマーロがすっと現れた。
僕のことを詳しいブラント配下といえばまずは彼女だろう。
他の腹心を差し向けて僕と殺し合いが始まるよりは、対話を行える人選をしたものと思われる。
僕はマーロが差し出す籠から首飾りや指輪などを取り出すと、それぞれ身に付けた。
「いや、なにかっていうかシグとかサンサネラは無事?」
「サンサネラには途中で私から話をして、引いて貰いました」
「ふうん、なんて言ったの?」
「頼むから、今回はここで引いてくれと」
きっとそれだけでサンサネラは承諾したことだろう。
もともと人の陰謀に隠れて生きていた彼だ。嗅覚は鋭い。
マーロが直々に出てきて頭を下げるのならそこから先に労力に見合ったものはないと適切な判断を下すだろう。
「シグは?」
「手の者からの報告に寄ればあらぬ所をぐるぐると歩き回っている様です。おそらくはビーゴの思惑かと」
そう言われて僕は思わず笑ってしまった。
たしかにビーゴにとって重要なのはシグと一緒にいる時間であって、早々に事件を解決してしまえばそれで邪魔者がいるパーティでの迷宮行が再会されてしまう。彼の立場になればむしろ解決からは遠ざかりたいだろう。
「ねえ、マーロ。スリ狩りに協力してくれたのもブラントさんの指示だったの?」
「……すみません」
マーロは籠を持ったままうつむくのだけれど、僕は別に彼女を責めている訳でもない。彼女を責める権利があるとしたらそれは僕ではなく、ひっぱたかれたおじさんと、切り捨てられた形のスリ連中である。
「ああ、パラゴとハリネもか」
僕の頭の中でふっと線が結ばれた。
「いえ、パラゴさんは一切。シガーフル隊として共通の扱いです」
ふむ。信じるべきかは別にして、その言い方だとハリネがブラントの影響下だということになる。
考えて見れば当然で、ムーランダーはそもそもブラント邸に寝起きしている。因果を含める機会には困るまい。
「じゃあ、ブラントさんはスリのグループを自分で引き込んで来て、僕たちに狩らせたってことでしょ。なんでわざわざ」
言いながら、僕も明確な回答を期待しているわけではない。
あの男が周囲に考えを相談する筈もないし、そもそも復讐者とは蒙昧なものかもしれない。
案の定、マーロも黙って俯いたままだ。
「まあ、刺客まで送って来た訳だからなんらかの回答を求められてるんだよね。とりあえずブラントさんの所に行ってみようか。自宅にいる?」
「いえ、迷宮に。話を付けてくると……」
話を付ける、とは一体誰とのことだろうか。
僕を待って、関係性の結論を出すという気か?
「僕に来いってことかな。詳しい場所は聞いてる?」
「いえ、それは……」
マーロが首を振るのだけど、嘘が苦手な彼女のことだ。
素振りから、本当に知らないのだろう。
しかし、場所がわからなければ広大な迷宮で居場所を捜し当てるのは難しい。やれないことは無いけど、素直に待っていた方がいいだろう。
いろいろとやりたいこともある。
「じゃあ、僕はいろいろやることもあるから帰るよ。ブラントさんが戻ってきたら使いを出して呼びに来てよ。それから、ここを出る手続きはそっちでお願い」
「はい、やっておきます」
マーロは素直に請け負ってくれた。
こんなに素直な子だからこそ、ブラントの闇にズブズブと捕らわれてしまったのだろうか。
まあ、刺客を送られても敵対すると言わないのだから人の良さは僕も似たようなものか。
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