第381話 支払期限
ロバートはすかさず立ち上がるとジャンカを守る位置に移動した。
ガルダはやや離れた切り株に腰をおろすと、横手に立つ配下から紙を受け取る。
「そうそう、ロバート。ノラ隊に入りたいんだって? オマエとはいろいろあったが、そうなりゃ仲間だな。仲良くやろうや」
そう言いつつも、ロバートとの間にある数歩の距離がこの男の警戒を表していた。
ロバートの方もまだ敵対関係にある小男に対し、沈黙を持って応える。
「それからジャンカ、オマエの話だ。俺を殺したいんだろ。準備は出来たか?」
当のジャンカは困ったような顔で僕を見た。
まだ金を取り立てるまでは他人ではない。
それに、今回の話は既に巻き込まれてしまっている。
「ガルダさん、ジャンカにあなたが殺せるわけもないことはわかっているでしょう?」
ガルダは紙に視線を落としながら鼻で笑った。
「どんなに困難に見えても殺せないヤツなんていやしねえよ」
そう言いながら、紙を僕に差し出す。
仕方なく、腰を浮かせてその紙を受け取ると、文言に眼を通した。
『債権譲渡に関する諸事項』と書かれたその紙には僕がジャンカから受けとるはずだった金額が記してあり、その回収権を僕がガルダに八割の金額で売却することへの記述が並んでいた。
「ガルダさん、これって……」
「なあ先輩、金を持たないヤツから金を取り立てるっていうのは専門技術が必要だぜ。素人が取り立てようとしたって、上手いこといくのは希だ。しかし、そこ行くとウチだ。偶然にも、ウチは領主府も認める債権回収業者だ。知らぬ仲でもないし、特別に請け負ってやるが、どうだ?」
依頼した場合には債権の売却額が現金で支払われ、支払いの期限は依頼の翌日中とある。
つまり、ここで依頼をすれば多少目減りするとはいえジャンカの指導料が明日には僕に渡されることになるらしい。
「それは嬉しい……かな?」
なんせ僕のところは所帯が大きい。まとまった金が即金で入るなら家計もずいぶんと助けられる。
「教授殿!」
ジャンカが眼を見開いて声を上げた。
ここでガルダに売られると、彼はまさに窮地に陥るのだ。
「ロバート、オマエはどうだ。未払い金があるのなら回収を請け負ってやろうか」
親切そうな口調でガルダはロバートにも水を向ける。
しかしロバートは素っ気なく首を振って断った。
「俺はいい。前金で貰っているし、回収は自分でやってきた」
「そりゃ、ご立派だ。なあ先輩、アンタはどうするね。お、そうそう。そういえば俺からも依頼したことがあったな。確か、ジャンカとかいうガキの育成だ。あれも終わったんなら依頼料を払おう。どうだ、ウチの回収利益の二割を戻すというのは?」
そうなれば、僕は額面通りの金額を受け取れることになる。
ガルダとしても手間賃はかかるものの、手出しは無しになって都合がいいのだろう。
ジャンカを無視するのなら僕にとってはそれが一番いい。
「待て、待ってくれ!」
当のジャンカは喚きながら立ち上がった。
「教授殿、必ず支払う。だからガルダなどを支払いに絡ませないでくれ!」
しかし、そうは言われても空手形を受け取るわけにはいかない。
それに、ここにガルダが出張ってきている以上、事態はジャンカの望むとおりに転びはしないだろう。
「でもね、ジャンカ。今すぐ君が支払えないというのなら、僕はガルダさんに依頼するしかないんだ。ごめんね」
踏み倒されれば大損。額面通り払って貰っても回収の手間がかかる。
それがガルダに依頼するだけで手間もなく額面通りの金が入るのだ。
心が引き裂かれる様な申し訳なさにさえ眼をつぶれば、の話だけど。
「じゃ、そういうわけでガルダさん、よろしくお願いします」
僕の返事にガルダは笑い、ジャンカは顔を伏せた。
「ちょお待たんね、アイヤン。それはあんまに人ん心がなかぞ」
モモックが不満げに声を上げる。
確かに彼の言うとおりだ。いくら生活のためとはいえ、愛弟子を死地に追い込むのははばかられる。
「よし、モモック。じゃあこうしよう。ガルダさんが金を持ってくる前にジャンカが金を持って来る事が出来れば、回収の依頼はキャンセルしよう。ガルダさん、それは飲んで貰えます?」
ガルダは少し面倒そうに頭を掻いたものの、ゆっくりうなづいた。
「今からこっちも安くない額の金策に走るんだ。本来ならそんな話は飲めないが、俺は若人の涙に弱い。特別に飲んでやろう」
おそらく、僕もガルダも、それは無理だと考えている。
よほどの事をしなければおいそれと集まる金額じゃない。
そうして、大金を集めるための人脈や手段は往々にして庶民の手の届かないところにある。権力から切り離されたジャンカもとれる手段は限られるだろう。
「モモック、君は手を出さないでね」
念のため、僕はモモックに釘を刺す。
しかし、彼はその釘が心外のようだった。
「なんしてね。オイが仲間んために働くのがなんか悪かいや?」
「君がそれこそ銀行や領主府の金庫に潜り込もうものなら、大事になるからさ。ばれたら僕たちの家族や、下手したらご主人もギーやメリアも連座で処分されちゃうよ」
『獣使い』と呼ばれているのは僕なのだ。モモックが何かやらかせばツケは僕に回ってくる。
モモックはさすがに唸って黙り込む。
ジャンカは立ち上がると、暗い表情のままフラフラした足取りで歩き出した。ロバートも立ち上がるとそれについて去っていった。
モモックも不機嫌そうにしながら姿を消す。
いつの間にかガルダの配下も半数ほどが姿を消しているのでジャンカの監視に回ったのだろう。
このタイミングで手下を引き連れてやってくるのだから、監視は万全だったと思われる。
「あれでよかったんですか?」
僕は残ったガルダに聞いてみた。この男が段取った場である。
果たして、仕掛け人としては満足いただけただろうか。
「先輩の演技が下手。もうちょっと上手くやれよ」
「はあ、そりゃすみませんね。不器用なもので」
理不尽な叱責に僕は唇をとがらせながら謝る。
「まあ、後はこっちで上手くやるさ。金はもう用意してあるんだ。小切手をほら」
ガルダは懐から小切手を取り出して僕に差し出す。
僕はそれを受け取りながら、ため息を吐いた。
「短い猶予時間でしたね」
あっさりとした時間切れ。
こうして、ジャンカはガルダに対して多額の負債を負うことになったのだった。
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