第368話 口下手
目が覚めて魔力の回復を感じる。
だけど順応はさっぱり進んでいない。
もっとも、昨日は地下一階を歩いただけなので大きな期待もしていなかった。
室内は薄暗く、隣の寝床では娘を抱いた妻がまだ寝息を立てている。
そっと寝床から抜け出し、鎧戸を上げると外はまだ薄暗い。
昨夜は遅くに寝たことを考えれば、革新的な早起きである。
まだしばらくジャンカの迎えはないだろうから寝床に戻って二度寝を楽しんでもいいのだけど、鎧戸の外に見える人影にひかれて外へ出た。
その男は冷気の漂う早朝に、一人で椅子に座っていた。
片手に得物の刀を持ったノラは、ただ朝の静けさに身を浸しているようだった。
「おはようございます。ノラさん」
声を掛けると、ノラは大きな息を吐いて椅子から立ち上がり、頭を掻いた。
「鍛錬の邪魔をするな」
興が殺がれたというように刀を置き、ノラはようやく僕の方に向き直る。
一見、座っていただけに見えたのだけど、この男の鍛錬の一種だったらしい。
「すみません。何をしているのか気になって」
「戦い方を考えるだけだ。かつて苦戦した敵を見立て、脳内で技を打ち込んでいく。次に苦戦しないためだ」
僕からすれば圧倒的に強大な力を持っていながら、鍛錬を怠らない。
全く、厄介な男である。もし、僕がこの男と敵対したらどう戦うか。
脳内でぼんやりと考え出した次の瞬間、鼻先に刃先が突き付けられていた。
刃を通してノラの瞳が僕を見据える。
ただ命を効率的に奪うことに特化した獣の様な黒い眼に刺され、僕は息も吐けずに凍りついた。
「お前が魔法を使う前に、斬り捨てる。それで俺の勝ちだな」
僕の内心を見通したようにノラは呟き、刀を鞘へ納めた。
一瞬遅れて、どっと汗が噴き出る。
小雨やガルダはこんな男の一体、どこがいいというのだろう。
跳ね上がった鼓動と乾いてへばりつく喉が喘ぐような音を上げた。
「ちょっと、やめてくださいよ」
僕が抗議すると、ノラは意外そうな表情を浮かべた。
「なぜだ。お前は十分に脅威を持った魔物が戯れに爪を向けたとき、立ち尽くして見ているのか?」
本当に、チラと考えただけ。魔力も練っていないのになぜばれたのか。
全身に沸く鳥肌から自分が思いのほか死に近づいていたことを知る。
もう少し具体的に行動していれば、この男は躊躇わず僕を殺していただろう。
「……わかりました」
他に言葉もない。
僕は疲労感にさいなまれながら、空いている椅子に座りこんだ。
それだけでノラは僕に興味をなくし、刀の素振りを始めた。
一振りごとに大気を両断し、世界を二つにせんばかりの斬撃。
しかし、それを見ていて僕は違和感に気づく。
「あの、ノラさん。それ魔法ですか?」
動きが不可思議で魔法じみていうというのではない。
斬撃の瞬間、刀身から何かが放たれていた。量は大したことないものの、圧縮された魔力だ。
「気にするな」
ノラはそういうと素振りを続けた。
間違いない。それがどのような効力を生むかは知らないけどもかつて一号は言った。
魔力は効果を顕現させる燃料ではない。戦士なら身体能力の向上に寄与し、盗賊なら勘の冴えという形で現れる。
そうして、ノラは斬撃にそれを発現させる能力を獲得していたのだ。
おそらく斬撃の間合いを伸ばし、威力を押し上げる。
都市に住まう上級冒険者でもここまで到達した者はいないのではないか。
大抵はそのずっと前に慣れ果てて迷宮に呑まれてしまう。
「ノラさん」
僕の呼びかけにノラは応えず、素振りを繰り返している。
「試しにパーティを組んでみませんか。パーティは僕が用意するんで、一緒に迷宮へ行きましょう」
地面すれすれから振り上げられた刀はピタリと止まり、ゆっくりと降ろされた。
ノラはゆっくりと僕の方へ振り返る。
ガルダとカルコーマはしばらく忙しい。小雨は半引退。
人付き合いが下手なノラは、他の連中を引き連れるくらいなら一人で迷宮へ入っていく。
でも、僕を誘ったのは事実だ。
口下手なノラはしばらく言葉を探すように口を動かし、やがてようやく見つけた言葉を押し出した。
「行く」
※
迷宮の手前で合流したロバートはノラを見るなり顔をしかめた。
「おい、そいつはガルダの用心棒じゃないかよ」
「違いますよ」
僕は首を振ってロバートの指摘を否定した。
ノラはガルダの相棒であっても用心棒と呼べるような雇用関係はない。
「ええと、ジャンカさん。昨日連れてくると言った前衛のノラさんです。これで前衛がしっかりしたので、今日は深くまで潜りましょう」
ロバートの口からガルダの名前が出て、ジャンカの手は剣の柄に伸びているが、ノラが動かないのは実力差から全く脅威を感じていないのだろう。
ジャンカが機を窺い、全力で抜き打ったとしても、ノラに傷を負わせるのは確かに想像できず、それもまっとうな判断だろう。
「いいやん。仲間として入るちゃけんが強か方がよかろうや」
思いのほか上機嫌なモモックがノラを見上げて喚く。
サンサネラもその態度に、僕と目を見合わせて苦笑を浮かべた。
誰も彼も、迷宮に入っている間は仲間なのだ。
地上でのいざこざはすべて忘れて上機嫌な方がいいに決まっている。
「じゃ、行きましょう。昨日は地下一階でしたけど今日はとりあえず十五階辺りを中心にうろついてみたいと思います」
僕が呼ぶと、空の彼方からコルネリが飛んできて、ふわりとリュックに張り付いた。
ノラの加入もあり前衛の能力は十分。後衛は不安が残るけども僕とモモックなら火力不足の心配はない。
ジャンカは危険度について十分な知識を持ち合わせず、よく理解できていないようだけど、それもすぐに理解するだろう。
地下十階を超え、さらに潜った先にどんな魔物が棲むのか。
そしてもはや地下一階にたむろするそれとは完全に別物である強大な魔物たちと互するためにはどの程度の力が必要なのか。
とりあえず、ジャンカの妙に高いプライドはこの機に砕き去ってしまいたかった。
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