第367話 老婆Ⅱ

 ついでだからと、僕たちはトボトボとベリコガの家に向かった。

 ベリコガの家は中間階層とでも表現するべき、中小規模の資産家が住まう一角にある。

 目立たない通りを曲がり、人気のない路地を行くと目的の家を見つけることができた。

 人を訪ねるのはやや非常識な時間帯だけれども、こちらは時間がないしかかっているのは命なので許して貰いたい。


「こんばんは、ベリコガさん!」


 扉を叩くと、しばらくして寝間着姿の老婆が顔を出した。

 片手に蝋燭台にのった蝋燭を持っている。

 

「夜更けになあに? あの子なら今晩は留守ですよ」


 眠そうに目をこすっているので、老婆は既に就寝中だったのだろう。

 おそらくこの老婆がベリコガの母だ。

 細身で小柄。色の抜けてしまった髪は真っ白で、瞳は緑がかっていた。

 顔は皺だらけで、腰も曲がっている。おそらくローム先生よりもかなり年上だろう。

 北方領主による大規模な財産没収劇に巻き込まれたベリコガが『荒野の家教会』にすがって身柄を保護して貰ったところまでは知っていたのだけど、家を直接訪ねることも滅多になかったので会うのは初めてだった。

 

「ああ、いえ留守ならいいんです。お騒がせしました」


「あの子に用なら伝えておくわ。あなた、あの子の生徒ね。お名前は?」


 一応、僕の方が指導者なんだけどね。なんて思いながら、苦笑する。

 

「あ、いえ本当に大丈夫ですよ。また訪ねますんで……」

 

 老婆はベリコガに説明するためだろうか、僕の顔や身なりを観察しているようだった。やがて視線はゆっくりと僕の後ろにそびえる黒い影へ。


「ギャ!」


 老婆は目を見開いて驚くと、そのまま床にへたり込んだ。

 手に蝋燭台をもったまま、尻をしたたかに打ち、ドンと痛そうな音を立てる。

 冒険者にはそうでもないけど、闇夜に佇む黒猫は一般的に考えれば見づらかろう。ましてサンサネラは暗い色の服を好む。

 僕より遙かに大柄なサンサネラの目は暗闇に浮かんで見えたのかもしれない。

 丁寧にお辞儀をして扉を閉めたい欲求に僕はあらがい、老婆に声を掛ける。

 

「大丈夫ですか?」


「ヒイ、化け物!」


 怖気に震える老婆は北方出身であり、南方に住まう亜人族群は見慣れないのだろう。

 しかし、実のところ人間から離れつつあるという点ではサンサネラよりも僕の方がよほど化け物なのだけど。

 

「まあまあ、お婆ちゃん。アッシは別に噛みつきゃしねえよ。アンタ、ガリガリで食いでがなさそうだもん」

 

 にゃはは、と笑うサンサネラに老婆はさらに青ざめる。

 だけど、玄関口の暗さに目を細め、ようやくそれが邪悪でも凶暴でもないと判断したらしい。

 老婆は落ち着きを取り戻して胸をなで下ろした。


「ええと、脅かしてごめんなさい。僕ら、このまま帰りますんでベリコガさんによろしく」


「ま、待って……腰が」


 扉を閉めようとして、老婆の声がそれを阻んだ。

 見れば老婆は本当に腰が立たないらしく脂汗を額に浮かべ、苦しそうな表情でこちらを見てる。先ほどの尻餅で腰を痛めたのだろう。

 驚いたのは向こうの勝手だけども、夜更けに訪問したのはこちらで、若干の引け目もある。

 

「しかたない。サンサネラ、お婆さんを助けてあげて」


「うむ」


 僕のひ弱な腕では老婆を持ち上げたり出来ない。

 それは老婆も一見して理解できたらしく、巨大な猫人におとなしく身を任せた。

 歯を食いしばって恐怖に耐える姿勢はさすが、武門の婦人なのだろうけど、その気丈さは腰を抜かす前に発揮して欲しかった。


 ※


 彼女を居間の椅子に座らせると、僕たちにも座って行けと裾を引っ張られた。

 内心、次の前衛を探さねばと思っていたのだけど、さすがに知り合いの母を無碍にはできまい。

 

「そこの戸棚にお菓子があるわ。お茶を入れたいのだけど、ごめんなさい」


「ああ、お構いなく。すぐにおいとまします」


 僕はいうのだけど、サンサネラは遠慮なく菓子の入った籠を取り中の焼き菓子を口に運んだ。

 

「うん、うまいよ。アナンシさん、あんた飯を食ってないだろ。食べてみなよ」


 無邪気に差し出された菓子を一つ食べると、確かに美味しかった。

 卵の風味がする。

 すくなくとも、僕の故郷では誰も食べた事はないだろう。

 

「あら、お気に召したならよかった。それは私が焼いたのよ」


 老婆は手で腰をかばいながら、嬉しそうに笑った。

 

「痛みますか?」


「ええ、とても。でもあなたたちのせいじゃないわ。猫さん、失礼なことを言ってごめんなさい」


「気にするなよ婆さん。そんな扱い、ガキの時分から慣れっこさ」


 サンサネラは軽く笑うのだけど、人間社会の中で少数の亜人が混ざるというのはそう幸福な事ばかりでもないだろう。

 

「しばらくは動けないでしょうけど、治った頃にまた来てちょうだい。お菓子はまた焼いておくわ」


 痛みに顔をしかめる老婆に、僕は手のひらを向けた。

 ダメージの度合いにもよるけど、もともとの体力限界が低い彼女になら十分に効果があるのではないか。


『傷よ癒えよ』


 ほんの一回、気休め程度にしか効果のない回復魔法を唱えると、老婆は驚いた顔をした。


「まあ、すっかり痛みが消えたわ。あなた癒術士なのね。助かったわ」


「いえ、効果が出たなら良かったです。それじゃサンサネラ、帰ろうか」


 老婆に別れを告げ、席を立つと再び裾を掴まれた。


「まって、せっかくだから食事でも食べて行きなさい。おいしいシチューがあるの。黒パンも。すぐに準備をするわね」


 そういうと老婆は居間に隣接した台所で本当に食事の準備を始めた。

 奇妙な粘りのあるところはベリコガに似ている。

 結局、僕たちは帰る機会を窺いながらも食事とその後のお茶までごちそうになったのだけど、老婆の作ったという料理はどれも美味く、ロバートたちとの食事会より遙かに充実した食事になったのは救いだった。

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