第362話 本番未遂
「アナンシさん、迎えが来たぜ」
扉の外からサンサネラの声が響いた。
今回の冒険には信頼できる仲間も入れたいと思い、早朝から使いを出していたのだ。
彼は言付けを預かった子供と一緒にやってきて食堂で早めの朝食にありついた。
僕も、彼や他の家族と共に朝飯を食い、顔を洗い、迷宮行きの準備を済ませる。
あとはジャンカの使いがくれば出発するだけになっていたのは確かだ。
しかし、妙に時間があり泣き出したサミを寝室に見にいってルガムと共になだめて寝かせ着け、それでもまだ迎えは来ない。
他の子供たちと遊びに行ったアル、しっかり寝付いたサミ、そうして家の中で動いているのは僕とルガムの二人だけ。
光取りから射した朝日に、なんとなく雰囲気が盛り上がり唇を重ね、そのまま久しぶりに彼女の体に舌を這わした。
サンサネラの声が響いたのはそれからすぐの事だった。
長い長い、一瞬の懊悩のあとに半裸の妻から身を起こし、脱ぎ散らかした服を再度身に纏う。
もう少し待たせて最後まで、などという魅力的な選択肢を毅然とはねのけた自分を慰めたくなる。
「あ、待って。死なないでね!」
我に返ったのだろう。顔を赤くしながら服を着る妻がたまらなく可愛く思える。そして、毎度投げかけられる願いに「頑張るよ」と応えて僕は玄関に向かった。
いくら慣れてきたとしても、二度と戻れない可能性が常にある。
そんな厄介な場所に厄介事を抱えて潜る僕なりの、精一杯の誓いだ。
※
迷宮の前の詰め所で手続きをして冒険開始。
今回、書類上は僕の一人歩きという形になる。
実際は前衛にロバート、ジャンカ、サンサネラを据え、後衛にモモックと僕、そうして僕の背中にコルネリが引っ付いているのだけど、迷宮前に配備された衛士は申請書類を見ない。なので、顔見知りの僕を見て冒険者パーティだと思いこむのだ。
迷宮に入り、入り口から見えなくなったあたりでロバートが担いでいた麻袋からモモックを取り出した。
モモックはノビをしながら首を回す。体調は良さそうだ。
僕は二度、手を叩くと一行の注目を集める。
気分だけでも指導員として振る舞いたかった。
「ええと、今回の目的はジャンカさんの順応を進めることです。回復魔法の使い手がいないので、ロバートさんも、サンサネラも十分に注意してジャンカさんを補助してください」
ジャンカの視線が剣呑なのは、僕の後を追わせた部下が二人とも戻らなかったからだ。
僕はそもそも監視者が付けられていた事さえ知らないのだから、それを僕に聞かれても困ると突っぱねるとジャンカは黙ってしまった。
ロバートとモモックが鷹揚に、気にしない姿勢だったので梯子を外された形のジャンカはなおのこと拗ねてもいるのだ。
「モモックも、ジャンカさんの支援を第一に後衛から攻撃に加わってくれる?」
「任せとかんね」
モモックは短い腕で自らの胸を頼もしく叩いた。
ジャンカ以外は迷宮に慣れていて、まずは実力を見なければいけない。
状況次第でパーティに僧侶を加えるか、魔法使いを加えるか、それとも五人で進めるのかを判断するつもりだ。
「前もって目標を立てますけども、ジャンカさんの順応は地下七階の魔物と戦える程度までとします。判定はロバートさんとサンサネラにお願いします」
どこまで行っても僕に教えられる事は迷宮の歩き方だけなのだ。
「地下七階というのは何故?」
ロバートが長剣を抜きながら尋ねた。
「期限と成果を考えた結果ですね。おおよそ、七階を歩けるようになったころイシャールと戦えるようになります」
運が良ければ二十回に一度程度は勝てるだろう。
少なくとも常人の域は越えるのだ。そうなればガルダがいかに順応を進めているといっても職能の差でジャンカが勝つ。正面から戦えば。
仇敵を正面に持ってくるのは本人の手管であって僕の関知する事ではないけどね。
「わかった。とにかく戦えばよいのだろう」
ムスッとした表情を浮かべ、ジャンカも片刃の曲刀を抜いた。
ノラの持つ武器よりも短く、薄い。馬に乗ったまま使うのに向いた曲刀である。
砂漠は歩いて渡るのに全く向いていないため、動物に騎乗して渡るのが普通だと聞いた。砂漠の王子はなるほど、砂漠で戦う為の武器を修めたものと思われる。
「とりあえずは確認からいきましょうか」
薄い魔力がすぐ近くにたむろしている。
そちらに一行を導くと、果たしてそこには四匹の大蛾が舞っていた。
脅威度は低いものの、攻撃が当たりにくく、コツコツとした攻撃は冒険者の体力を徐々に奪っていくので、初心者は油断できない。
遭遇と同時に戦闘が始まり、最初に動いたのはサンサネラだった。
大胆に距離を詰めると蛾を一匹、切り裂く。
次いでロバートの長剣が近づいてきた一匹を雑に叩き潰した。
残り二匹。
これはジャンカに相手させて様子を見よう。僕はいつでも魔法を放てる様に準備しながら、ジャンカの背中に注目した。
サンサネラとロバートも同様の判断をしたらしく、二人はジャンカからほんの少しだけ距離を取る。
コルネリも好物を前にしてそわそわしているものの、僕の意志を理解し、我慢してくれている。
当のジャンカもそれに気づき、二匹の大蛾に向かい構えた。
覚悟が出来ているのか、背中から動揺は見て取れない。いよいよ、迷宮内の初陣である。
その直後、戦闘は終わった。
サンサネラとロバート、それから僕は驚いて顔を見合わせる。
「なん、アンタたちサボらんで戦わんね」
鉄管を手にしたモモックがため息を吐きながら言った。
珍しくやる気で、片手には整形された小石をじゃらじゃらと持っている。
二匹を一度に打ち落とした技量は凄いのだけれど、もう少し空気を読んでくれ。
それでも、ジャンカを支援してくれと頼んだのは僕なのだから、文句も言えない。
一人残されたジャンカは、獲物のいない虚空に武器を向けたまま、上擦った表情を浮かべていた。
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