第359話 危険な男なので
酒場を出た足で自宅に向かうと、外で見張っていた監視者はすぐに後ろを着いてきた。
ということは相方の異常には気づけまい。
このまま家に入れば不自然な点もない。そう思った僕を、直前で止めた者がいた。
「よお小僧。夜遊び帰りか?」
ルガム邸、教会、ガルダ商会倉庫で構成される共同体の中央はちょっとした広場の様になっているのだが、そこへ設えた野外テーブルいっぱいの総菜で酒盛りしているのは、怪人カルコーマだった。
周辺には僕が西方から連れ帰った孤児が数名、相伴に預かっている。
強引なこの男を無視はできない。けれども、監視者から何か勘ぐられるのも面倒だ。
「いえ、ちょっと用事があってその帰りです」
カルコーマは僕の回答に興味なさそうに、堅焼きパンに豚肉を挟んだ物を噛みちぎり、酒で流し込んだ。
と、思い出したように眉間に皺を寄せ、僕の胸に指を突きつける。
「あ、そんな事よりもオマエ、晩飯前に黙ってどっか行くんじゃねえよ。オマエの嫁さんやらがオマエを探してガチャガチャしてたせいで飯が遅くなったんだからな」
ちょうど、そのころは誘拐されて運ばれていた。
不可抗力だと思うのだけれど、いいわけにも出来ず、曖昧にうなずく。
子供たちは脇から机に手を伸ばし、思い思いに食事を取っており僕も急に空腹を思い出した。
ルガムはいつも、簡単な夕飯の残りくらいとっておいてくれる。早々に切り上げて家に戻ろう。
僕は会釈をして立ち去ろうとした。
「おい、待てよ。オマエが連れてきた奴、あの物陰でじっとこっちを見てるが酒手の取り立てか? それならすぐに支払って追い払え。胸糞悪い」
遠慮のない大きな声は監視者にも聞こえた事だろう。
僕は思わず舌打ちをしていた。
あくまで気づいていない体で通したかったのだけど、事ここに至っては知らん振りを突き通すのも不自然だ。
「え、どれですか?」
カルコーマが指した方向へ振り向くと、監視者が警戒して一時的にその場を離れることを期待した。
しかし、よりによって監視者が物陰から出てくるとは。
「先ほどから監視をさせて貰った。見つかったとあれば仕方ない。無用な会話は切り上げ、早々に自宅へ入りなさい」
およそどこにでもいそうな中年男性。それが監視者の外見だった。
彼にはこのまま戻って、問題なしの報告をして貰いたかったのに、本当に困ってしまう。
しかし、カルコーマは立ち上がり、つかつかと監視者の方へ歩み寄った。
「うるせえ。とっとと失せろ」
面倒そうに、心底からうっとうしそうに言い捨てる。
異形の怪人から恫喝され、監視者はさすがにひるんだ様であるが、それでも毅然とした態度で何事か言い返そうとした。
その頬はカルコーマに張られ、言葉を発することは叶わなかったのであるけども。
監視者は驚いた顔で張られた頬を押さえた。
と、その押さえた手を無理矢理どけてさらにビンタを張る。
小気味のいい破裂音が周囲に響きわたった。
「なんだ、その目は?」
カルコーマの左手が監視者の髪をむんずと掴むと、さらに頬を張る。
ピシャリ、と派手な音を立てるのだけど、力は加減されている。
というよりも、本気なら最初の一撃で監視者はバラバラになっていただろう。ただし、痛みと屈辱は十分に与えられる。
監視者が何事か言おうと口を開く度にピシャリと叩かれ、それはしつこいほどに繰り返された。
十数回目が叩かれる頃には監視者の頬は赤く腫れ上がっており、唇は切れ、鼻水と涎が顔を汚している。目つきも当初の反発的なものから苦痛を通り越し、恐怖に染まっていた。
何か言おうとしても叩かれ、黙っていても叩かれる。
見る間に心が削れて行くのがわかり、なるほどこれはカルコーマの洗脳術なのだと解った。
問答も無く、なにも出来ない状況で頬を張られ続けると人はたやすく絶望するのだ。殺さずに相手を屈服させるには合理的な行動かもしれない。
「あの、じゃあ僕は戻りますんで」
僕の言葉に監視者は、驚いた様な顔を浮かべて僕を見た。
最後には僕が制止に入るとでも思ったのだろうか。
彼は勝手にカルコーマを怒らせて暴行を受けているだけだ。
それどころか、彼らは敵対の可能性を強く孕んだ集団で、遠回りとはいえ脅迫を受けている。
助けてやる義理は欠片もない。
ベチン、ベチンと音が響く中、僕は子供たちに挨拶をして家に入った。
※
玄関を開けてすぐの台所には誰もいなかった。
サミの寝台も空なので、寝室なのだろう。
しかし、残り物を漁っているとルガムが出てきた。
「ただいま」
何とも不機嫌そうな妻はため息を吐いて台所の椅子に腰掛ける。
「急に、どこへ行っていたの?」
一瞬だけ悩んだのだけど、僕は順を追ってすべてを話した。
もし、僕が死んでしまってさらに最悪の事態が続けばルガムがステアと手を合わせて対応し、家族を守らねばならないのだ。情報は多い方が動きやすい。
ただ、ロバートの説明をするときに成り行きでアンドリューの名前を出してしまったことは、気丈な彼女の顔色が青くなるほどおびえさせてしまい、とても申し訳無い気持ちでいっぱいになった。
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