第358話 意趣返し

 とにかく一度、家に帰らないことには迷宮に入るも入らないもない。

 僕は夕食前に誘拐され、リュックやその他の道具を持っていなかったのだ。

 というわけで帰宅を要求すると、割とあっさりと解放された。

 しかし、当然の様に釘をさされ、ジャンカの言によると数名の部下が僕を絶えず見張っているらしい。


「毒使いがいなくなったので、その毒を捨てる場所はないか?」

 

 そんなことをいいながら見送るジャンカに、苦々しい視線を向けながら僕は扉を閉めた。

 外は既に日がくれてしまっていて、暗闇に見える山の稜線が自宅までの距離の遠さを突きつける。

 いっそのこと、振り返って屋敷を燃やしてくれようかとも思うのだけど、交渉の俎上に僕の家族が乗せられている。この状況では無茶もできない。

 翌日の昼前に僕の家へ使いの者が迎えに来るという。

 それまでに打てる手は打っておこう。

 とぼとぼと歩きながら、心でコルネリを呼ぶとあっという間にやってきて、僕の頭上を旋回した。

 暗闇を高速で飛ぶコルネリの存在はそれと知っていなければまず気づくことができない。

 人里離れた草原を、しかも日が沈んだ夜中に歩いている者はほとんどいない。

 感覚の鋭いコルネリに探らせると、周辺で僕の後を隠れながら進む二つの気配もすぐに察知してくれた。

 間違いなくジャンカが手配した監視者だ。

 僕の行動を観察しジャンカに報告するのだろうから、彼らの視線から隠れるのはむしろまずい。

 従順な姿勢を見せて、その情報を持ち帰って貰わねば困るのだ。

 僕はうるさいほどの虫の鳴き声を聞きながら、頭を掻いた。


 ※


 僕の足で都市に帰り着く頃には、すっかり夜も更けていた。

 もちろん、そうなるようにゆっくり歩いてきたのだけれど。

 時間的には屋台も引き払っており、食い損ねた夕食をとるのに足が向くのは行きつけの酒場である。これは自然であろう。

 店に入ると、客の入りは八割ほど。夕飯を目指す客は退き、代わりに酒飲みたちが増えてくる頃だ。

 客には知り合いも何人かいたが、愛想笑いをして隅の二人用席に座る。

 やがて、後に続いて別の客が入ってきて、僕の近くの席に一人で座った。間に席がもう一つあるものの、無人なので僕の監視には都合が良さそうだ。

 コルネリから送られてくる情報によると、その男が僕を追いかけてきた内の一人で間違いなく、もう一人は店の入り口が見えるところで監視しているようだった。

 目深に帽子をかぶった男は何食わぬ顔で店員に食事を頼む。

 僕も、注文を取りに来た店員に適当な食事を頼み、次いで監視者に聞こえる程度の声で「例の話で相談があると、店主にお伝えください」と言付けた。

 店主はすぐに階段を下がってきて、大股で僕の方に歩いてくる。『例の件』とは当然、塩の密輸に関する投資案件であって、僕の気が変わらない内に話をまとめたいのだろう。

 監視者の視線は歩み寄ってくる店主の方を向き、僕がそっと立ち上がるのに気づかなかった。

 

『眠れ!』


 後ろから近づいて、静かに発した魔法は男の意識を飛ばす。

 目立つのはまずいので机に倒れ込む前に体を支えると、そっと机に頭をおろし、自分の席に戻った。

 周辺の客が誰もこちらを見ていないのを確認し、胸をなで下ろす。

 

「ん、どうした小僧?」


 怪訝な表情で店主が僕と、机に突っ伏した男を見た。

 店主は僕をめがけて歩いてきたので、僕が何かをしたのも解っていた。

 

「ちょっとお願いがあるんですけど、あの人の料理に睡眠薬とか盛れます?」


 僕の小声のお願いに、店主は眉間に皺を寄せてうなる。

 互いに、他の客に聞かれていいことはない。

 幸い、店内は酒飲みたちがザワザワと雑談に興じているので、会話の内容までは聞こえないだろう。


「今、魔法で眠らせているんですけど、効果はすぐに切れるんで」


 本格的に眠らせるのであれば、きちんと薬を使った方がいい。

 この店主の事だ。当然、そういった物の用意もあるだろう。

 それくらいには信用している。 

 

「安くはねえぞ」

 

 客の前で物騒な問答は避けたいのか、店主はそれだけを呟くとすぐに戻っていった。

 と、監視者の男は住ぐに目を覚まし、顔を上げると驚いた表情で周囲を見回す。その様は不自然で、近くの席に座る僕としてはびっくりした顔でそちらを見るのが自然だろう。そうして僕と目が合い、男は慌てて視線を逸らした。

 隠れて観察するはずの観察対象から見つめられ、顔を覚えられるのは以降の任務に差し支える。そうすると、不自然な点があってもこの場では追求できまい。

 

「あの、どうかしました?」


 追い打ちの様に声を掛けると、やや狼狽気味に咳払いを一つ。


「いや、なんでもない」

 

 男はこれ以上関わるなと素っ気ない返事をしてそれきり黙り込んだ。

 やがて料理が運ばれてきて、それを自然に口に運び、そうして男は再び昏倒した。

 彼が次にいつ目覚めるかは僕にも解らない。

 酔っぱらいたちは大いに酒を飲んでいて、時間的にはまだ早い昏倒者に注意も払っていない。

 そんなもの、あと一時間もすれば店中で珍しくなくなるのだ。

 僕は店員から紙と筆記具を貰うと、店主宛の手紙を書く。

 『安くない』支払いをするついでだ。

 強欲商売人兼この都市の有力者である店主にも、働いて貰おう。

 僕は運ばれてきた軽い食事に手を着けず、支払いを済ませると店を出た。

 なんとなく、客への料理に薬を混ぜる店の料理なんて口に入れたくなかったのだ。

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