第331話 カプセル

 地下の迷宮に慣れた身でも戸惑う、奇妙に薄暗い空間は天井に転々と光芒が浮いて周囲を照らしていた。

 下へ降りる足場は静かに進むのだけれど、それでも一定間隔に並べられた光芒が視界に入る端から消えていくので相当の速度だと分かる。

 なんとなく、股間がそわりとして一個しかない睾丸が縮み上がるのを感じた。

 普段の迷宮も死に通じる非日常だけど、こちらも雰囲気では負けていない。このままどこまでも落ちていき、その先が死の世界だといわれても不思議ではない気がする。

 静寂の中でただ、サンサネラの苦しげな呻きだけが僕たちの間で空気を揺らし、落ち着かない僕の手は首の裏をボリボリと掻いた。

 はがれ落ちた垢がポロポロと掌に落ちる。最後に行水をしたのはいつだったろうか。

 それだって、ざっと汗を流すだけなのでキチンと垢をこすり落としたのは………ステアに勧められて『荒野の家教会』で入浴したときのことが鮮明に脳裏に浮いた。

 薄暗い湯気に浮かぶ真っ白な肢体は神々しいほどに美しかった。

 その美しい新妻からなんのかんのと理屈をつけて逃げだし、未だに抱いていないことがひどく惜しくなる。

 互いに愛しているのだから、受け入れればいいのにお腹の大きいルガムの事が気になってどうしても踏み込めなかった。それも今なら進める気がする。

 いや、おおげさにものを言うのはよくない。

 知識として知っている事ではないか。戦場で兵士の性欲と食欲は増大する。だから軍隊は大勢の公娼や私娼を随伴させるし、酒保商人が割高な値段を付けても菓子類はよく売れる。

 なんのことはない。ムーランダーとの乱戦によって僕も典型的な戦場病に罹患しただけだ。

 そう考えるとなんだかおかしくて、思わず笑いそうになる。

 異常な状況でも慌てないのが弱者の生き残る術ではなかったか。

 

「マブシさん、ムーランダーの生き残りは何名いるんですか?」

 

 僕の問いにマブシはゆっくりと首を動かし、三つの青い目が僕をとらえた。

 

「今回の件でまた減り、現在は六十名程だ。何故だ?」


「いえ、あなたたちを案内するにしても大勢はいろいろ準備がいるモノですから」


 戦場で王国軍と相対していた怪人たちは、下手をすれば権力との火種になるのでできるだけ隠しておきたい。

 六十ものネドコは僕の家にないし、国境から離れているとはいえ、こんなに目立つ連中を都市の中で歩かせるのもはばかられる。

 あの巨体ムーランダーと同様の存在が複数いるのなら迷宮都市に帰り着くことさえ危うい。

 

「それなら考慮する事はない。現在、一族会議中だが結論が出つつある。オマエについて行き、件の術師に会うのは私と他に二名だ」


「どういうことです?」


 彼は一族を引き連れて着いてくるとはいわなかったか。

 

「それについては私から話そう」


 唐突に、脳内へ声が響く。

 しわがれているが、イズメやマブシに比べればずっと明瞭で聞き取りやすい。

 しかし、周囲にはそれらしい人影はない。


「超空間通信の応用だ」


 マブシが枯れ葉の声で説明したのだけど、応用もなにも元の単語を知らない。

 

「オマエの脳に受信機らしき構造が見て取れるというのでな、介入したのだ」


 一瞬なんの事か分からなかったのだけど、おそらく猿の神に埋め込まれた魔力塊だ。

 コルネリと直結させる為のものに、他人が口を挟むのははなはだ不快だった。


「私は彼らの指導者である。指示を下すことはほとんどないがな」


 族長というやつだろうか。


「それがこの下にいるんですか? それならもう少し待っていてください。このように話しかけられるのは気持ち悪いので」


 僕がいうとマブシは首を振る。

 

「私はオマエの向かう先にはいない。会いに来るというのであれば止めぬが、現在の文明度では不可能だろう」


「族長は深海に沈んでいる。我々でも会いに行くのは困難だ」


 こいつらは一体、何のことを話しているのだろうか。

 と、下降する足場が目的地にたどり着いたのか、停止しマブシはサンサネラを浮かべたまま歩き出した。


「我々がこの星に降り立ち、最初に築いたコロニーには乗ってきた巨大な船舶を残してあるのだ。その島が海の底深く沈んでしまったとしても、決して失う訳にはいけない大事な船舶を私は……」


「あの、ごめんなさい。さっぱりイメージも湧かないのでその辺の事は省略して貰っていいですか?」


 そもそも海を実際に見た事もない僕に、一体なにを思って壮大な話しを語ろうと言うのだろうか。

 そういうのはもっと、向いた人に話せばよい。僕はただ気持ちの切り替えがてら、ムーランダーの勢力を探りたかっただけだし、もっといえば一刻も早いサンサネラへの処置を施して貰わねばならない。

 マブシは無表情のままこちらを見たのだけど、すぐに歩き始めた。

 族長も僕の気持ちを理解してくれたのか、口をとじる。

 

「とにかく、我々の大多数はここへ残る。もはや、ここ程度であっても拠点の再建は覚束ないのでな」


 枯れ葉の声でマブシは言い、壁に手をかざす。

 すると音もなく壁が開き、内部には広い空間が広がっていた。

 室内には巨大な球体が並んでおり、どれも緑の光を灯している。

 

「その球は超長期の安眠機だ。先ほど結論が出て、既に皆が眠りについた。私が解錠をしない限り彼らは千年の間、眠り続けるだろう」


 簡単に言うものの、途方もなく長い時間だ。

 感慨があるのか無いのか、淡々と話すマブシは球を横目に通り過ぎ、部屋の奥にある箱の前で足を止めた。

 透明な板が天面にはめ込まれた箱の蓋は手を触れるまでもなく開き、サンサネラの体はその中に納まった。

 ふわり、と置かれたにも関わらず、サンサネラの表情は険しくゆがむ。


「あの、千年とか寝かされると困るんですけど……」


「これは人間用の簡易医療装置だ。そんな機能は無い」


 透明の板を通して見える箱の中では、ムーランダーを構成する繊維の様な紐がグネグネと動き、サンサネラに絡みついていた。

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