第294話 夜間飛行

 抗おうにも魔力は感知できない。知識を持たない不可思議な攻撃に、大人しく従うしかなかった。足は勝手に動くし、止められないのだけど丘を登るのにきっちり疲れるのはいただけない。

 小走りに駆け上がらされた僕の目に飛び込んできたのは綺麗な星空と、二つの影だった。

 月明かりに照らされた兵士が一人。そうしてその横に、長くて白い毛の固まりがたたずんでいる。

 どう考えてもそれがムーランダーだ。

 よく見れば手足を持った長毛猿の様な生き物は顔と思わしき場所に赤い光芒を三つ持っている。

 

「オマエ、何者だ」


 枯葉が震えるような奇妙な声。

 再度、内臓をまさぐられるような不快な感触が僕を包んだ。

 言葉数は少なくても、振るう力の正体はつかめなくとも三つの眼が雄弁に語る。この生き物は僕の体を覗こうとしているのだ。

 僕の足は兵士の前で止まった。

 目の前に槍の穂先が突き付けられ、背筋が寒くなる。

 逃げようとしても足は動かない。

 しかし、それは逆に慌てても仕方ないことを意味し、僕の心をほんの少し落ち着けた。


「知りたいことがあれば全部話します。質問は何ですか?」


 生徒に向けるような口調で毛玉に話しかける。

 そもそも、相手がルガムか一号ならともかく、こんな場所で出会う相手に隠すことはいくらもない。

 

「所属と目的を述べろ」


 応えようとして言葉に詰まる。

 所属……僕の所属とは一体何なのだろうか。

 冒険者組合か、ラタトル商会か、それともブラントの一党か。僕が帰属意識を持っていないのだからいずれも違うはずだ。

 

「あの、質問が漠然とし過ぎて……今は一応、ゼントロウ商会にお邪魔している客分なんですけど」


「オマエは王国兵に混ざる連中と似ている。しかし、明確に違うこともある」


 違うところ。

 僕の手は無意識に自分の股間を抑えていた。


「あの、事故っていうか、睾丸を一個なくしてしまいました」


 ムーランダーは無言で僕を見据え、再び悪寒を飛ばして来た。


「欠損ではない。お前には普通の人間にはない器官があり、発達している。外科的手術ではないが、後天的に体を作り替えたな」


 確かに作り替えられた。全く望まない激痛と共にだけど。

 

「高度な心霊手術だ。どこで誰に受けたのかを言え」


 槍の穂先が僕の鼻先を撫でる。

 構える兵士の顔を見るのだけど、意識があるのかないのか、瞳孔が完全に開ききっていた。

 

「一号っていう女性からです。場所は王国東端にある迷宮の中」


 答えるとムーランダーは考え込むように押し黙り、僕の耳には遠くで瞬く星の音だけがあたりに響く。

 数分間沈黙が続き、ようやくムーランダーは口を開いた。


「改めて聞く。目的はなんだ」


 目的といえば、まさに彼らの調査だった。

 魔力は感じないが、他者を操る術を使う。しかし、これで十人や百人を操ったところで戦争には勝てないだろう。

 まして相手は王国精鋭兵団である。


「こちらも改めて言いますけど、質問には具体性を持たせてくれませんか?」


 多少なりとも興味を持っているのならいきなりは殺されまい。

 目の前の槍、初めて見る種族、体を操られる不可思議な経験。それらが僕の心を浮つかせて、それに気づくのを遅らせた。

 駄目だ!

 思うよりも先に目の前の槍が掻き消える。

 

「コルネリ、待って!」

 

 いつもはフワフワとした心持のオオコウモリは激怒していた。

 はるか彼方から高速で飛来し、兵士の頭部を捉えると一息にはるか彼方まで飛び去って行った。

 兵士の死体が血を噴き出して倒れる瞬間、ムーランダーは血の軌跡をたどってコルネリが飛び去った方角に首を向け、僕の拘束は解けた。

 

『死人よ、僕に代わって戦え!』


 死霊術を発動すると、上手い具合に首の無い兵士は僕の支配下に落ちる。

 視線を戻したムーランダーはこちらを見るなり両腕を掲げた。


「貴様、死人使いか」

 

 頭を振りながら念じているようだけど、先着の問題か、死体は操れないのか兵士は僕の思い通り動いてムーランダーに槍を向けた。

 

「抵抗は止めて。戦いたい訳じゃないんだ」


 しかし、ムーランダーは気にせず手を挙げると「止まれ」と呟いた。

 同時に兵士は動きを止めて倒れこむ。

 支配権を奪われたのではない。単純に動きを止められただけだ。

 まずい。魔力を抜かなくては。

 僕が木偶となった死体から魔力を抜くわずかな時間に、ムーランダーはこちらを見る。

 三つの小さな赤い目が明滅した気がした。

 動けない。それどころか視界も真っ暗になり呼吸も止まる。

 ぼんやりと響く大きな衝撃は殴られたのか、倒れて地面に打ち付けられたのか。それさえわからない。

 眼は見えないものの、体内を循環する魔力は変わらず読める。つまり、魔法は発動できそうだった。まだ戦える。

 ただし相手は見えない。

 しかし五感を奪われても、もう一つわかることがあった。

 精神が繋がったコルネリの行動。

 獲物をめがけて降下するときの高揚を感じた後、ややあって五感が返って来る。

 やはり倒れていたらしく、僕の顔は地面に張り付いていた。

 打ち付けたのだろう。殴られたような激痛が襲うけど、今は無視だ。

 慌てて体を起こすと、高く飛んだムーランダーの腕が音を立てて地面に転がった。

 切断したコルネリは再び羽ばたいて夜空に溶け込んでいく。さえぎる物のない夜空で、彼は無敵の強さを発揮する。

 肩から緑色の体液を噴き出すムーランダーは再び僕を見たが、何事か呟くと蝋燭の火を吹き消すように掻き消えた。

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