第293話 猫は逃げる

 テリオフレフと出会った日に、彼女を救えるほどの力があればよかったと今でも思う。

 その時は力への漠然としたイメージしかなかったけれど、今ならもう少し具体的にわかる。

 すなわち個人の能力の他に財力と組織力である。

 サンサネラは自分の顎を撫でながら考え込む。


「アンタについて旅に出るのか……」


 耳がビクビクと動き、ヒゲがピンと張った。

 

「答えはいつまでに出せばいいんだい?」


 サンサネラは眼を細めながら僕に聞いた。


「今すぐ」


 短く回答する。

 こういうものは長く考えずに早く結論をだしてしまった方が互いのためにはいい。

 サンサネラは眼をパチクリさせると鼻で笑った。


「じゃあ、行こうかな」


 相好を崩し、尻尾を一振り。

 飄々とした彼はそれで自分の迷いを叩ききったようで、いつものさっぱりした表情を浮かべた。

 こうして猫の亜人は正式に僕の仲間になった。

 内心では、断られることも考えていたので、安堵に胸をなで下ろした。

 僕は興奮を抑えられずにコルネリの背中をワシワシと撫でる。コルネリは迷惑そうにこちらを見たのだけど、心境が筒抜けであるので我慢して柔らかい毛並みを提供してくれた。

 

「やあ、ありがとう。サンサネラが記念すべき最初の仲間だから、よろしく頼むね」


「ム、あの二人は違うのかい?」


 サンサネラは怪訝そうな表情で首を傾げる。

 彼から見ればマーロとパラゴは僕の仲間と認識していたのだろう。

 

「仲間には違いないけど、彼らの雇い主は僕じゃなくて別の人なんだ。だからこの旅が終わるまでが仲間でいる期限で、地元に戻れば彼らはまた別の仕事をするだろうね」


 他にもたくさん、話さなければいけないことがある。

 それでも、彼は都市に戻ったあとも仲間のままで、それはとても心強かった。


「イヤになったらすぐ逃げるさ」


「そうしたら誰も追いつけないね」


 僕たちは顔を見合わせると二人して笑う。

 コルネリも上機嫌がうつったのか、妙に嬉しそうに喉をならしていた。


 ※


「だからね、僕はあの陣地の秘密を探ったら国に帰るんだよ」


 村へ帰る道中、僕の正体や目的を語るとサンサネラはとくに抵抗なく受け入れてくれた。


「そりゃ、アンタ。アッシの路銀も持ってくれるんだろ」


 いいながら手を伸ばしてコルネリの背を撫でる。

 僕が彼を気に入ったのが伝わったのか、コルネリも好意的な態度で受け入れされるがままにしていた。


「サンサネラは家族に挨拶とかしなくていいの?」


 遠く、別の地に行く。まして国が間もなく蹂躙されるとなれば今生の別れとなる可能性が高い。

 

「今更、そんな性分じゃないさ。だいたい国の隅っこで向かえば何日もかかる。アンタは一ヶ月しか時間がないんだろう」


 迷う様子もなくサンサネラは言った。

 僕が故郷への郷愁を持ち合わせないように彼もまたそうなのだろう。

 閉じられた小さな世界は、一度そこから飛び出してしまった時点で帰る家ではなくなる。

 僕も生家に戻ったところで異物としてしか扱われない筈だ。

 

「早く用を済ませて戻りたいのは確かに。身重の妻も気になるし、こ……恋人のことも気になる。新しい妻とのことでもいろいろとやることがあるしね。でも、サンサネラに出会えたと思えばこの旅も悪くはないね」


 一号をなんと表現したものか迷ったのだけれど、互いに好意を持っている上に子供まで作っているのだから友人では混乱を招く。それで勝手に恋人と呼んだのだけど、怒りはしないだろうか。

 

「アッシもここで冷や飯を食って長いからね。ちょうどよかったよ」


 間違えても自分の生命よりも命令を重んじることはない。その点で僕らはよく似ている。

 軍隊が敗れたときは真っ先に逃げ出す筈だし、その後の身の振り方に悩んでいたのだろう。

 話しているうちに、村が見えてきた。

 パラゴとマーロに紹介する。そう言おうとしたとき、背筋が猛烈に寒くなった。

 サンサネラも総身の毛を逆立てている。

 間違いなくムーランダーだ。

 追ってこない筈ではなかったのか。そんな言葉が脳裏を掠めたものの、そんな場合じゃない。


「サンサネラ、先に行ってマーロとパラゴを呼んできて!」


「わかった」


 短く応えてサンサネラは駆け出す。

 猛烈な勢いの背中はすぐに村へたどりつき、建物の陰に消えていった。

 そして冷たい感触が離れないということは、追っ手の目的はやはり僕なのだろう。

 

「コルネリは離れていてよ」


 同じく身をこわばらせるコルネリを夜空に放り投げると、地面に落下する直前で翼をはためかせ、一目散に飛びさっていった。

 感覚の鈍い僕でさえ、たまらなく気持ち悪かったのだ。感覚の鋭敏なコルネリには耐え難かっただろう。

 見渡してもそれらしき人影はない。

 と、僕の足が勝手に動き出して今し方降りてきた丘の方へ向かう。まるで言うことを聞かず、自分の足ではないような感覚に、体を乗っ取られたことを知った。

 魔力によるものではない。全く無臭の攻撃に頭の中で警鐘が鳴り響く。

 これはまずい。

 判断と覚悟が求められる状況に、鼓動は早くなっていった。

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