第256話 必要な人
「ふふふ、いいのです。私もなんだかおかしくなってきました」
ステアの口元がひきつり、乾いた笑いが漏れる。
彼女の場合、戦闘中の役目は仲間の支援であって、敵が何者であるのかは関係ない。その余裕が逆にいろいろと考えさせてしまうのだろうか。
少なくとも精神力が尽きる前に、きちんと話をしなければいけない。
「ごめん、ちょっとあまりにもバタバタしてて……」
ステアの甘い体臭が鼻孔をくすぐる。そういえばここまで彼女に近づいたのはずいぶんと久しぶりだった。
「いえ、私も浅はかでした。迷宮の中ならゆっくりと別れの挨拶も出来ると思っていたのですが、ガルダさんがあなたを担ぎ出す時点で困難な任務だと知るべきでした」
別れの挨拶とか、やめてよ。
言いかけて言葉を飲み込む。
「あのね、僕たちは大事な仲間同士でしょ。特に君は一番最初の仲間だからさ……」
「そう、私の方がルガムさんより先に知り合っていたんですよね」
力ないため息がこぼれて、彼女は肩を落とした。
最初、とはいっても二回目の冒険からすでにルガムもいたので、一回の違いしかないのだけど、一番最初には違いない。
「ねえ、ステア。僕は『荒野の家教会』には決して入信できないけど、君は脱会したり出来ないの?」
ずっと考えていた。
彼女が『荒野の家教会』への帰属を捨てられれば全てが丸く収まる。少なくとも僕にとっては。
「無理です」
ステアは即時に返答した。
それはそうだ。彼女は幼い頃から教会に入り、信仰一筋に生きてきた。今更生き方を変えるのは並大抵ではないだろう。
かつて、テリオフレフや『恵みの果実教会』の一党だって行く末が見えていても信仰を棄てられずに殉じたのだ。おそらく、思いが強ければそれだけ、棄てることは苦しいのだろう。
と、カツンと音がして僕の足下に小石が転がる。
「あなたの暴言は我が教会に対する冒涜ですが、そのまま口を閉じるのであれば聞き逃しましょう」
小雨はこれ見よがしに小石を握っていた。
彼女は教団の暗部に潜み、這いずる守護者だ。当然、信仰の放棄を勧める僕のような存在は敵である。
「小雨さんはノラさんのことが好きなんですよね?」
僕の問いに小雨の目は大きく見開かれ、動きがとまった。
彼女はゆっくりとノラの顔を見上げ、そのまま顔を真っ赤にした。
「な、な、なんてことを言うのですか。私は敬虔な神の僕として……」
後半はゴニョゴニョとなって聞き取れなかったのだけど、ノラのことは武術家として尊敬しているとか、見た目も素敵だとかそのような言葉だと思う。
僕はもっと直接的な質問を投げかけた。
「じゃあ、異性として好きという訳じゃないんですか?」
「それは……好きですけど」
想定問答にない問いには彼女の本性が現れる。つまり、年相応の少女の思いだ。
カルコーマに芝居を打たせてまでノラと二人きりになろうとする彼女が、好意を指摘されて照れている。
「小雨さんはもともとステアの護衛として呼ばれた訳ですから、ステアが都市を去るのであれば小雨さんも帰還命令が出てもおかしくないですよね」
僕の指摘に、小雨の顔色はさっと青くなった。
そうなることを考えてもいなかったのだろう。
すがるような目でノラを見つめた。
「どこにも行くな。俺にはおまえが必要だ」
ノラの言葉に小雨の表情は輝き、その胸に抱きついた。
「け、け、け、結婚をしてください。ノラさん、地上に帰ったらすぐに!」
しかし、ノラはいぶかしげな表情を浮かべて小雨を見返している。
今の会話がなぜ結婚に結び着くのかを理解していない様子だった。
「僕がローム先生に聞いたところによれば、内部規定では配偶者の居住地から異動させられないらしいですが、果たして小雨さんのような特殊な立場の人にも適用されるのでしょうか。それも、教団全体がガタガタの時に」
小雨はハッとして自分の口を押さえる。
「そういえば、私と同じ立場の者で結婚した人を知らないです」
彼女は以前、幼い頃から鍛錬を受けて暗殺者になったと言っていた。
ということは、カルコーマと同じく一般的な家庭では育っていないことになる。
「組織の暗部を担う人材が簡単に外部の者と婚姻関係を結べるというのも考えづらいですからね。おそらく許可が出ないのではないでしょうか」
僕の推測に、小雨は顔をこわばらせた。ほんの数秒前に興奮してノラに結婚を迫った少女とは同一人物に見えない悲惨な表情だった。
「わ、私はノラさんの側を離れません……よ」
ひねり出すように言って、彼女はノラの服の裾をぎゅっと握った。
ステアと同じく、彼女も自らの思いと教団の板挟みに迷うのだ。
「私もそこまで迷い無く言えればいいのですけど」
横を見るとステアがうらやましそうに小雨を見ていた。
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