第254話 信仰
「左右どちらにも魔物がいる。右には五匹、左には十五匹。どちらにも十分な距離があるかな」
二股に分れる通路の前で僕はゼタに告げた。
ここまで来て技能を隠すこともないだろう。
ゼタは一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたもののすぐに理解したらしく右方向を指さした。
「なにも無駄に大勢と戦う必要は無いわ。右に進みましょう」
ノラたちも異議を唱えるでもなく右側に向けて足を進める。
しばらく進み、果たして遭遇したトロールたちと戦闘が始まった。
上層階で出会うトロールとは明らかに順応の度合いが違い、石の様な表皮とカルコーマに比しても二回りほど大きな体躯をもつ魔物は、しかし前衛たちの戦力には劣るらしくあっという間に片付けられた。
「ちょっとだけ、休憩をください」
ノラに向かって言うと、ノラは軽く頷いて壁に寄り掛かった。
小雨がすぐに横に移動し、カルコーマはトロールの死体を漁り出す。
「それで、いよいよトロールが現れたけど、これからどうするの?」
僕とステアが事前に聞いたところによれば、ゼタの依頼はトロールのボスの討伐である。
あるいは依頼人が誰かわからなければ疑問を持つこともなかったのだろうけど、ゼタの依頼としては随分と不思議な話だ。
「別に、依頼の通りよ。もっと先にいる親玉を退治して終わり」
「あのさ、そういう適当な話は止めて真意を話してくれないかな」
迷宮にトロールが異常繁殖した、というのは僕や彼女がそれにかかわる理由にならない。
こんな深くで起こる事象なんて、ナフロイの様な一線級の上級冒険者ならともかく、僕たちのような達人級となったばかりの魔法使いには無関係ではないか。
「それよりもさっきの魔物の探知、あれはどうやるのよ?」
「話をそらさないで貰えるかな」
僕の言葉に、ゼタはムッとした表情を浮かべ、深い息を吐いた。
「順応の進んだ魔物は武器となる様々な能力を獲得するのは知ってるわね。それこそ腕力、魔力、体力がわかりやすいけど、他に知能も上昇していく。亜人系だと社会性を強くして群れを拡大していくものもいるわ。今回のトロール群ね。トロールの群れが大きくなった場合、それを率いるのは戦士でなく神官なのよ。ねえ、知ってる? トロールは迷宮では珍しい神に祈る魔物なの」
彼女がなぜ、そんなことを知っているのか。今まで冒険者を続けてきて、僕は誰からもそんな話を聞いたことがなかった。
「トロールはね、何年かに一度、巨大な群れを築き上げて、やがてある時突然に群れごと消えていく。今回の件もそれに近いわ。以前に聞いた状況と、今はよく似ていて、間もなくトロールは消えてしまう。その前に神官と接触したいの」
「何のためにですか?」
横からステアが尋ねた。
神、神官という単語に反応したのか目つきは厳しい。
「もちろん、事実を知るためよ」
不意に、小雨も口を開いた。
「事実なんて知れています。神とはつまり私たちの祀る主のみが存在し、他はすべて神を僭称する不届きな何者かです」
迷いのない発言。
おそらく彼女に刷り込まれた『荒野の家教会』の想定問答に似たような問いがあるのだろう。
だがゼタはおそらく僕と同類で、思考法はよく似ている。神の真偽にはつゆほども興味がない。その証拠に、ゼタは軽く苦笑を浮かべるだけで小雨を無視した。
「ガルダさんが興味を持ったのもその存在についてよ。例えば私たちのような存在とは根本的に違う異形がいて、それが人知を超えた力で私たちの願いをかなえてくれるのであればその交渉方法を学ぶのは大変に有意義だわ」
ゼタは胸を張って言うのだけど、おそらく本心ではない。
いや、嘘をついているのではないのだろうけど、まだ別に意見があると言った方が正確か。
「それは悪魔と取引するのと同義です。成果は得られず、ただ魂を弄ばれておしまいでしょう。悪いことは言いませんから『荒野の家教会』に入信なさい。心安らかな日々を送れますよ」
小雨の発言は僕の心をひっかき、脈拍を早くする。
横を見ればステアも沈痛な表情を浮かべ、下唇を噛んでいた。
彼女たちの正義に従い『恵みの果実教会』を追い込んだことを、僕もステアもまだ飲み込めていないのだ。
「あなたたちが、本当にお題目通りの活動をしていれば私もこんなところに来ていないと思うわ!」
ゼタは表情を硬くして吐き捨てると、それきり黙ってしまった。
小雨はなぜゼタが怒ったのか理解できず、不思議そうに首を捻ると答えを探すようにノラを見上げる。
しかし、そこに答えはないだろう。
彼女が冒険者になる前の生活は僕と同じく、あるいは僕よりも暗澹としていた。
誰かの利益の為、望まない労働に無理やり従事させられ、壊れれば処分される。そんな中で生きていたと聞いた。
つまり、彼女は花街で客をとる娼婦だったのだ。
エランジェス一味に富を運ぶ生産設備として扱われ、それが嫌で命がけで逃げ出した。
幸い、冒険者特例で生命は守られたものの、苛烈な嫌がらせを受けたらしく、僕が彼女の所在を掴めなかったのは彼女が身を隠しながら活動していたのも大きい。
本当に必要とするとき、神が訪れて救いをもたらしていれば僕たちはもっと素直に生きられたのかもしれない。
でも、いまだに救いの歌は聞こえて来ず、僕もゼタも迷宮ではい回っている。
神が本物かどうか。そんなのはどうでもいい。利益をもたらせばありがたがってやるのもやぶさかではないが、よくてもせいぜいその程度だ。
今のところゼタが提示した情報は、その神様とやらが自らを信仰するトロールをいずこかへ消し去るというものしかない。現段階ではどうしても良質な存在には思えず、胃がズンと重くなる。
おそらく、彼女はほかにも情報を持っているのだろうけど、小雨の発言により心を閉ざしてしまった。再び心がほぐれて情報を聞き出すまでに時間がかかりそうだ。
もし危険があればステアだけでも連れて逃げなければいけない。
一号から習い覚え、恐ろしくていまだに使用したことがない『影渡り』の術はいつでも使える様にしておこう。
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