第253話 トロール

 人間から魔物に変じた成れ果てと遭遇するのは頻繁にある事ではない。

 迷宮に入った人間のほとんどはそこまで順応を進める前に魔物の腹に消えてしまうのだ。

 しかし、それでも地下十階を超えるとそういう存在と遭遇することもある。


「やあ、若者たち。地上の情勢はどうだね」


 通路の隅で岩に座るのは五名。いずれも青年から壮年の男たちだった。

 話しかけてきたのは髭面のローブの男で、魔法使いなのは手の杖を見るまでもなく明らかだ。朗らかな話し声は一見して友好的な態度であるが、その目付き、匂いは明らかに成れ果てのそれである。

 魔法使いの他に、剣を携えた戦士が二人、あとの二人は軽装で一見すると武器を持っていない。おそらく、暗殺者だ。

 僕はステアと目を見合わせた。話が通じて戦闘が避けられるのならその方が絶対にいい。

 

「待ってください、ノラさん!」


 躊躇なく歩み寄ろうとするノラに声を掛けると、幸いなことに意見を容れてくれたらしく、足を止めた。左右の二人もそれに倣い、警戒しつつも開戦を踏みとどまる。


「僕達、まだ先に進みたいんです。通して貰えますか?」


 向こうの魔法使いに話しかけると、彼は禍々しく笑った。

 以前、ルガムが殺された瞬間の悪魔の顔に似ている。僕はぼんやりと思った。


「いいともさ。俺たちも本調子じゃない。それに今はあんたらの方が強そうだし、むしろこちらから停戦を申し込みたいところさね」


 そう言うと、魔法使いは何が面白いのかケラケラと笑いだした。

 その顔を見つめるのだけど、見覚えはない。僕が冒険者になるよりも以前から迷宮を彷徨い歩いているとすれば少なくとも一年を超えている。人間性はどれほど残っているものか。

 気にはなるけど、確かめる術はない。

 

「ただし、気をつけろよ。下では今、トロールがうごめいていやがる。俺たちも仲間を殺されて這う這うの体でどうにか逃げてきたんだ」


 やはり楽しそうに、魔法使いは笑った。

 トロールは地下五階あたりで遭遇する亜人系の魔物である。

 石のような硬さの肌を持ち、怪力で襲いかかる。それだけでも地下五階に到達したばかりの冒険者にとって十分な脅威なのであるが、それだけじゃなく強力な治癒力を持ち合わせていて、生半可な攻撃では傷つけた端から回復していく。

 そのトロールの群れこそ、僕たちの目的だった。


「私たちはトロールに会いに来たの。どこにいるの?」


 突然、ゼタが口を開いた。

 彼女こそ今回の依頼人であって、つまりもっともトロールを探し求めているのは彼女なのだ。

 魔法使いはゼタの質問に冷たい視線で応じる。

 

「お嬢さん、トロールといったって浅いところにいるやつらとは別の随分とおっかない連中だ。俺たちが遅れを取るくらいのな」

 

 魔法使いの手前で、戦士たちの目線が感情を帯びてくる。

 ゼタの言葉が侮辱と受け取られたのだろうか。

 

「俺たちは普段、地下三十階あたりをウロウロしている。そのあたりで遭遇した連中が一番強かったが、ここまで逃げてくる途中も延々とトロールに遭遇したから、会おうと思えばすぐに会えるぜ」


 ムスッとしながらも魔法使いは答えてくれた。

 

「だからとっとと行けよ。俺たちもこれ以上、仲間を減らせないんだ」


 僕が戦闘を回避したいと思う程度に、彼も戦闘を避けたいのだ。

 不機嫌そうだった魔法使いの表情はすぐに笑みを取り戻した。

 

「何がおかしいんですか?」


 思わず、僕は尋ねる。

 話の内容からすれば絶望してもおかしくないにも関わらず、魔法使いの表情は楽しくて仕方がないようだった。


「何って、おい。楽しいだろうよ。仲間は死ぬ。危うく逃れる。浅い階層では魔力が薄くてつらい。楽しくて仕方ねえよ。まったく、迷宮ってのは永遠に遊べる遊技場だ」


 一見、人間に見える彼らは、確実に人間ではない。彼の語る思想は人間を辞めた先にある言葉だ。

 彼の禍々しい表情に背筋が寒くなる。ウル師匠は絶対に、こんな風には壊れていない。

 

「俺たちはもう少し体を慣らしてから下に戻る。ついでに落ちてくる冒険者がいれば仲間の補充もするが、最近はぜんぜん落ちてきやしない。冒険者組合にもうちょっとちゃんとやれって伝えておいてくれ」


 場違いな発言にあいまいに頷きつつ、僕たちは前進を再開した。

 話の通じる魔物たちがいつ襲いかかってきてもいいように、できるだけ距離を取り、警戒をしながら足を進める。彼らの横を通り過ぎ、距離が離れてようやく人心地ついた。

 あの魔法使いは僕たちの方が強そうだからやらないと言っていたものの、戦闘になれば勝敗すら怪しかった。彼らはそれほど強く、それなのにトロールに負けたのだ。

 僕たちはそのトロールを探しに行く。これはそういう旅路だ。

 

 *


 ゴブリンでもオークでも、順応が進んだ個体は他の個体を率いて群れを成す。

 今までの経験で、何度もそういう魔物と対峙してきたのだけど、それでも二十匹ほどの群れが最大だった。

 先ほどの魔法使いの話を信じるのであれば、数階層に渡りトロールの大群がひしめいているのだ。群れを率いる個体はいったい、どれほどの順応を進めているものか。

 不安だらけなのだけど、そう思っているのは僕とステアだけらしく、前衛の三人はいつもと変わらず気張らずに歩いている。

 ゼタは、緊張しているようだけど、それでも表情には決意がみなぎっており、不安は見て取れなかった。

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