第248話 デタント

 ガルダから依頼の概要を聞いたあと、僕は自宅に戻った。

 酒を飲んでしまったものとは別の不快さが腹の中に渦巻いていて、ため息を押さえきれなかった。

 

「お帰り、どこに行ってたの?」


 僕を迎えたルガムの表情を見ればわかる。

 彼女はまだ怒っていた。そして、目の下のくまは寝不足を表している。


「ちょっと教会に」


 言った瞬間、ルガムの眉がつり上がり、僕は失言に気付く。

 これではまるでルガムに冷たくされたからステアに会いに行ったみたいではないか。


「ええとね、違うんだよ。説明すると長くなるし、確かにステアには会ったんだけど全然違うんだ」


 僕はうろたえながらも昨夜からの出来事を説明した。

 それはもう、不要と自分でも思えるほど細かく丁寧にカルコーマの強引さを説明し、彼の寝床がいかに臭かったかを愛妻に訴えた。

 ルガムはそれを聞いてようやく怒りが薄まってきたらしいのだけど、ステアの帰還命令に関するくだりから、再び眉間にシワを寄せた。

 不快を示す表情ではない。どうしていいか判らないときに彼女が浮かべる表情だ。


「じゃあ、あなたが『荒野の家』に入信しないとステアが帰っちゃうの?」


 ルガムにとって、ステアはこの都市で最初にできた同性の友人である。

 冒険者を引退して以来、めっきり疎遠になったものの、それでも時々は二人で会って食事などをしているらしい。

 ルガムは黙り込んでうつむいた。

 それについては僕も何をどう判断したらいいのか判っていない。


「ええと、ルガム。昨日はごめんね。僕の失言でした」


 僕は話を変えてルガムに頭を下げた。

 どうしても謝っておきたかったのだ。


「お腹の子供も大事にします。許してください」


「い、今その話はよくない?」


 ルガムは話の転換に戸惑い複雑な顔をした。

 ほんのわずか、友人の苦悩を伝え聞いただけで彼女は自分の怒りを忘れてしまうのだ。

 そういうところも僕は愛している。


「いや、今なんだよ」


 僕は強く主張して金貨の詰まった袋を机に置く。


「明日、ノラ隊について迷宮に潜ることになったんだ。普段、僕が行くことのない深い階層へ。もしかしたら帰ってこないかもしれないからさ」


 迷宮には常に死の危険が渦巻いている。

 それも歩く範囲を既知のエリアに絞ることで安全度は格段にあがるのだけど、今回はノラ隊でも未達の階層へ進むのだという。

 はっきり言って分が悪い。


「え、なんで?」

 

 ルガムは驚き、うろたえた声を出した。

 僕がガルダを嫌っており、それどころかノラ隊と距離を取りたがっているのを彼女は知っている。

 そうして、僕が慎重に危険度の高い仕事を避けているのも知っていた。

 にも関わらず、危険なガルダからの依頼を受けて帰ってきたのだ。

 

「ステアと話をする為」


 都市の中ではローム先生の目が光っており、ゆっくりとステアの本心を聞き出し、今後の策を探るにはどうしても迷宮に行くしかなかったのだ。

 それも、僕が単に迷宮に誘えばローム先生に遮られるだろう。

 悪辣なガルダの手管に頼るしかなかった無力さを呪いたくなる。

 死の危険と友情を天秤に掛けるようなマネは、少し前の僕なら絶対にしなかったのに、飛びついてしまった。

 そうして最愛の妻に迷惑をかける。

 ルガムは何かを言おうとして口を開いたのだけど結局、下唇を噛んで黙り込んだ。

 いつだって、死ぬかもしれないと思っていた。

 そうして、死なないために汗を流してきた。

 でも、戸惑うルガムを見ていると、今までの想いが冗談だったかのように死にたくないと思う。

 

「かならず帰ってくるよ」


 ルガムとの子供にどうしても会いたくなった。

 きっと、その子のことは心の底から、迷いなく愛せる気がした。


 ※


 翌日、昼前にガルダの使者が来て、そろそろ迷宮前に集合しろと言うことで僕は準備を始めた。

 ウル師匠にいただいた装備の数々は普段から身につけているのだけど、他に、迷宮用の厚手の靴やルガムが作ってくれた手袋を準備し、リュックに各種道具や薬も入れる。今回は長征行だ。忘れ物があったら冗談にもならない。

 と、コルネリが飛んできて僕の胸にとまった。

 当然、同行する気なのだろう。

 だけど、地下十五階までで力不足を露呈したコルネリである。

 

「今回は留守番しててよ」


 僕が体から引き剥がそうとするのだけど言うことを聞かず、彼は抵抗してくる。それでもぐにぐにとやっているとついにはうなり声をあげて牙までむき出したので怖くなってあきらめた。

 

「知らないよ、死んじゃっても」


 今回潜る先、実力不足なのは僕も一緒だ。

 であればコルネリがいたほうが落ち着いていいかもしれない。

 それに、まだ人間を続けている僕と違い、コルネリは迷宮内でも順応を進められる魔物だ。

 事と場合によっては僕よりも頼りになる可能性も高い。

 首筋を撫でてやると機嫌をなおしたのか、嬉しそうに口を開く。


「死なないでよ」


 ルガムが背後から声を掛けてきた。

 昨夜は一緒のベッドで寝たのだけど、結局お互いがかみ合わなくて会話も殆どなかった。

 

「ぜったいに生きて帰るよ。約束する」


 僕が向き直って告げると、ルガムは疲れたようにほほえむ。


「どうかな、嘘つきだって知ってるからな」


「嘘はつくけど本当の事も言うんだよ」


 その言葉にルガムは軽く笑った。そして表情を堅くすると僕に口づけをする。

 間に挟まれたコルネリが抗議の声を上げるのだけど、そんなのは無視だ。

 

「他のことは全部どうでもいいから、生きて帰ってきてね」


 そう言って僕の首に腕を回すのだけど、そういうのはもっと時間に余裕がある時にやって欲しかった。

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