第242話 二人きり

「お、怒らないでよ。お腹の子に障るから」


 咄嗟になだめつつ、脳内を整理する。

 僕と彼女は夫婦だ。都市の戸籍帳にもそう記載されていて、僕のご主人や冒険者組合の認めもある。なにより、互いが想い合っている。

 だから僕たちの関係は不義でも何でもなくて、堂々としたものだ。

 つまり、ルガムが妊娠したとしてもなにもやましいことはない。

 よし、方針は決まった。


「そんなに考え込まないと喜べないの?」


 ルガムの冷たい言葉が立ち直りかけた僕を再び打ちのめす。

 正直に言えば、僕が生まれた場所では家庭と愛情が結ばれておらず、食糧事情からも妊娠は八割方、陰鬱な表情で語られることが多かった。

 両親にとって僕は家の助けにもならない無駄飯食らいで、奴隷狩りに捕まったときだって顔も出さなかったのだ。

 それを恨みはしないけど、とにかく僕が育った場所というのはそんな場所で、ルガムは違う。

 彼女の生まれた村ではどうも妊娠を絶対的に喜ばしい事としてとらえていたらしく、端的に言えば僕と彼女の違いは文化の違いに他ならない。

 

「嬉しいよ、とにかく嬉しい!」


 すでに決まった方針に沿って、僕は喜んでみせつつ彼女の手を握ろうとしたのだけど、直前で彼女が手を引っ込め、僕の手は空を切った。

 

「嘘くさい。じゃあ、私は先に寝るね」


 明らかに不機嫌な目つきで立ち上がるとルガムは寝室に向かって歩き出した。

 まずい。

 こう言うのは最初に解決しておかないともつれる。

 直感に従って僕も立ち上がるとルガムの手を引っ張った。


「待って、待ってよ。もう少しだけ話そう。ちょ、足を止めて!」


 引退したとはいえ戦士と魔法使いでは力が違いすぎ、僕が止めようにも彼女の足は止まらずぐんぐんと進んでいく。

 無言のまま引きずられ、寝室の扉の前であっさりと手を切られた。

 

「今晩は一人で寝るから」


 そう言うと、目の前で扉が閉められる。

 悪いことに、この扉には内側に鍵がついており、普段はまず掛けない鍵がガチャリと音を立てた。

 完全に閉め出され、扉を押しても動かない。

 

「ちょっと、開けてよ。僕はどこで眠ればいいのさ」


 情けない声を作って呼びかけてみるものの、中から返答はない。

 とりあえず同じ文句を情けなく十回ほど繰り返して情に訴えてみたものの、ルガムの怒りは相当なようで、うんともすんとも返っては来なかった。

 彼女は怒りか、失望かを僕の言動に抱いたはずで、愛する人にそんな思いをさせたのは僕の失態であるし、この扉の向こうで彼女がすすり泣いていたりすれば、申し訳なくて消えさってしまいたくなる。

 迷宮で順応を重ね、随分と強くなったつもりだったけど、こういうときには自分の無力さを実感させられる。


「ルガム、ごめんね。情けないんだけど、心構えができてなかったみたい。だけどね、必ずちゃんとした父親になるよ。約束するからね」


 無言の扉に語りかけると、きびすを返して食堂に戻った。

 結局、どうするべきかは時間をかけてルガムと話し合っていくほかない。僕と彼女の問題の答えは僕と彼女の間にしかないのだ。

 


 ※


 寝具もないし、気持ちも落ち着かせたくて、僕は散歩に出た。

 日はとうに沈んでしまっていて、辺りは暗い。

 どこかで思案に耽るか、シグにでも話を聞いてもらいたい。

 酒場をのぞいて、シグがいなければ公園にでも行こうと歩いていると、後ろから声をかけられた。


「おい、小僧」


 野太い声。

 確認するまでもなく、声の主は怪人カルコーマだった。

 大男は獲物を見つけた猛獣のごとく笑みを浮かべている。

 

「ちょうどよかった。酒場につき合え」


「いえ、僕はもう家に帰るところでして……」


「帰る前に一杯付き合って行けよ」


 僕たちはそう、気安い関係ではないだろう!


「いえ、身重の妻がいますのでそういう訳には……」


「お、めでたいじゃねえか。じゃあ祝い酒だ」


 全く話が通じない。そして同時に、こんな男まで妊娠をめでたいと言うことに若干ショックを受けつつ、僕は酒場に連れて行かれたのだった。


 ※


「飯は教会で食って来たんだ。しかし、あそこの飯は味が薄くてまずい上に、酒が出ねえからな」


 言いながらカルコーマはとんでもない量の料理と酒を注文する。

 粗食を旨とする『荒野の家教会』ではそれも当然のことだろう。信仰心の篤いステアでさえ時々、酒場に出てくるのはやはり耐え難いのだ。

 

「あの、カルコーマさん。僕も夕飯は食べましたんで。それにお酒はちょっと」


 カルコーマはキョトンとした顔で僕を見返す。

 

「今のは俺の分だよ。おまえは自分の分を頼めよ」


 押しつけられたメニューをみながら軽いツマミを一品と薄いビールを注文する。

 

「なんだよ、もっと食えよ。そんなんだからデカくなんないんだぞ」


 不躾な言葉が投げかけられ、僕は曖昧に頷いて流す。

 酒場の客入りは八分ほどで、知り合いはいない。

 せめて誰かいればよかったのだけど、結局二人きりでテーブルを囲むことになった。

 愛する妻に拒絶され、得体の知れない大男と食事とは、いったいどんな苦行だろうか。

 もしかするとローム先生の言った罰が今頃当たったのかもしれない。

 わずかに信仰心の芽生えを感じながら僕は薄いビールをなめた。

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