第236話 救世主きたれども

 帰路、危険な魔物の襲撃をしのぎながら十三階まで上がると、ビーゴが口を開いた。


「ウルエリさんの弟子か。いいなあ。あれ、ていうか僕の師匠ってあなたですよね」


 それが自分に向けられたものだと気づかず、聞き流して足を進める。

 

「ちょっと無視しないでくださいよ!」


「え、なにが?」


 いきなり肩を掴まれ、僕は驚いて振り返った。

 ビーゴ特有のまっすぐとした、それでいて感情の読めない目玉が僕を見つめていた。

 

「だから、あなたは僕の師匠でしょうって話しですよ」


「え、違うけど……」


 本当に、一体なにを言い出すのだろうかと思いつつ、そこはかとない恐怖に肌が粟立つ。

 

「だって、僕にいろいろ教えてくれたじゃないですか!」


 ビーゴが不服そうに言うのだけど、僕はあくまでブラントの補佐という形で彼を指導したに過ぎない。

 彼が達人の称号を得た後に指導者風を吹かしたこともなければ、そもそもそれ以降には何も教えたりしていないのだ。

 

「あのねビーゴ、僕が師匠なんて柄じゃないことは君も知っているでしょう?」


「ええ、全然そんな風格とか無いですもんね」


 即座に肯定してケラケラ笑うビーゴに僕はムッとした。

 

「悪かったね。だからさ、師匠だって言うならブラントさんを仰ぎなよ」


「いやあ、不義理しちゃったからそれはちょっと……」


 ビーゴが顔を歪めて申し訳なさそうに頭を掻く。

 教授騎士といえば生徒を達人に育てる事を請け負っているのだけど、その最終的な目的は王国兵の確保であって、それを為して初めて評価される。にもかかわらず、ビーゴは兵士にならず在野の冒険者となったのでブラントからすれば育成の旨みが小さかったことには間違いない。


「ブラントさんが何人の教え子を指導していると思ってるのさ。一人や二人、兵士にならなかったからって関係ないでしょ」


「あ、そう言いますけどね、じゃあ僕が卒業して今まで、ブラント先生の教え子で兵士にならなかった人って何人いました?」


 僕がブラントの補佐を受け持ってもうすぐ一年が経つ。

 その間に何組もの達人を輩出してきたのだけど、確かに冒険者を続けているのはビーゴしかいない。

 

「ほら、ね。だからブラント先生に会いに行くわけにはいかないんですよ。そこいくとあなたは教授騎士見習いだし、『賢者』ウルエリの弟子だし、その上シガーフル隊の前任者じゃないですか。オマケにいえば英雄シグさんの友人でもある。師匠にするにはちょうどいい人だと思うんだよな」


 敬意の欠片も感じさせない口調で一体、この男は何を言うのだろうか。

 相手をするのも疲れてしまって、僕はしみじみとウル師匠の事を思い出す。

 彼女は優しくて、正しかった。そんなウル師匠ならビーゴをなんと言って窘めただろうか。

 ウル師匠ならぬ僕には答えを見つけられず、無視してうな垂れるのが精一杯だった。


 ※


「ねえ、ねえ師匠ってば。認めてくださいよ」


 雷の吐息をまき散らす黒い犬型の魔物、雷獣が黒焦げになった横でビーゴはしつこく僕に纏わり付いていた。

 そういうのはシグにだけやってくれればいいのに、と思いながら僕は首を振る。

 雷獣と前衛が接触する直前、炎の魔法で敵を一掃して見せた彼は、その成果を誇るように僕へと迫っていた。

 

「ほら、実力も悪くないでしょ」


 それは知っている。

 今、都市中の冒険者を実力順に並べれば彼は魔法使い部門で上から二十番目くらいに入るのではないだろうか。

 とにかく勘がいいのだ。

 相手の虚を突くように魔法を繰り出し、状況判断も適切である。

 だからこそ、シガーフル隊の席を譲っても安心して見ていられたのだけど、同時に壊滅的に空気を読まない。

 僕とビーゴがブラントのもとで初めてイシャールを倒した夜、苦労が報われたと同期メンバーが感慨にむせぶ中、彼は「じゃ」とだけ軽く言ってブラント邸を出て行ってしまったのだ。

 それも、ブラントがささやかながら祝いの席を用意したと告げた直後だった。

 彼があまりにもあっさり出て行ったため、僕たちはすぐに戻ってくるものと思い、食事にも手を付けず待ちぼうけたのだ。

 結局、彼はそれ以来ブラント邸に近づく事もなくシガーフル隊で活躍している。

 鋼鉄の精神を持つブラントを困惑させた、ある意味では希有な男といえる。

 しかも、彼はそれを不義理と自覚していているのだという事実がまた、僕を驚かせた。

 

「あのね、ビーゴ。僕はまだブラントさんの下働きをしているんだよ。そんな僕が君を弟子にすればいろいろと角も立つでしょ。だから無理だよ」


 ため息と共に、シグに助けを求めると視線が合う前にさっと横を向かれた。

 相変わらず、こういう状況では頼りにならない親友だ。

 

「大勢を指導しているから一人くらいどうってことないって、さっき自分で言いませんでしたっけ?」


 言われて言葉に詰まった。

 一号の部屋から出て以来、ギーは僕を無視しているし、モモックは面白半分に「弟子にしてやればいいやん」と軽口を挟む。

 と、待ち望んだ救いの手は意外な所から差し伸べられた。


「ブラント殿に謝るのなら俺が仲立ちをしよう」


 毎日の様にブラントからしごかれているベリコガが名乗りを上げる。

 この瞬間、彼は僕の救世主となり、ゆっくりと立ち上がった。

 堂々たる体躯の戦士が胸を張ると絵になるものだ。


「そういうのは別にいいです」


 しかし、ビーゴのあっさりとした拒否を受け、救世主はそっと口を閉じると再び腰を下ろし、悲しそうな表情を浮かべた。

 もう少し頑張れよ、救世主!

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