第210話 知恵づいて

 その声の主は確認するまでもなくネズミ型獣人、グリレシアのモモックだった。

 僕が重たい頭をもたげると、モモックは何の断りもなく串焼きを貪っている。


「アンタみたいな胡散臭いんが青春小僧ぶったっちゃサマにはならんばい」


 モモックはあっという間に食い尽くした串焼きの木串を投げ捨てると、半笑いで言った。

 

「放っておいてよ」


 僕は言葉を発するのも面倒になりそれだけを言って彼が去ってくれるのを待った。

 しかし、モモックが期待通りに動いてくれるのであればそもそもお屋敷から出歩いたりしないのだ。

 僕やリザードマンのギー、それにご主人の話し合いで、彼の処遇はもうしばらく様子を見ることに決まった。

 彼はその措置自体を受け入れたのだけど「見つからんかったらよかちゃろうもん」と嘯いて、出歩くのをやめていない。

 厄介なことにモモックの場合、鎖で繋いだって自力で破って逃げ出す事が可能なので、手足を切り落とすか専属の見張りを雇うのでなければ彼の誠意に期待するしかないのである。

 果たしてモモックは立ち去るどころか、僕の隣によじ登り、大きなゲップをはなった。

 

「そがん言うってことは悩みば聞いて欲しいとやろ。オイも忙しかばってん、まあよかやろ。話してみんや」


 最近とみに丸まると肥えだした真っ白い毛玉に、誰か悩みを打ち明けたい者がいるのだろうか。居るとすればそいつは絶望的に僕と意見が合わない。

 しかし、モモックは僕が話すまで離れる気はないらしい。

 僕はそれでも深呼吸を何度か繰り返しながらどこかに行くのを待ったのだけど、まっすぐ向けられるつぶらな瞳の圧力に屈して、ついに一部始終を話すことになったのだった。


 ※


「なぁんかそら、大まじめに聞いて損したばい!」


 僕の話を聞き終えたモモックはバッサリと切り捨て、短い手で僕の脇腹を小突く。


「真面目くさった顔で、このままでよかかって。アンタ馬鹿やないと? 誰がどう見てん、ようなかやろ」


 力強い全否定に、僕は苦笑を浮かべる以外になかった。

 

「教えといちゃあけど、アンタんそれはね、余裕じゃなかよ。知恵っちゅうったい。人は余計なコツば知って身動きが取れんごとなると。アンタその典型。そいでんが、だけんて知らん頃には戻れんめえが」


 知恵。そうなのだろうか。

 愛する人を得て、様々な技術を知った。

 確かに、その結果として迷いを抱えている。

 以前の僕は大事な事の多くを知らず、迷わなかった。

 

「前と、今はどっちが正しいのかな?」


「だけんが、その正しいっちゃなんね。アイヤンは何十人の中からたった二人残った内の一人やちゃろ。他の死んだモンや辞めたモンは間違っとうとね?」


 迷宮では間違えなくても死ぬ。

 冒険者を辞めて、新たな人生を歩む者だって間違えとまでは言い切れないだろう。


「そいで、アンタは情に引っ張られて生き延びた事はなかんね?」


 モモックの言葉に、いくつかの場面が浮かび上がる。

 他人のおかげで助かった事も何度もあった。

 

「結果だけ言や、アイヤンはたまたま生き延びたとやろうばってんが、そいで今までの行動全てが正しかったとはならんめえが」


 モモックはつまらなそうに吐き捨てた。

 確かに、僕は生きているのだけど、それは今まで間違いを犯さなかったからじゃない。その時々でいつも慌て藻掻いた結果だ。

 そうなると、結局はその時々で取るべき選択肢を選んで凌いでいくしかない。

 僕がそちらを見やると、モモックは大あくびをしながら股間を掻いていた。

 と、突然何かを思いついたようにモモックは両手をペチッと打ち鳴らす。


「退屈な毎日がきつかとやたらもっとワヤな目にあって、真剣になってみたらいいやん」


 彼の提案は、その可愛らしい外見に似つかわしくない物騒で荒々しいものだった。


※ 


 せめてコルネリが戻って来てくれたのが救いだと、僕は胸のコウモリを撫でながら思った。

 

「ねえ、モモック。やっぱり帰ろうよ」


「しつこかぞ。まだ来たばっかやろうもん」


 モモックは大手を振って前を歩く。言葉とは裏腹に上機嫌で、火の国の女は情深いとかどうとか聞いたことのない歌を口ずさんでいる。

 場所は迷宮の入り口付近。いつもなら緊張もしないのだけど、パーティをきちんと組んでいないというその事実が緊張感をいや増していく。

 

 単身で迷宮に入って行く者は数こそ多くないのだけど、上級冒険者を中心に聞かないことはない。 

 それでもほとんど全員が前衛を務める戦士であって、後衛の魔法使いが単身迷宮に潜るのを僕は寡聞にして聞いたことがなかった。

 だから入り口では衛士に止められるかと思って挨拶したのだけど、驚いた顔をしただけで、そのまま通されてしまった。

 そもそも、彼らは危険な迷宮への間違った入り込みを防ぐのが役目なので、顔見知りの冒険者の、それも達人級が入ると言ったとき、止めたりはしないのだ。

 モモックも、衛士が僕の方を見ているときにこっそりと進入し、かくして魔法使いとグリレシア、それにオオコウモリという奇妙な三人組で僕は迷宮を徘徊することになったのだった。

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