第206話 革手袋
僕がウル師匠や一号から習い覚えた系統外の技術については事情を知らない生徒たちの目の前で使うことを控えていた。
そもそも、教えられないのだから、彼らにその技術を前提に戦い方を覚えられても困る。さらにいえば、アンドリューの禁術なんて論外の魔法で、習得した事実を知られることも危険なのでごく一部の人を除けば誰にも言っていなかった。ただし、使えるものを出し惜しんで死ぬわけにはいかない。
コルネリの背中をポンと叩くと、応じるようにコルネリがキィと声を出す。
先頭を歩く連中の足が止まった。
「彼がそっちに行かない方がいいってさ」
生徒たちにはコルネリの感覚が優秀で危機に際して鳴くことがあると伝えてあった。
先頭の戦士たちは進もうとした道を避け、枝の道に入る。
直進した道の先には多分、多頭の大蛇が屯していて、このパーティが相手取るには手強すぎる。一方、曲がった先には二匹の吸血鬼がおり、危険ではあるものの緊張感を保ち経験を積むにはちょうどいい。
あくまでコルネリの直感であると主張するのは我が身を守る為である。
どうも、世の中には奴隷の僕が富裕層の子弟に指導を行うことを気にくわない人が少なからずいるらしく、それなりに嫌味を聞く機会も多い。
というわけでいたずらに腹を探られるのも面倒で特殊な技能を見せるのはできるだけ避けていた。
果たして、ニ匹の吸血鬼と遭遇し、戦闘に突入する。
最初の一合で一匹を討ち、残りの吸血鬼は反撃として攻撃魔法を唱えた。
常人からすれば災害にも等しい力をもった魔物は、自らの魔法が発動しない事に驚愕の表情を浮かべながら、戦士たちの攻撃に身を貫かれ絶命した。
※
何度かの戦闘を経て、僕たちは都市に帰還した。
なかなかの苦戦続きだったのだけど、パーティには余力があり、それでも帰るのはひとえに僕が忙しいからである。
翌日の昼からは奴隷向けの冒険者見習い教室で指導をしなければいけない。
指導を受ける方には不満だろうけど、そのあたりは全部ブラントに言って貰わないと僕にはどうしようもない。
教授騎士や教師と言っても奴隷でしかないのだ。
教え子たちと別れ、家に帰るとルガムが縫い物をしていた。
「おかえり」
「ただいま」
ルガムは作りかけの革手袋を机に置くと、僕に向かって微笑んでくれた。僕も笑って返す。
子供たちは出かけて居るのだろう。家の中はしんと静かだった。
ルガムは冒険者を辞め、半年になる。
とはいえ、冒険者特例を失うのは惜しいので、あくまで休業中であるとして月に一度の割合で僕と一緒に迷宮に入っている。すぐに引き返すのだけど。
そうして彼女が新たに金を稼ぐ手段として始めたのが革手袋の作成、販売であった。
もともと羊飼いであったルガムは、故郷の村でも皮革の加工をして様々な道具を作っていたらしく、器用に手袋を作っていく。
子供たちも手伝い、最近この家は革製品工房の様相を呈していた。
初心者向けの「無いよりマシ」な程度の防具でありながら、その革の厚み一枚で生死を分けることもあるため、必須の品でもあり、需要も高い。
都市において、皮革製品の作成はポピュラーな仕事であって、技術の高い専業工房も内職での生産も盛んである。
そんな革の切れ端を片づけると、ルガムは食事の残りを出してくれた。
煮物にパン。それに果物。僕は礼を言うと料理に挑みかかり、すぐに皿を空にして見せた。
おおよそ、一日ぶりの食事は食べた端から体に染み渡るようで心地の良い満腹感を運んでくれる。
「お疲れさま。冒険はどうだった?」
初めて出会った頃とは比べものにならない程、彼女の物腰は柔らかくなっていた。
冒険に出ず、革の加工に明け暮れる最近では驚異的だった筋肉の隆起も治まり、体つきも少しだけ丸みを帯びている。
急激に大人びた彼女に対して、僕自身はほとんど筋肉などもつかず、相変わらずの青瓢箪で、別の魅力を帯びてきた彼女に愛想を尽かされないかが目下の悩みである。
それから僕らは取り留めもない雑談を交わしていたのだけど、思い出したようにルガムが手紙を取り出した。
「留守中に届いてたよ。冒険者組合からだって」
差し出された封筒の差出人は冒険者組合事務局になっており、たいていの場合、冒険者組合からの通知にはろくな内容が書いていなかった。
見なかったことにして投げ捨ててしまいたかったのだけど、覚悟を決めると封筒を開いた。
内容に目を通すと、それまで噛みしめていた愛妻と他愛ないことを話すという幸福を、一気に蹴散らされた。
「なんて書いてあるの?」
「生徒が死んだって。これで四〇人のうち、三六人が死んだよ」
僕が教えているのは債権奴隷の冒険者達で、中でも特に不人気な魔法使い候補を専門にしている。
言ってしまえば少し前の僕と同じで、そもそも基礎体力や器用さなど、冒険者としての能力が欠落していたのだ。それでも、無理矢理借金を背負わされ、迷宮に送り込まれる。
普通、二ヶ月の教育機関であるところ、僕はブラントの補佐もあるために授業の間隔が長く、現在は二期目の教え子達に指導しているのだけど、死亡通知は記念すべき第一期の生徒のものだった。
新人パーティにおいて魔法使いが死ぬ可能性は非常に高い。
戦士たちが形成する前衛が崩れると、後衛も直接攻撃を受ける事になる。
その攻撃が魔法使いに向いた場合、まず為すすべもなく死ぬことになる。
また、迷宮の最序盤を切り抜けたパーティが地下二階に降りると、魔物が強くなるだけでなく、罠も凶悪になる。また、外部から入り込む非組合員の略奪者達が投げる石や弓矢での攻撃も後衛に届き、貧弱な彼らの命を容赦なく奪っていく。
だから、新人で見た場合に魔法使いの死亡率は際だって高いのだけど、それでも九割というのは異常である。
奴隷だからと危険な役目を押しつけられているのか、それとも僕に対して不服のある者が裏から手を回しているのか。いずれにせよ、もしそうだとすれば許せることではない。
腹の奥底から憎悪がわき上がる。
「顔が怖いよ」
ルガムに言われて我に帰った。
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