第207話 二人きりと一匹

 ルガムに言われて我に返る。

 その一言で沸騰した僕の感情は和らぎ、冷静さを取り戻すことが出来た。

 これはおそらく、順応の影響なのだけれど最近はやたらと好戦的になり、強い破壊衝動が吹き上がる瞬間がある。

 深呼吸を数度繰り返すと、どうにか火照った頭の熱も冷め、自らの立ち位置を心に深く刻みなおす。

 

「とりあえず寝る」


 そういい残すと、僕はルガムを残して寝室に向かった。

 睡眠は大事だ。魔力を回復させておかなければならないし、順応も進めておかなければならない。そうでなければいざというときに戦えない。

 そうして、怒りは残しつつ興奮や高揚は忘れる必要がある。

 いざというときに失敗しないように、怒りはすぐに取り出せる場所に隠し、こっそりと積み重ねるのだ。



 翌朝、教育機関の指導室に行くと、冒険者組合理事のニエレクが僕のことを待っていた。

 ニエレクはあからさまに不機嫌で、応接用の椅子に座ってふんぞり返っており、他の教師陣は迷惑そうな顔をしていた。彼らは巻き込まれるのを避けるために僕を確認すると、そそくさと指導室から出て行く。

 部屋に残るのは僕とニエレクのみである。

 

「何を言いに来たか分かっているんだろうな」


 両腕を組んで鼻息も荒い。どう贔屓目に見たって叱責以外はあり得ない口調だった。

 死亡率の高さを責め、ひとくさり僕をなじるつもりだろう。

 だけど、この状況は僕にとっても都合がいい。

 僕は背中に付けていたコルネリを優しく撫でて引き剥がした。


「ねえコルネリ、出入り口を塞いで。もし誰かが出入りしようとしたら殺していいよ」


 コルネリは小さく鳴いて飛ぶと、玄関口の天井にぶら下がった。

 気勢を殺がれたニエレクはポカンと口を開けコルネリを見つめている。

 

「ニエレク様、僕も丁度お話があったんです。誰かに恨みを買っていませんか?」


 愛想笑いの一つも伴わずに問いかける。

 普段、あまりに他人に向けることのない視線で睨むと、ニエレクは怯えた目で僕を見返した。

 

「単刀直入に言いますが、僕の教え子が死にすぎています。ニエレク様もその件で僕に文句を言いに来たんでしょう?」


 僕の口調に鼻白んだニエレクだったが、激怒する前に言葉を飲み込んだ。そうしてあらためて周囲を見回し、その顔色がどんどん青くなる。 

 少しは思い出してくれただろうか。

 都市にあっては穢らわしいとも言われる奴隷である僕が、一面では強力な魔物達と渡り合い、ついには魔人イシャールをも打ち倒すに至った達人級の冒険者であることを。


「そ、その通りだが、分かっているのならそれでいい。私から言うことはなにもない!」


 慌てて言うとニエレクは立ち上がり部屋を出て行こうとした。


「今、出て行こうとすればそのコウモリに攻撃されますよ」


 僕が忠告をするよりも早くコルネリが威嚇し、ニエレクは無様におののき床に転がる。

 

「ニエレク様、あなたに言うことが無くても僕の方にまだ残っているのでもう少しだけお付き合いください」


「貴様、奴隷の分際で私に指図をする気か!」


 這いつくばったまま、ニエレクが怒鳴った。その表情には現状を受け止められないショックがありありと浮き出ている。

 彼は都市が誇る上級市民であり、対する僕は一介の債権奴隷に過ぎない。

 もし彼が殺意を持ち、僕を殺したところで僕の背負う債務を代わりに清算し、その上でいくらかの謝罪金を支払えば罪に問われない可能性も高い。それほどに身分の格差が大きい。

 実際の問題として、僕が背負う債務はまさにニエレクたちの都合により莫大なものに膨らんでいるため、彼個人で支払えるのかは疑問だけどそれは置いておいて。

 少なくとも、彼は奴隷に傅かれる以外の対応をされた事はないのだろう。

 まったく、羨ましい御身分である。

 しかし彼が上級市民として、あるいは冒険者組合の理事としてどのような特権や財産を持ち、強力な配下を持っていようとも、この場に持ってきていないのだ。

 僕が彼自身の人間性に敬意を払っているので無い以上、何らかの対策は必要で、それを怠った彼はこの場で僕の暴力性を背景にした要求を自力で撥ね除けなければならない。

 

「まさか。僕はお願い申し上げているのですよ。お座りください、そしてこの哀れな奴隷のくだらない相談を聞いてあげてくださいと」


 僕はニエレクに対して精一杯のへりくだりを見せた。

 こうすることで彼の中にもわずかながら弱者のために心を砕くという大義名分が生まれ、プライドも守られるだろう。相手が進んで協力してくれるというのであればその方が楽だ。

 はたしてニエレクは立ち上がって尻のホコリを払うと、咳ばらいをしながら席に着いた。

 そうして、出来るだけの威厳を込めているのだろう。常よりもずっと低い声で話し出す。


「そこまで言うのなら話を聞いてやろう」


 彼はあくまでも僕に対して優越者としての立場を崩せない。それは彼の中での強固な常識であるのだろう。

 おかげで僕は彼の魂を砕いた後に死霊術で操る口実を失くし、ひそかに落胆した。

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