第195話 欲求要求
シグとビーゴに別れを告げ、僕はルガムと彼女の家へ移動した。
その道すがらもルガムは嗚咽を続けており、なにを話すべきかもわからないまま僕はただ、彼女の手の温もりだけを救いに歩を進める。
夕闇が迫る中、通りを外れてルガム邸にたどり着くと周囲で薪割りをしていた二人の少年が駆け寄ってきた。
「ルガム姉!」
「どうしたの兄ちゃん!」
常ならぬルガムの様子に狼狽して彼らは僕とルガムの顔を交互に見比べる。
しかし、まさか彼女を死なせてしまったとは言いづらく、僕は言葉を濁した。
「うん、ちょっとね。いろいろあって動揺してるんだ。休ませたいからドアを開けて貰っていいかな」
僕が頼むと、彼らは急いで家のドアを開け、よせばいいのに大声で家中の人間を呼び集めだした。
ぞろぞろと現れた少年少女たちが泣きじゃくるルガムを見て絶句している。
彼らの、多分に非難の意志が込められた視線を感じながら彼女を寝室まで連れて行き、ベッドに座らせた。
入り口からは少年たちがこっそりと覗いているのだけど、あまり気にせず彼女を抱き寄せる。
「ごめんね。僕のせいで……」
謝ると、彼女は頭を振りながら僕の胸に手を回した。
痛いほどに強く締め付ける彼女の腕は、そのまま不安感の現れなのだろう。
死んでいる間、彼女が見た世界とはどういうものだったのか、興味はあるのだけど、聞くのはやめておいた。
今は彼女が生きているだけで十分だ。
結局、彼女が寝付くまで一時間ほど不自然な体勢をとり続け、立ち上がろうとすると体が派手に軋む。
「また明日来るからさ、ゆっくり寝かせてあげてよ」
少年たちにそう言うと、僕は家から出た。
外はとっぷりと日が暮れていて真っ暗だった。
「なあん、抱いてやりゃよかっとに。なあアイヤン、せんでよかとね?」
頭上から声がして、見ると太い樹の枝に寝そべってモモックが頬杖を着いていた。
迷宮の付近で別れたのだけど、どこかで追いつき、そのまま着いてきていたのだろう。
「……それどころじゃないよ、状況的にも体調的にも。ところでモモックはこれからどうするの?」
「どうって、アイヤンと一緒に帰る予定やけども」
モモックは当然、といった様子で言った。
「いや、そうじゃなくて今回は随分と助けられたしさ、もし君が故郷に帰りたいならその方法も探すよ」
彼がいなければそもそもゴロツキたちから逃げられたかも怪しい。
その上、迷宮でも甚大な被害を被っていた可能性も高い。
そう考えれば頭は上がらない。
「よかよか。そがんとはなあんも気にせんちゃよか」
モモックは僕に向かい、大仰に手と首を振って見せた。
しかし、その動きはすぐに止まり、口がニヤリと動く。
「そやばってん、アイヤンも男としてなんか返さな気が咎めるやろうね。それも悪かけん、じゃあ頼もうかね。アンタのご主人にグリレシアは素晴らしいっち勧めちゃらんね。雌が特にいいとか言ってくれりゃよかけん」
なんという欲求に素直な男だろうか。いっそ、清々しい程だ。
ギーはこの種族の獣人を害獣だと斬って捨てた。
果たして、個人的恩義だけで都市に溢れさせる危険を冒してよいものか。
「男はいっちょん要らんけん。くれぐれも女だけばい」
ギラリと光る彼の眼はいつになく真剣であった。
※
お屋敷に戻るとすっかりいつもの平静を取り戻していた。
守衛に挨拶をして、物置小屋に向かう。
扉を開けた瞬間、眼前に槍の穂先が突きつけられた。
「誰ダ、キサマ」
メリアを守るように立つギーは、僕の動き次第ですぐさま槍を突き出そうとしていた。
「あ、兄さん!」
その背後からメリアが声を上げるものの、ギーは警戒を解かずに前に出ようとするメリアを押しとどめる。
「騙されルナ、マルで匂いが違ウ。こいつはおそらく幻覚を掛けたアンデッドかなにかダゾ!」
言われて気づいたのだけど、僕は魚油を浴びたままだった。
嗅覚が既に麻痺してしまっていたのだけど、確かに猛烈な腐敗臭を漂わせていることは間違いない。
視覚ではなく嗅覚で人間を見分けるギーからすればそんな僕を警戒するのも無理からぬ事だった。
「ええと、ちょっと待っていて。あの、貰い物の石鹸があったよね。それを取ってよ」
小屋には一歩も入れてくれそうに無かったので、ギーの後ろからメリアが放り投げてくれた石鹸を受け取り、外の水道まで歩く。
「アイヤンもギーしゃんもしっかりしとるごとあって、たいがい間抜けやね」
モモックが横で笑いながら腰掛けた。
彼を隠せる物をなにも持っていないので、どこか別の所から入って来て貰った。彼にとってはこのお屋敷の柵など無いに等しかろう。
「見てたなら説明してくれればよかったのに」
僕は恨みがましく言いながら服を脱いで水を浴びる。
石鹸で全身を洗い、次いで服やローブも洗った。
衣類をよくしぼって干すと、全裸のままギーの前に立つ。
着替えは小屋の中にあるのだから彼女が認めてくれるまでどうしようもないのだ。
ギーは槍を構えたまま鼻を動かし、首を傾げた。
しばらく考え込んでいたものの、槍をおろすと僕を抱きしめた。
「石鹸の匂いでわかりづライ」
そういうと鼻先を僕の頬や髪、口にくっつけてくる。
確かにひどい匂いを落としたくて、普段よりもずっとしっかりと体を洗った。
それも滅多に使わない石鹸を使っているのだから彼女が戸惑うのも無理はないのかもしれない。
さらに何度も抱きつかれ、その感触が決め手になったのか、ようやく僕を本人だと認め、小屋に入れてくれた。
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