第194話 ナントカ寺院

 僧官は囁くように祈り、呪文を詠唱している。

 ルガムが置かれた台がぼんやりと光りだし、やがて緑色の光がルガムを包んだ。徐々に周囲の空間に物理的な圧力を伴うような重たい空気がのし掛かってきた。

 その中で淀むことなく呪文を唱える僧官は手で何らかの印を切ると、僕たちに向かって「念じなさい」と命じた。

 ブラントを見ると目を伏せていたので、僕たちもそれに倣う。

 濁流が流れるゴウ、という音がして周囲を覆っていた異様な雰囲気が去った。

 顔を上げると僧官は変わらずに眠たそうな目で立っており、僕たち全員が目をあけるとペコリと頭を下げた。


「残念ながら失敗でございます」


 台の上には真っ白い塩の様な塊がルガムの代わりに乗っていた。

 自分の耳がどんどんと遠くなっていくのを感じ、気づけば僕は地面に片膝をついていた。


「おい、大丈夫か?」


 シグが慌てて僕の体を支えてくれた。

 頭ではわかっている。

 四度に一度の失敗をたまたま引いただけだ。

 次も失敗する確率はわずか一割に満たない。

 だけど、次でその一割弱を引き当てれば僕は二度と彼女に会えない。

 それを考えただけで喪失感に僕の世界は壊れてしまいそうだった。

 

「ふむ、取り乱して暴れれば止めなければ、とも思っていたのだけどその必要はなさそうだね」


 横に立ったブラントが遠くで何事か呟いている。

 耳には入るのだけど、その言葉が脳内で意味をなさない。

 と、僕の頬が叩かれた。ゆっくりと目をやると手の主はブラントだった。

 軽い痛みに、僕の世界はゆっくりと戻ってくる。


「しっかりしたまえよ。今回に限っては私も君のために覚悟と決意を示そうじゃないか。よく見ていなさい」


 そう言うとブラントは僕の首飾りを取った。

 以前、迷宮でウル師匠から貰った御守りで肌身離さず着け続けるように言われていたものだ。

 

「これを使えばもう一度、一次蘇生から挑めるのだよ。他者の命と引き替えにね」


 言いながら、ブラントは固そうな金属製の御守りをへし折り、破片を塩の固まりに放り投げた。

 その瞬間、中から明らかに禍々しい存在が現れ、ブラントに取り憑く。

 ほんの短い間、そこに存在した不可視の悪霊はけたたましい叫び声をあげて上空に飛び去っていった。

 呪いの装備品。それも強力な悪霊が封じられた物であれば当然、使用者の命を脅かす。

 ブラントの体がふらりと揺れ、芯を抜いたようにどう、と倒れた。

 慌てて駆け寄り、顔を見るとすでに事切れていた。

 

「はあ、なかなかやりますな。ブラント様も」


 僧官が抑揚の無い声で言い、台の上を指した。

 そちらに目をやると、塩の塊へと変貌したはずのルガムが元の肉体に戻っていた。


「先ほどの護符には生物に死をもたらす呪いがかかっているのです。正確にいえば取り憑かれた者に死を与えるのでございますが、一次蘇生に失敗した状態はすでに生や死とは別の状態に陥っていますので、それに死をもたらせば元の死体に戻るというわけでございます。もっとも、自らも死ぬと知っていてこの手法を使うのは並大抵の事ではございませんがね」


 クツクツと笑って僧官は再度、ルガムの蘇生準備を始める。

 二度目の儀式は文句なく成功し、ルガムの肉体は魂を取り戻す事ができたのだった。



 その後、自らも一次蘇生で蘇ったブラントは口元の涎を拭うとやや照れくさそうに笑った。


「死んだ後というものはどうしてもみっともないものでね、君たちには恥ずかしいところを見せたね」


 体を起こし、死がまるで存在しなかったかのように振る舞う。


「さて、彼女もまだ本調子ではなさそうだし、今日のところは連れ帰って側にいてあげなさい。返済の件についてはまた後日、君のご主人も交えて話をしようじゃないか」


 そう言うとブラントは僧官を伴って寺院の奥に消えていった。

 残された僕たちは互いに顔を見合わせる。

 シグやビーゴは戸惑っているだけなのだが、ルガムは奥歯をガチガチと鳴らせながら震えていた。目には恐怖の色がありありと浮かんでいる。

 それは彼女が体験した死という状態がいかに恐ろしかったのかを雄弁に物語っている。

 僕は大きく深呼吸をしてから彼女に抱きついた。

 ルガムの体はビクッと反応して、すぐに僕を抱きしめ返した。

 汗くさく、埃っぽく、流れ出た血の匂いもまだこびり着いているのだけど、それに混ざって特有の甘い匂いを感じられ、ここが聖域だとか、シグやビーゴが側で見ているとか全てがどうでもよかった。

 もう一度、ルガムを抱きしめるために僕は人生の全てを差し出したのだ。そして得た権利を今、存分に行使する。

 芯から怯え続けるルガムの、体の震えを止めようと僕は力の限り彼女を抱きしめ続けた。

 それでもルガムは普段の気丈さが嘘のように涙を流しながら嗚咽を漏らしている。

 それは同時に、死と蘇生を繰り返して飄々としているブラントの異常性も意味しており、僕はブラントに対する名状しがたい感情を覚えた。

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