第191話 迷宮転生

 眼球から続いて鼻、口、耳などの穴から火を噴いてアンドリューは倒れた。

 やがて炎は腹などからも体を食い破り、全身が激しい炎に包まれる。

 アンドリューの体は何度か痙攣するように動いたのだけど、それもやがておさまり、脳や腹を中心に燃えていた。

 手や足は殆ど燃えず、魔力というのは背骨に沿って内在するものなのだと、場違いな思考が浮かぶ。

 ともかくも難敵を打ち倒し、戦闘は終了したのだ。他にも考えなければいけないことは山積している。まずはルガムのことだ。

 考え事をしながら仲間たちの方を振り向くと、彼らの視線は僕の後ろに集まっており、その眼に浮かぶ怯えは何事か異常事態が発生したことを僕に知らせる。

 慌てて振り返ると、チューリップの刺繍がなされたアンドリューのローブが宙に浮いていた。

 難燃性が高いのか、殆ど燃えることなく形を保ったローブは炎の熱を受けながらひらひらと揺れる。

 羽織る者のいないローブの内面には複雑な術式の紋様がビッシリと書き込まれており、禍々しい気配を放っていた。

 

 召喚術。


 気づいた時には既に遅く、着用者の死亡に伴って自動展開された魔術は空間を割り広げ、強引に何者かを喚びだした。

 膨大な魔力そのものが物質化し、形作ったのは、今し方燃えたアンドリューの裸体であった。

 外見は今までのそれと違いはないものの、眼の中には闇がたたえられ、吐く息には死の臭いが含まれている。

 思わず背筋が震えたのは、恐怖心もあるが実際に周囲の気温が下がっている為である。

 アンドリューの側にいるだけで急速に体力が消耗していくのを感じ、僕は慌ててさがった。

 僕の吐く息は白くなり、いつの間にか周囲の魔力も希薄になっている。

 間違いない。

 アンドリューは自らを悪霊として召喚したのだ。

 存在するだけで周囲のエネルギーを吸収し、高位魔術の使い手が転生した魔物。呼称としてはリッチが適当なのだろうけどそれはどうでもいい。

 

「ああ……僕、死んじゃったんだね。まあ、準備だけしてなかなか踏ん切りが着かなかったんだけど、おかげで上手く行ったよ」


 アンドリューは自らの裸体を見下ろして言った。

 魔力で形作られた体は仄かに青く光っていて、どこまでも冷たそうな印象を受ける。

 勝てない。

 僕はその姿を見て悟ってしまった。

 高位アンデッドであるリッチには仲間たちが持っている武器では傷も着けられないし、僕の魔法なんかでは吸収されて終わりだ。

 先ほどと同じように魔力を暴走させようにも、彼に触れるだけで魂を吸われ僕は死んでしまう。

 もはやあらがう術はない。

 僕はチラリと倒れているルガムを見る。

 せめて、彼女と同じ場所で死ねるだけ幸せかもしれない。

 アンドリューは空中に浮いたままのローブを掴むと僕に突き出した。


「とんでもなく寒いし、頭が変になりそうなほどお腹が減っているんだけど、君もアンデッドになってみる気はない?」


 予想外の問いかけに僕は動きが固まる。


「このローブに僕の魔力を溜めていたんだけど、あと二、三回は使えるはずだからさ」


 だけど、僕は仲間たちの顔を見るまでもなく首を振った。


「遠慮させていただきます」


 それを受け入れればここにいる人も、ここにいない人たちも全てを裏切ってしまう気がする。そして、僕はそんなに大量の非難に耐えられるほど神経が太くもない。

 僕の返答を聞いてアンドリューは意外そうな表情を浮かべる。


「おかしいな。君はむしろ僕と同類だと思ったんだけど」


「一緒にしないでください」


 僕は彼のように陽根を晒したまま堂々と突っ立っていたりするほど変人ではない。

 

「まあいいか。一応術式だけ教えておいてあげるからさ、その気になったら利用しなよ」


 アンドリューはそう言うと無造作に僕の頭を掴んだ。

 十分に距離を取ったはずだったのに、彼の腕が五倍以上に延びたのだ。

 触れた手の平から生命力や魔力が吸われ、代わりに膨大な記憶が流れ込んでくる。

 接触自体は一秒に満たないほどの短い時間で終わり、手は離された。

 同時に、僕は立っていられなくなり地面に倒れ込む。

 もはや呼吸を続けるのも困難なほどの疲労感が鉛のように僕の胸を覆い尽くす。

 

「それじゃ、僕はお腹が減ったから下に行くよ。またね」


 眼球を動かすことさえままならない僕の視界の隅で、楽しそうに笑うアンドリューは手を振ってローブを着込むとそのまま、こちらを振り返ることもなく、深層に向かうために立ち去った。

 彼の記憶が入り込んできて、アンデッドになって彼が感じる欠乏感の片鱗が少しだけ理解できる。

 魔力そのもので体を構成する彼はここに存在するだけで身を削られる苦痛にさいなまれ続け、しかも転生前から強烈に精神を苛んでいた孤独感は欠片も薄らいでいない。

 他人と相容れず、理解者の少なかった怪人は常に同類をさがしていたのだ。

 だから僕を残す。いつか自分の友人になる可能性を残すために。

 でも、僕が彼に憎悪以外の感情を向けることはないだろう。

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