第192話 帰路別

「指導員、どうぞ」


 アンドリューが立ち去ったあと、寝返りも打てないほどに疲弊した僕に、ビーゴが回復薬を差し出した。

 手を伸ばして受け取るどころか返事さえできない僕の口にビーゴはかまわず瓶をつっこみ、うまく喉の動かせない僕はむせそうになった。しかし高価な品である。その思いで吹き出しそうになるのをこらえて飲み下す。

 頭が痺れるような甘さと臓腑を腐らせるような苦さが同時にやってきて、それが消えるのと入れ替わりに失われた体力が戻ってきた。

 僕は身を起こすと、ビーゴに礼を言ってから空になった瓶を壁に叩きつけた。

 高い音がして破片が砕け散る。

 

「落ち着けよ」


 横に立つシグが苛立たしげに息を吐く僕をなだめた。


「……うん、もう大丈夫」


 内心の激情を押さえ込んで僕は答える。

 シグなんかはともかくとして、マーロが僕を見て怯えていた。

 帰り道を考えれば彼女には落ち着いてもらわなければいけない。

 ルガムの死体の横でも自分を失わずに冷静な思考ができるのは自らよりも弱い彼女のお陰だなんて考えれば失礼だろうか。


「とにかく都市に帰ろう。ルガムを蘇生させないと」


 そのことに迷いも葛藤もない。


「金はあるのか?」


「そんなのはどうにかするよ」


 ご主人やブラントに頭を下げ、騙してでも金を集める。足りなければ蘇生の技術者をさらって脅してでもやるしかない。

 とにかく、それ以外の選択肢はなかった。

 

「でも外にはエランジェスの一味が……」


「それもどうにかするさ。みんなが嫌なら一人で行くから、せめて迷宮の出口まで送ってくれないかな」


 そう言う僕の眼の前にシグは指を突きつけた。

 

「おい、ちょっと落ち着けって」


 その眼は心配そうに僕を見つめているので自分で思っているよりもよほど取り乱しているのだろう。

 僕は深呼吸を一つして眼を閉じた。一度冷静になって頭を冷やし、ゆっくりと眼をあける。

 

「うん、もう大丈夫だよ。とにかく出口のあたりまで戻ろう」


 どんなに冷静になってもやることは変わらないのだ。



 ルガムの死体は僕が背負った。

 前衛組は戦闘に集中しなければならないし、体力の消耗が少ないビーゴを前衛に上げる。まさかモモックにルガムを担がせる訳にもいかない。

 そもそも彼女の体を他の者には触らせたくなかった。

 そうして重たい彼女の死体を担ぎ、奥歯をかみしめながらふらふらとパーティの最後尾をついて行く。

 来た道を戻るのは前衛を欠いた僕たちにとって楽な行程ではなかった。

 それでも惜しみなく使う攻撃魔法のお陰で被害も少なく、無事に迷宮の出口へとたどり着いた。

 

「それじゃあ、僕はルガムを連れて寺院に行くから」


 そう言って迷宮を出ようとする僕をシグが慌てて止めた。


「待てって、都市に戻ればキュード・ファミリーの連中がいるんだぞ。そいつらに見つからない策はあるのかよ」


「邪魔をするのなら殺して通るさ」


 僕は焦っていて、一刻も早くルガムを蘇らせたかった。

 どうしても、彼女が生きていないという現実が舌の根を痺れさせる。

 

「おまえ……そんな事を言うやつじゃないだろう。おかしいぞ」


 シグが怪訝な顔を浮かべる。

 確かに僕は都市での殺人を忌避してきた。

 それをすれば僕は人間と魔物の間に引かれた線を越えてしまいそうな気がしていたのだ。

 だけど、ルガムが死んで人間の側に安住するよりも、彼女を蘇らせて魔物の側に堕ちた方が遙かにマシに思えた。

 と、同時にシグの言葉は自分の中にも違和感を見つけさせる。

 

「……そうだね。どこかがおかしい。もしかしたらアンドリューの影響かも」


 僕はルガムを地面に降ろすと、傍らに座り込み両手で顔を覆った。

 あの一瞬でアンドリューから流れ込んだ知識はほぼ彼の所有する魔術に関するものだったのだけど、他にもわずかながら記憶や感情も流れ込んだ。

 その知識に照らして、僕を操る魔法を使っていないことには確信が持てる。

 だけど、思考法や判断基準がアンドリューのものと混ざり合ってはいないか。

 その前までの僕なら、最後まで他の方法を検討したはずなのに、今は手っ取り早く暴力で解決しようとしている。

 ゆっくりと腹のそこまで息を吐き尽くすと、やや落ち着いてきた。

 あの変人から貰い受けた力の記憶は有り難く活用しながらも、それに引っ張られてはいけない。引っ張られればおそらくアンドリューと同じように孤独に苛まれ、思惑通りにアンデッドとなって迷宮に潜っていく事になるだろう。

 僕は両手をおろし、真っ直ぐにシグを見る。

 眼が合ったシグは僕の目つきが元に戻った事に安心したのか、大きな息を吐いた。


 ※


 組合詰所で貸し出される死体運搬用の荷車を押しながら帰ると拍子抜けするほどあっさりとブラント邸にたどり着くことができた。

 一応、同行してくれたシグとビーゴに先行や先導をして貰ったのだけど、緊迫する場面はほぼ皆無であった。

 マーロは一緒に行くのが嫌だといい、組合詰め所で別れた。彼女は時間をおいて都市に戻るらしい。

 モモックは目立つ為、僕の方から頼んで別行動をして貰っている。

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