第186話 黒スライム

「ここに入るのか?」


 黒苔による暗黒地帯を前にシグが嫌そうな顔をした。

 この中に入れば目は見えず、黒スライムから攻撃を受けても回復魔法の使い手はいないのだ。

 

「ここなら追ってこないかも知れないし、追ってきても迎え撃てるよ。そうじゃない平場で戦うのはマズいんだ」


 彼我の戦力差が大きすぎる。正面から戦えば一方的に燃やされて終わりだ。

 僕はルガムと手を繋ぐと、全員で手を繋いで一列に並ぶように指示した。

 珍しく、パーティの先頭に立つと、後ろに立つ仲間たちの不安そうな表情が目に付いた。

 

「とにかく、僕には暗闇が見えるからまっすぐ付いてきてよ」


 他にやりようもないと諦めたのか、反対意見は出なかった。

 ルガムの手を掴んだまま、暗闇に立ち入ると、確かに目は見えないのだけどスライムの気配ははっきりと掴めた。

 壁や天井にへばりつくスライムたちの御陰で通路の形がよくわかる。

 しかも、ここは浅い階層なのでスライムの運動能力はほとんどない。

 ゆっくりとすり寄るか、せいぜいが天井から落下するか。

 すり寄る方は普通に歩けば問題無いのだけど、天井で獲物を待ち受けるスライムは厄介である。


『火炎球』


 僕の魔法が前方の天井を焼き、スライムを倒した。

 

「ビーゴ、左に寄りすぎ。もう一歩右に進んで」


 後ろから付いてくる仲間たちにも指示を出しながらそろそろと歩くと、ややあって暗黒地帯を突破した。

 この通路そのものが迷宮の摂理に逆らって存在しているため、距離は短かった。

 僕に着いて暗闇から顔を出したルガムもキョロキョロと周囲を見回した。


「おお、緊張したけど意外とあっさり抜けたな」

 

 ルガムは脳天気に言った。

 暗黒地帯を抜けた先が見慣れた迷宮の風景だったので安心したのだろう。

 そう、本当に普通の通路である。

 やや進めば右に曲がっているのだけど、その先にも別段、財宝が隠されたりはしていないだろう。そう考えれば、この暗黒地帯を通過する意味はまったく無いのだ。

 緊張した面持ちでビーゴが出てきて、その裾を掴んだモモックも暗闇から顔を出す。

 全員無事でほっと胸をなで下ろした。


「ここで隠れとったら、あん気色悪か魔法使いは来んとかね?」


 モモックは後ろを振り向いて聞いた。

 そこにはやはり暗黒を湛えた空間が広がっている。

 

「僕の魔力を追ってきているみたいだから、同じような手法で通り抜けてくると思う」

 

「じゃあ、なんでわざわざ危険な場所を通ったんだ?」


 シグが不満そうに呟く。

 

「そこはほら、この通路が直線だから」


 僕は作戦を彼らに説明した。



 僕たちは通路の先まで確認してみたのだけど、曲がった先には変な道化師のような格好をした魔物がたたずんでいるだけで、それもあっさり倒せてしまった。

 件の魔法使いは時々、魔法を使いながら徐々に近づいて来ている。

 やがて、魔法使いは暗黒地帯の手前で足を止めた。

 なんの意味もない通路なのだから、やはり僕たちを追ってきたのは間違いない。

 魔力が薄くてわかり辛いものの、数人の前衛を連れている。

 僕と同じような手法で暗黒地帯を抜ける積もりなら、魔法使いが先頭を歩くはずだ。

 その瞬間、石つぶてを飛ばそうとモモックは既に膨らんでいる。物理攻撃ならあの魔法使いも感知できないだろう。

 まっすぐな通路で常になく先頭を歩く魔法使い。あとは僕の指示を待つだけである。

 しかし、やはり僕は彼を見くびっていた。

 常識が通じない迷宮でさえ、非常識な事をするやつもいたものだ。

 僕は遠く、膨大な魔力が固まるのを感知した。


「皆、逃げて!」


 曲がり角の奥へ皆を押し込み、自力で動けないモモックを突きとばし、その上に覆い被さった。


『極熱波弾!』


 楽しそうな声で唱えられた最高位魔法が膨大な熱量を解き放った。

 強大な熱は暗黒地帯を形作る苔と生息するスライムを焼き尽くし、余勢を駆って僕らに襲いかかる。

 他の連中はもともと、曲がり角の向こうにいたのだけど、通路で狙撃の準備をしていた僕とモモックは逃げ遅れ、まともに熱を浴びてしまった。

 その時、着込んだローブに込められた魔力が発動した。冷気を噴き出し、かなりの熱量を中和する。

 呼吸も出来ない程の熱量で、僕の手足は火傷したのだけど、ウル師匠からこのローブを貰っていなければそんな事を考える間もなく蒸し焼きになっていたはずで、ウル師匠に強い感謝の念を捧げる。


「モモック、大丈夫?」


 熱が消えると僕はすぐに身を起こし、モモックの安否を確認した。


「死ぬかっち思うたばってん、空気を貯めとったけん助かったばい」


 僕の体の下でモモックは元の大きさになっていた。

 なるほど、ローブの魔力だけではなく、彼が放出した大量の空気も熱を撥ね除けるのに一役買ったのだろう。

 

「でん、こわってしまったごとあってよう動けんばい」


 背を丸め、腹を押さえたモモックは苦しそうに呟く。

 僕の額には冷や汗が浮いてきた。乾坤一擲の攻撃手段を戦闘前に失ってしまったのだ。

 見通せるようになった通路の向こうではあの魔法使いが前衛の戦士たちに守られて立っており、まっすぐ目が合う。彼はおどけるように大きく手を振った。

 よりによって格上の敵と通路の平場で向き合ってしまった。これは僕の失策だ。

 鼓動が早くなっていく。

 誰も死なずに切り抜ける方法、そんな都合のいいものがまだ残されているだろうか。

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