第187話 炭の粉

 敵が近づいてくる。

 絶望は断固として受け入れられない。僕の思考は可能な限り高速に駆け巡り、情報を並べ立てた。

 件の魔法使いを入れて五人組である。前衛には用心棒なのだろう、戦士らしき男たちが三人並んでおり、後ろに魔法使いがいる。その横にはマルカの部下である禿頭のゴロツキが立っているので、他の連中と違いルガムではなく僕を追ってきたのは間違いない。

 手のひらや頬の火傷がズキズキと痛み思考の邪魔をする。

 通路の向こうから僕を見ているシグと目が合った。視線を落とすとモモックが倒れている。

 悩むことはない。結局選択肢はほとんど無いのだ。

 

「僕を連れに来たんですか?」


 僕は出来るだけ彼らを満足させるように怯えた表情で問う。僕を連れ去るだけが目的であればおとなしく連れ去られればいいのだ。そうすればこの魔法使いと戦わずに済む。暴行は受けるだろうけど、その中で逃げる機会を窺えばいい

 やや離れたところで魔法使いの表情が穏やかに微笑む。本性を知らなければ聖人とはこういう人間だと思ってしまうほど美しい笑みだった。

 

「当たり前だ、お前のせいで俺がどれ程痛い目を見たと思っていやがる!」


 口を開こうとした魔法使いを遮りゴロツキが怒鳴った。

 頬は張れ、瞼が腫れ、唇は割けている。見張っている途中に僕を逃がした件でマルカから暴行を受けたのだろう。

 

「さ、先生。あのガキを捕まえてください」


「え、嫌だけど」


 魔法使いの返答にゴロツキの表情が凍りつく。


「嫌って、ここまで来て……」


「僕は彼の居場所がわかると言ったんだよ。君たちは案内してくれと言った。だから捕まえるのは自分でやってよ」


 魔法使いは酷薄な笑みを浮かべた。

 ゴロツキはポカンと口を開けたまま視線だけでこちらを見た。

 前衛の用心棒たちも突然の成り行きにどうしたものか戸惑っている。

 

「捕まえればいいんですよね?」


 用心棒の一人が聞き、ゴロツキは戸惑いながらも首肯した。

 それを合図に用心棒たちは動き出す。冒険者崩れなのだろう。動きに迷いがない。

 

『火雷!』


 僕の魔法が用心棒三人を包むが、彼らは構わずに走り込んで距離を詰めてくる。

 と、横手から飛び出したシグが先頭の男を切り捨てた。

 僕に注目して油断していたことを差し引いてもシグの方が実力面で上手だった。

 すぐにルガムとマーロも続き、残りの用心棒を打ち倒す。

 人数面ではあっという間に有利になった。

 用心棒を屠られ、呼吸の荒くなったゴロツキは魔法使いに哀願した。


「先生、頼みますよ。金は倍払いますから!」


 その頼みに応える様に微笑むと、魔法使いは手を挙げ、ゴロツキに向かって下ろした。


『灼炎』


 爆発的に膨れ上がる魔力に包まれながら、ゴロツキは信じられないという表情を浮かべていた。

 次の瞬間、強力な火炎に変質した魔力は太陽の様に眩しく光り、数秒で消える。

 その後には立ったまま炭化し、絶命したゴロツキの姿があった。

 

「ふっふっふ、ちょっとだけスッキリした。こいつのことも嫌いだったんだよ。うるさくて馬鹿でさ」


 ひとしきり笑うと、魔法使いはゴロツキの体を突き飛ばす。

 ゆっくりと倒れたその体は、地面にぶつかり粉々に砕けた。

 一連の流れを見守る仲間たちの緊張が痛いほど伝わってくる。

 この怪人の強さは達人の域を遙かに超えており、達人でさえない彼らはこれほどの魔法の使い手を見た事が無いはずだ。


「さて、この前から僕は君と話したかったんだ。君の名前を教えてくれるかな?」


 魔法使いは比較的大きな炭の固まりを丁寧に踏み砕きながら僕の方を見つめる。

 僕は突きつけられた視線に耐え切れず、目を伏せ答えた。


「ア、といいます」


 魔法使いは一瞬、きょとんとした顔でやがて笑い出した。


「ふふふ、いいね。人間性だけではなくて名前まで変わっている」


 こいつだけには言われたくないと僕は強く思う。


「やあ、僕も名乗っていなかったね。僕はアンドリュー。君とは仲良くなれそうだ」


 アンドリューと名乗った魔法使いは言いながら魔力を練る。

 

「いえ、こちらこそよろしくお願いします」


 僕も頭を下げながら、その魔力に集中した。

 強大な魔力の行き先は……


『灼炎』


 モモックに向けられた魔力を僕は必死に掻き乱し、発動を阻止した。

 魔力を読めない仲間たちはただ唱えられた死の言葉に身構え、何事も無かった事に戸惑っている。

 

「それ、それだよ。君はどうも順応の度合いに比べて魔力感知や操作の技能が突出している。まったく奇妙で興味深い」


『火炎球!』


 皆が冷たい汗を掻きながら押し黙る中、空気を読まないビーゴが突如として魔法を唱えた。

 飛び出した光球はアンドリューに向けて飛び、直前で霧散して消えた。

 アンドリューは一号に魔力感知器官を植え付けられた僕よりも数段上手く魔力を読み、操る。当然、僕に出来る程度の技能は彼にも出来るのだ。

 こういうのを才能と言うのだろうか。

 

「どうしようか、僕はうるさいヤツが嫌いなんだ。そいつを殺したいんだけど邪魔しないで貰えるかな?」


 ビーゴを指さしてアンドリューが僕に言った。

 

「お断りします。彼も僕の仲間なので殺さないでください」


 僕はいつ魔力が放たれてもいい様に身構えながらビーゴの方に首を向ける。


「悪いんだけどさ、ビーゴ。君じゃあ戦力にならないんだ。おとなしくモモックの介抱でもして貰ってていいかな」


 その言葉を聞いてビーゴは素直にモモックを助け起こす。

 内心、ビーゴの行動には大きな期待を寄せていた。

 彼がいつも持っている高価な回復薬をモモックに投与してほしい。

 互いに向けられる魔法を封殺出来る以上、頼れるのは物理的な攻撃手段なのだ。

 しかし、取れる手段が似ると考えることも互いに似通ってくるものらしい。

 

『起きろ、野蛮人ども』


 アンドリューの魔力が向けられた先は僕たちではなかったので防ぎようもなかった。

 打ち倒した用心棒たちの死体がゆっくりと起き上がる。

 死霊術!

 冒険者組合では存在のみを教えられ、使用法は決して教えて貰えない禁術である。

 

『小悪魔どもよ、遊びにおいで』


 粉末状に砕けたゴロツキの遺体が空中に浮き上がり、アンドリューの魔力と結びつき形を為し、やがて、炭の粉から青みがかった陶器のような肌を持った魔物が二匹受肉した。低級魔族のガーゴイルである。

 召喚魔法と呼ばれる特殊魔法は、やはり組合では教えられる事のない魔法だった。

 ガーゴイルたちはアンドリューの傍らに着地すると凶悪な牙を持つ口で僕たちをあざ笑う。

 禁術や秘術を易々と使いこなすアンドリューの実力にもはや、僕はどんな表情を浮かべればよいのか解らなかった。

 

『はしゃぎ回れ、岩人形』


 アンドリューの魔力が空間を裂くと、異空間からシグを二回り大きくしたようなゴーレムが三体取り出された。

 動く死体とアンドリューの間を塞ぐように立ったゴーレムたちにより、完全にアンドリューへの攻撃が不可能になった。

 アンドリューは狂人だが馬鹿じゃない。

 彼が自らを守るはずの前衛を見殺しにしたのは、何のことはない。必要が無かっただけだったのだ。彼は一人で十分すぎる程のパーティを組んで見せた。

 

「もう一回きくよ。その小僧と、ついでに他の連中も殺させてくれないかい。そうしたら君の命だけは助けてあげるから」


 その笑顔は言葉とは裏腹に、聖性に満ちあふれていた。

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