第185話 家に帰る内が人間です。
後方から徐々に迫る魔法使いを気にしていると、そうではない三人組のゴロツキたちに遭遇してしまった。
曲がり角でばったりと出会った彼らの顔面は蒼白で、服に血が着いているので、他の魔物におそわれた中で三人だけはぐれてどうにか逃げてきたのだろう。
「ちょ……」
先頭のスキンヘッドが手を挙げ何事か言う前にその頭はルガムにより叩き潰された。
すぐにシグも距離を詰めて二人を切り捨てる。
「え……あの、今なにか言いかけてましたけど」
動かなかったマーロが振り返って僕を見た。
このあたりは順応が進んでいても絶対的な経験が不足している者特有の感性だ。
ルガムとシグも黙ったまま武器の血を払い僕を見つめている。
マーロは僕の被指導者なので、説明を僕に任せているのだ。
「ええとね、マーロ。そこの彼は確かに何か言い掛けていたね。じゃあ具体的には何を言い掛けていたと思う?」
マーロの視線は流れてシグ、ルガム、そして倒れている禿頭に注がれた。
「……ちょっと待ってくれ、と」
僕はうなずく。事実としてその通りだとも思う。
「じゃあ、それで待つ必要はあったのかな?」
「いや、それは……ないですけど」
その通りに組合の育成機関でも教えているし、ブラントの指導でも教えていた。彼女も頭ではわかっているはずだ。
しかし、裕福な家庭で育ち、ブラントに守られながら迷宮に立ち入る彼女にとって、本当の意味での危機はいつも薄い壁を一枚隔てて存在したのだ。その一枚をどうにか取り除こうとしてブラントは苦心していたのだけど、ついに今の今までそれに成功していないからマーロの口からこんな言葉がこぼれる。
彼女が手本として背中を見続けたブラントは圧倒的な実力者であって、彼であればこういう時にも余裕を崩さず、都市での道徳に従った行動をとることも可能だろう。しかし、ブラントをきちんと観察すればわかるが絶対にそんな愚かなことはしない。
あくまで尊敬すべき師としてブラントを仰ぎ見て、彼の弱いところや汚いところを見ようとしないからこんなときに二の足を踏む。
「待ったとして、いつまで待つの。彼らが武器を取って構えるまで? それともその武器が自分に振り下ろされるまで?」
本当は、この問答さえ無意味で、現時点で理解できていないのなら体験として理解できるまで戦闘を繰り返すしかない。
マーロは押し黙って下唇を噛んでいる。
「とにかく、こちらも向こうも意志疎通が可能で間合いが遠いときにだけ会話をすればいいよ。そうでないときはまず殺してみて、それから他の理屈を考えるべきだ」
実際、迷宮の魔物たちとの遭遇において、向こうから戦闘を避けようとする事は珍しくない。
その場合、シグやステアは大抵それを受け入れる方針をとるのだけど、今回の場合の様に突発的な戦闘においては相手が油断していようと躊躇ってはいられず、戦闘になだれ込む。
「そんなの、魔物と変わらないじゃないですか!」
マーロの言葉は、根本的な勘違いを含んでいる。人間と魔物を明確に分けて考えているのだ。
そもそも、悪意の迷宮にあって存在し続ける人間は魔物に劣らない生命力を持っている。怪力を持つ者もいるし、魔法などの特殊技能を持つ者もいる。運が良かったり勘がよかったり、そうでなければたちどころに他者に食われて存在は消されてしまう。
魔物の一種として見れば人間は武器や装備品の扱いなどは他の魔物の追随を許さないほど巧みだし、思考も明晰。仲間との連携も使いこなす。
互いが喰らいあう迷宮にあっても、人間が魔物を恐れている程度には、魔物も人間の事を恐れていて、だからこそ戦闘にもなれば、距離をとって互いに見送りもする。
その中で人間らしさを求めるのはむなしく危険な行為に他ならない。
「人間と魔物の違いって自分の意志でこの迷宮から出るかどうかだよね」
多くの魔物はより濃厚な魔力が漂う深部を目指す。
僕の知る限り人間だけが迷宮から脱出するので、この迷宮における人間性とはすなわち帰還する意志を保つ事だと定義できる。
そしてその僅かな人間性すら順応が進む事により磨耗して、やがてはなくなってしまうのだ。そうなった者はもはや人間とは呼びがたいのだけど。
「そんなことはどうでもいいんだけど、追っ手も近づいているから急ぐよ」
僕は無益な話し合いを切り上げてシグに前進を促す。
結局、どう言ったところで迷宮でしか生きられない僕はその結果が死であろうと魔物化だろうと成り行きを受け入れるしかない。
兵士を目指し、おそらく遠からずその資格を得る、恵まれた彼女はこの後、僕を毛嫌いするのかもしれないけれど、とりあえずこの場だけでもおとなしく従ってくれていれば文句もない。
そんなことを考えている内に目的地にたどり着いた。
目の前には相変わらず光を通さない黒苔の暗黒地帯が広がっていた。
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