第179話 屋根上の監視者
僕たちは路地裏を抜けると、また新たな路地裏へ。
それを繰り返してやがて見つけた建物のくぼみに入り込んだ。
その空間は通りから見えないようになっており、しばらくは隠れていられそうだった。
モモックを地面に降ろすと僕はその場に座り込んでしまった。体力がないから魔法使いになった僕に重い物を運ばせるのは酷だ。
何度か深い息を吐いて鼓動を落ち着かせる。さてこれからどうするべきか。
あのマルカという男が手下と二人で僕を追いかけているのであればそう簡単に見つかりはしないだろう。
「そんでどこに行くとね? 逃げるとか戦うとかを決めちくれんとこん先は道が分かれるばい」
「逃げるよ。あいつらをヤッツケるのはまた別の人たちがやるだろうから僕がやることは身の安全を確保して時間を稼ぐだけ」
なんて情けない事を言っていると通りの方で騒ぎが起こった。
僕はモモックと顔を見合わせ、そっと通りをのぞき込む。
そこには大勢に囲まれて見知った顔が一つ。
「なんね、知り合いね?」
見上げるモモックに首肯で答える。
人垣の中央に立つのは剣士ノラだった。
ガルダの相棒でありながら敵の本拠地を堂々と歩くのだ。賞金を目指す有象無象に囲まれて当然である。
彼の顔は周囲の人が障害物となりよく見えない。
「ああ、見づらいな」
思わず呟いた僕の足をモモックが叩いた。
「そんなら上に行こうかね。この先から屋根の上に上れるばい」
彼が先に立って案内する路地の奥に向かうと、なるほど木箱やゴミなどが積み重なり放置されていた。次々と上に置かれたであろうゴミが崩れてスロープ状になっている。
僕はモモックを抱き上げるとゴミを利用し屋根に這い上がった。
建物が入り組んだ路上では感じない強い風を体に受け、危うく落ちそうになったのだけど、魚油の腐臭が着いた身にはその風が心地よかった。
空が青い。
思えば都市に来て以来、こんなに高いところへ登ったのは初めてではあるまいか。
幼い頃、木登りに興じた日々を思い出して僕は場違いに楽しくなった。見れば連なる屋根の上も住民たちにとっては立派に生活空間の一部であるらしく、洗濯物や野菜が干してあったりする。
幸い、近くの屋根の上に人はいなかったのでモモックを誰にも見られずに済んだ。
「ほら、アイヤンこっちこっち」
モモックが呼ぶ方へ行き、下を覗くとノラがいた。
憮然とした表情で歩く彼に従って周囲の人垣も動いていく。
どうも、群衆は彼を取り囲んでガルダの事を聞き出したいのだろうが、手も出せずにこんな形に落ち着いてしまったらしかった。
もっとも、ノラからすれば彼らを追い払う事も可能であるだろうに煩わしそうにしながらなぜ許容しているのか。
「おい、兵隊さんを連れてきたぞ!」
声がして、そちらを見ると通りの向こうから下層民とおぼしき男が走ってくる。その後ろには都市の兵士が十人ほど着いてきていた。
対するノラは渋い顔の皺をさらに深くしていた。
人垣が割れ、兵士たちを飲み込んで再び閉じる。
「貴様がノラか、おとなしくガルダの居場所を吐け!」
二重の輪の内側でノラを囲む兵士の一人が怒鳴った。
ノラは彼らをちらりと見渡し、あからさまに落胆の色を濃くしていた。
やがて、渋々といった調子で刀の柄を握るとゆっくり引き抜いた。
血の予感がそうさせるのか、周囲の群衆は騒々しさを増していく。
戦闘そのものは短時間で、また一方的に終わった。
手足を四本とも斬り飛ばされ、無様に地面を舐めている兵士たちが十二名。
ノラは息の一つも乱さないまま、刀を鞘に納めた。
先ほどの喧噪が嘘のように辺りは静まりかえり、その静寂の直中でノラは大きく息を吸いこんだ。
次の瞬間、信じられない程の巨大な音圧が僕の耳を打った。
「俺はガルダの相棒ノラだ! 用がある者は急いで来い、待ちわびたぞ!」
その声はかなりの距離があるにも関わらず、僕に殴られたような衝撃を与えた。
見れば彼を取り囲む群衆の半数以上が倒れている。
なるほど、彼は戦うに値する敵を待っているのだ。
僕には理解できない価値観を持つ異能の戦士はそのために群衆を追い立てもせずに侍らせ、挑戦者を呼び込んでいる。
ブラントは腕利きの気配を感じ取っていたが、果たしてノラを満足させうる程の者がいるものか。
とりあえず彼には近づかない方がいいことはわかったので、悠然と歩み去るノラを見送り、僕は顔を引っ込めた。
「なんっちゅう大声ね。アイヤン、あいつ知っとうと?」
モモックも苦痛に顔を歪め両耳を押さえていた。
獣人の感覚は人間より優れている面も多いと聞くので、僕よりもダメージが大きかったのだろう。
「ええと、知り合いの……危ない人。関わらない方がいいよ」
モモックがしばらく休憩をとりたいというので、僕は手持ちぶさたに通りを見下ろしていた。
すると、知った顔を見つけた。
周囲を見回しながら歩いているのはシグだ。横には帽子を目深に被ったビーゴもいた。
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