第162話 新妻エレジー
ガルダに連れられたネルハが教会にたどり着いたのは日没の直前だった。
「ここが、まあ俺たちに縁深い教会だ。用がなければまず近寄りたくは無いがな」
そういうと、ガルダは礼拝堂の扉を開けた。
中は薄暗かったのだが、奥の一段高くなったところに椅子があり、老婆が座っているのが見えた。
「遅かったですね。待ちくたびれましたよ」
老婆がよく通る声で言った。
その響きにはガルダたちを責める響きが込められている。
「そういうなよロームの婆さん。俺たちはアンタと違って座ってるだけって訳には行かねえんだ。さ、手っ取り早く始めてくれよ」
ノラと名乗る方は礼拝堂に立ち入らなかったので建物の中にいるのは三人だけである。
ロームと呼ばれた老婆はガルダの態度に何か言い掛けて、やがて諦めたようにため息をついた。
ガルダに手を引かれたネルハはロームの前に進み出る。
ロームは朗々と祝詞を唱え、ガルダとネルハに覚悟を問うた。
二人がそれに答えると、それで式は終わった。
実に短い、神への宣誓。
それが終わるとガルダはロームから紙切れを受け取る。
先ほどいっていた夫婦証明書なのだろうか。
ガルダはポケットから一掴みの金貨を取り出すと、ロームに押しやった。
「じゃ、そういうことで。ほら、行くぞネルハ」
もはやこの陰気な場所に用はないとばかりにガルダは先に立って礼拝堂を出た。
ネルハは終始不機嫌そうなロームが気になったものの、ガルダが一顧だにせず歩み去ったのであわてて背中を追う。
薄暗い礼拝堂を出ると、入り日のまぶしさに目がくらんだ。
それもほんの一瞬のことで、すぐに目が慣れる。
「あの、これで私は奴隷じゃなくなったんですか?」
余りに突然の事で頭の理解が着いてこない。
だけど、道すがらガルダが語ったことが本当だとしたらその理解でいいはずだ。
「そうそう。あんたの債権については俺が買い取ってあるからな。つまり、貸し主が俺、借り主があんただ。これが夫婦になるとどうなるか。二人の財産は共有化され、貸し借りはチャラになる。奴隷管理局には既に書類を出しているからな。今から教会の夫婦証明書を持って行けばいい。それで晴れてあんたは自由の身だ」
ガルダは頼もしく笑った。
日が沈み、その顔に深い陰がかかる。
「そうして、俺には様々な口実が出来る。お互いに万々歳じゃねえかよ」
ガルダの表情は黄昏に紛れてネルハには見えなかった。
おかげで、ネルハはガルダに対して恐怖心を抱かずにすんだのはまさしく僥倖だっただろう。
「さて、それじゃ早速奴隷管理局に行って、その後はお披露目に回るぞ」
ガルダは楽しくてたまらないように笑った。
「おいノラ、お前も祝儀をはずめよ」
「知らん」
横に立つ相棒はぶっきらぼうに言い捨てた。
※
「ちょっと、マズいですって」
声をあげるネルハを無視してガルダはその手を引っ張る。
「ここ、花街じゃないですか!」
活気が出始めた時間帯、人の群を縫うように二人は歩く。
奴隷管理局で必要な手続きを済ませ、その足で花街に来たのだ。
「気にするな、結婚祝いに高級な飯屋を抑えてある。味はマズいが、楽しんでくれよ」
ガルダは的外れな事を言った。
ネルハからすればキュードファミリーの根城である花街など、トラブルの予感しかしない。
腕を振り払いたかったのだけど、ガルダは離してくれないので、せめて顔を伏せて着いて歩く。
「囲まれちゃいますよ!」
小声で必死に抗議するのだけど、ガルダはそれには応えない。
奴隷ではなくなったから、ハイそうですかと話が通じるのだろうか。
ネルハはエランジェスの眼を思い出して身震いした。
やがて、ガルダは一軒の店に入っていった。
「あ……」
ネルハは店内を見て絶句した。
奥で食事をしている男に見覚えがあったのだ。
それはキュードファミリーの大番頭『老人』ハンクだった。
「ガルダさん、あの人!」
必死で引き留めようとするネルハの抵抗も虚しく、ガルダはハンクの前まで進んだ。
「よう」
ハンクの横に座った坊主頭の厳つい男がガルダに声をかけた。
「おう、また会ったな」
ガルダもそれに応えると、ハンクの向かいに座った。
ハンクの眼がジロリとガルダを嘗める。
「悪いが、他の席に座ってくれないか?」
胡散臭い来訪者に対して、ハンクは穏やかに言った。
「いや、あんたに用があって来たのさ。飯を食いながらでいいから聞いてくれよ」
それを聞くと、ハンクは食器を置いて口を拭った。
目線が横に流れ、ネルハを見つめる。
ハンクは数秒かけてネルハを思い出したようで驚いた表情を浮かべる。
「おい、ネルハじゃないか。久しぶりだな。一体どうした」
気のいい親戚のオヤジが話しかけるような口調で、ハンクは言葉を投げかける。
しかし、ハンクの横にいた男が会話を遮った。
「なあ、あんた。知らない仲じゃないから先に言うが、あんまり失礼だとブチノメしてつまみ出さなきゃならなくなるぞ。それが嫌なら態度に気をつけろ」
しかし、ガルダはそれを鼻で笑う。
「なあ、あんた。知らない仲じゃないから言うんだが、たかが用心棒風情が口を挟むんじゃねえよ。失礼だぞ」
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