第163話 椅子

 ハンクは怒りを浮かべる用心棒を手で抑えると、大きく深呼吸をした。

 

「それで、用件はなんだね?」


「いやなに、俺たちはついさっき結婚したのさ。そんで祝いの食事にね。そしたらあんたが居たものだから、こりゃ一つ話をつけとこうかと思ってね」


 ガルダは大げさな身振りで応える。

 ネルハは横でどんな顔をしていいのかわからずに口を手で隠した。

 ハンクもはて、と言いながら顎に手をやる。


「話……なんのことか。俺も手広くやっているもので、はっきり言って貰わんとわからんねえ」


 ガルダの腕が延び、ネルハの肩を抱いた。

 

「ネルハがアンタんところのチンピラに絡まれてるってな。まあ端的に言やそんなところさ。こういうのはさっさと片づけて、新婚生活を楽しみたいんだ。金で話を着けようや」


 ハンクはとぼけた顔をしながらも、おおよその事態を過不足なく理解していた。

 背中に冷たい汗が流れるが、それを相手に気取られてはいけない。


「ふむ、そうだな。喧嘩はしない方がいい。互いに金がかかるからな。それで、金って言うのはお前から、うちのファミリーに払うんだろ?」


 ガルダの意図がそうでないことは百も承知していながら、ハンクは聞いた。

 こういう話し合いで相手の風下に立つことは非常にマズい。

 それに、いざとなればこの小男よりも自分が連れている用心棒の方が腕が立つという見込みもあった。

 殴り倒して連れ帰り、それからゆっくりと説得をするのも一つの手法である。

 しかし、ガルダは指を一本突き立てる。


「金貨千枚。お前らからネルハへの詫び金だ。条件は今すぐこの場に持ってくること。それでネルハの件は許してやる」


 ハンクは思わず笑った。

 金額設定が雑すぎるのだ。

 せいぜい金貨数十枚の価値しかない女奴隷を盾にして強請るなら金貨百枚がいいところだろう。

 しかし、当のガルダは当たり前のような顔で手のひらを広げて見せる。


「それから、俺の結婚にアヤ付けたことに関する詫びとして金貨四千枚。併せて五千枚だな。払うか?」


 払うわけがない。

 そして常に回り続ける組織の金が金庫にそれだけ入っていることもない。

 どうしたものかとハンクはため息をついた。

 明確に喧嘩を売られている。

 

「まあ、少し待ってくれ。俺も歳でな、顧問だの長老と持ち上げられても組織の運営からは外されてるんで決定権も何もないんだ。とにかく組織に持ち帰って結論を出す。お前はどこの誰だね?」


 ハンクはとにかくこの場を去りたかった。

 そうしてしまえば如何様にも手段は講じられる。

 

「ガルダだよ。ラタトル商会の端くれさ」


「憶えておこう」


 そう言ってハンクは立ち上がる。

 ガルダもネルハの手をとって席を立たせた。

 そのまま後ろに下がり、十分な距離をとる。

 

「いや、そいつは無理だろう。なんせアンタはもうすぐ死ぬんだ」


 ガルダは嬉しそうに言って片手を挙げた。

 呼応するように店内の全てのテーブルから客が立ち上がる。

 その面々の手には短棍や短刀を携えていた。

 やられた!

 ハンクは顔を歪めて舌打ちをした。


「美味くもないのに、どうりで客が入ってると思ったよ」


 ボヤきながら視界の端に退路を探る。

 ハンクを守るように用心棒が立ちふさがった。

 

「大丈夫ですよ、ハンクさん。こいつら全員くらいなら俺一人でやれます」


 と、ガルダがパチパチと手を叩いた。


「流石、用心棒のカガミだね。いやいや、用心棒風情なんて言って悪かった。それについては撤回して謝罪するよ。ええと、アンドリューだったか?」


 用心棒は怪訝な顔をしてガルダを睨む。


「それともロバートか。上等な名前を持ってるじゃねえか。偽名なんて使うなよ」


 この都市に流れてきて一度も名乗っていない本名を言い当てられて用心棒は動揺した。

 それでもハンクを背中に庇いながら目立たないように椅子を掴むのは日頃の習性の賜物だろう。

 

「わざわざ調べたんだ。正解発表くらいしてくれよ」


 ガルダが部下の後ろから楽しそうに言った。

 

「……ロバートだ」


 言葉を紡ぎながら、さりげなく椅子の強度を確かめる。

 

「つうことは、相方の魔法使いがアンドリューか」


 ガルダは頷いて、更に後ろへと下がった。

 

「それじゃ、あのジジイを殺せ!」


 瞬間、ガルダの手下がロバートとハンクに殺到した。

 ロバートは机を蹴倒すと、それを飛び越えて来た髭面の男を椅子で殴り倒した。

 即座に次の獲物を定め、椅子を振り下ろす。

 そのまま一呼吸の間に四人を倒した。

 二十数名の敵のうち、五分の一ほどを一方的に片づけた計算になる。

 周囲を取り囲む連中はそれを見て、足を止めた。

 ロバートは油断なく身構えながら、狙いが通ったことを悟る。

 人間は大勢で囲もうと自分がやられるのはいやなものだ。

 気勢を殺げば烏合の衆などどうとでもできる。

  

「いやあ、スゴい。鮮やか」


 ガルダが部下の後ろで言った。

 

「その調子であと五十人ほど頑張ってみせろよ」


 そう言うと、店の奥からぞろぞろと人影が出てきた。

 それを見て今度はロバートの気勢がそぎ落とされる。

 新手の連中は皆、場違いに鎧兜を身に付け、短剣などではなく長剣や槍、斧などを手にしていた。

 そして、身のこなしでわかる。

 そいつらは冒険者の前衛戦士たちだった。

 


「隙を見て逃げてください」


 ロバートが言うと同時にハンクは駆けだしていた。

 勢いよく手近な窓を破り抜けると、裏路地に転がり出る。

 そこにもガルダの手勢がいるかと身構えたものの、人影はなかった。

 まさかキュードファミリーの大幹部ともあろうものが窓から逃げるとは思っていなかったのだろうか。

 とにもかくにも、ハンクは走り出す。

 密室の店内ならともかく、人通りの多い大通りでは無法もできまい。

 そこまで逃げれば自分の勝ちだ。

 ハンクはすぐに大通りに出て人の波に混ざった。

 このまま逃げて、改めて大勢の用心棒かもしくは官憲を引き連れてガルダを訪ねればいいのだ。

 思えばハンクもガルダと同じ様な手法を幾度も取った。

 無理筋を押し、相手を揺さぶり、時に殺す。

 だが、自分の方が幸運に恵まれていた。

 そして、奇襲を凌いだ以上、挑戦者よりも王者の方が有利なのがゲームのルールだ。

 下っ端でいい。

 キュードファミリーの顔がどこかにないか。

 首を振った瞬間、視界に地面が迫ってきた。

 一秒に満たないわずかな時間、ハンクは自分がどうなっているのか理解できないまま絶命した。

 少し遅れて首なしの死体が血を吹き出しながら倒れ、通りに悲鳴が沸き起こった。

 ノラは隠した脇差しを持って騒ぎの現場を離れながら思う。

 今の斬撃を目視できる様な強者はいないものかと。 

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