第151話 野良犬と飼い犬

 ノラは思う。

 迷宮の空気に随分と馴染んだものの、仇には果たして近づいているのかと。

 迷宮から仇が出てきていないのは間違いない。

 入り口の衛士たちにも組合の事務員たちにも小銭を握らせているので件の男が出てくればすぐに耳に入るはずだ。

 しかし、いまだに知らせはない。

 ノラが都市を訪れるずっと前から迷宮に入って出てこないと言う事は、つまり迷宮で死んだのだと都市の住民は言う。

 だが、そんな事があるのだろうか。

 ノラに並ぶ技量の剣士を四人、同時に相手取って軽々と吹き散らしたあの怪物が何者かに討たれる姿はどうしても思い浮かばない。

 ノラ自身、迷宮に潜りだして幾分か強くなった。

 一合の打ち合いに際して五回でも十回でも刀を振れる。

 今もすれ違いざまにサソリと人の混成魔獣をバラバラに断ち切った。

 人間の上半身がサソリにくっついた様な魔物は左右の手に曲刀を持ち、九匹で群れなしていた。

 即座に二匹目の首をはね、三匹目の頭を縦に割る。

 地下十階程度の深さなら魔物に苦戦はしない。

 ただ、十五階を過ぎたあたりで遭遇する魔物には苦戦するようになり、二十階で出会った七つの眼を持つ巨人には歯がたたなかった。

 どうにか逃げ仰せたのだが、危うく目的も果たせずに死ぬところであった。

 ノラが踏み込む姿勢を見せるとサソリ男が身構える。

 その横顔を飛礫が打ち砕いた。

 他のサソリ男たちが小雨に視線を注いだ瞬間、ノラの刀は更に二つの首を飛ばした。

 やはり仲間か。

 ノラは声に出さずつぶやき、戦闘に没頭した。



 戦闘終了後、ノラは敵が全て動かなくなったのを確認すると、手近な岩に腰を下ろした。

 小雨はサソリ男たちの巣を漁っている。

 小雨には鍵開けの技能があるとのことで、巣にあった宝箱を危なげなく開けた。


「短刀ですね。魔法の品かな」


 小雨は嬉しそうに笑って短刀を振って見せた。

 その顔には覆いはない。

 ノラと二人で迷宮に入るときはいつも地下二階に降りる階段の途中で覆面を外すのだ。

 曰く、迷宮は暗いので両目を出したいとの事だが、片目でも十分な体術を披露していたとノラは思う。

 しかし、本人の問題である。

 いかなる条件下でも全力で戦えるのが基本ではあるのだが、より楽な状態の方が度重なる戦闘には向くだろう。

 本人が望むのなら全裸で戦ったって構わないのだ。

 以前目にした彼女の裸体が脳裏に浮かぶ。

 真っ白な肌だった。

 脅威の威力を弾き出す筋肉の上に、十分な肉が付く美しい裸体だった。

 ふと、ノラはこの少女の事をなにも知らない事に思い至る。

 いつの間にか自分の後を付けていて、気づけば一人で挑む迷宮修行に同行していた。

 鍵開けの技能を誇り、殺人の技術を見せつける。地上に戻ってはガルダといがみ合い、護衛対象を申し訳程度に監視し、時々なにかを言いたそうに悩んでいる。

 その剣呑さと同居する無邪気さはノラの無聊をいくらか慰めた。

 年齢はいくつだ。

 家族はいるのか。

 故郷はどこだ。

 好きなものはなんだ。

 そんな質問が浮かび、ノラはそれらを端から吹き消していく。

 関係ない。

 ノラ自身、それらの質問に答えた事はない。

 付き合いも長くなりつつあるガルダに対してさえだ。

 あのこまっしゃくれた少年の様なガルダもノラを支えてくれている。

 ノラが都市に滞在する費用についてはこうして迷宮に入れば十分すぎる程にまかなえるのだが、得物の刀になるとそもそも入手が難しい。

 金を出して手に入るのはくず鉄として流通する二級品か、大陸で生産された模造品ばかりで、にも関わらずガルダはどこからか一級品の刀を次々と持ってきてくれる。

 おそらく、交易の中で探してくれているのだろうが、おかげでノラ自身の戦闘力は大きく嵩上げされている。

 それであっても地下十五階を超えて遭遇する魔物には苦戦するのだ。

 一人では。

 ノラは頭を振って飛礫を避ける。

 一瞬前まで頭のあった場所を通過した石ころは壁に当たると甲高い音を立てて弾けた。


「ふっふっふ……お見事です」


 小雨は嬉しそうに笑うとそのままノラの隣にちょこんと腰を下ろした。

 隙があれば殺してもいいかと問う小雨に、ノラは構わないと応えた。それが二人の間に取り交わされた唯一の約束だ。

 

「終わったなら行くか」


 ノラが言うと、小雨が首を振った。


「ズルいですよノラさんばっかり休んで、小雨には休ませない積もりですか?」


 そう言われてノラは浮かしかけた腰を再び落とす。

 最初から休憩がいる様な戦闘ではなかった。

 おそらく、小雨にしたって同じはずだと思いながら、ノラはそれを口にはしない。

 彼女が休みたいと言うのだから別段、異議を唱える必要もないのだ。

 

「あのヒゲの男は今の攻撃をかわせないんじゃないですかね」


 小雨は不満げに唇をとがらせた。

 ヒゲの男というのは教授騎士ブラントのことだ。

 ノラとブラントの手合わせを死にかけていて見ていない小雨は、結果を聞いて以来、折に触れて不満を述べていた。


「小雨が見る限りどうやってもノラさんの方が強いですよ。なにか不誠実で卑怯な手段でも使われたのでしょう」


 暗殺者が手段の誠実さを気にしてどうする。

 ノラはおかしくなって少しだけ唇を動かした。


「あ、笑いましたね。たまには応えてくださいよ。これじゃまるで小雨がノラさんと話したくて仕方がないみたいじゃないですか」


 ノラは思う。

 彼女の言うことはなにも間違っていない。

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