第146話 変態

 魔法での昏倒は効果時間が短い。

 短くて数十秒、最大でも数分で目を覚ましてしまう。

 脳内の思考が加速しながら結論をうまく出せない。

 この男には僕の顔を見られている。

 そして彼に、意図していないとはいえ危害を加えてしまったのだ。

 これはまずい。

 エランジェスの一味に報復という大義名分を与えてしまう。

 

 そんな原因を作ったコウモリはと言うと壁に張り付いてもぐもぐと指を食べていた。

 僕がそちらに向かって手を伸ばすと、指を咥えたままこちらに飛び来て、僕の肩に張り付いた。

 コウモリはそのまま両手を使い、指を口に押し込む。

 ゴキゴキという骨の砕ける音を立てながらコウモリはすべてを飲み込んでしまった。

 そして僕の方を見る。

 黒目しかない瞳がじっと僕の目を見つめる。

 このコウモリのせいで収拾が着かなくなりそうなのだけど、それでも僕を守ろうとしてくれたのだろう。

 コウモリを優しく撫でてあげると、気持ちよさそうに、誇らしそうに目を細める。

 

 さてどうするか。

 僕が回復魔法でも使えるのなら彼が眠っているうちに怪我を治して逃げ去ればよかった。そうすればこの男には白昼夢のように錯覚させることもできたかもしれない。

 でもウル師匠のような特例ならいざ知らず、僕のような魔法使いは原則として回復魔法は使えないようになっているのだ。

 次点でこの男を拘束して連れ去るのもいい。

 だけど僕の筋力では人間を担いで移動は出来ない上に、そもそも拘束するためのロープをモモックが邪魔だといってリュックから出してしまっていた。


 殺すか。


 一瞬、危険な思考が脳裏を掠め、僕は慌てて蹴り散らす。

 この男の口をつぐませると言う意味ではもっとも確実で簡単な方法だ。

 でもダメだ。

 ここは迷宮ではない。

 安易な行動がどうつながって自分の首を絞めるのかわからない。

 結局、この男が目を覚ましてから見逃してもらうように話しをしなければならない。

 誠心誠意の説得と、必要最低限の暴力。

 困難さに苦々しいため息が漏れる。

 これが迷宮なら悩むこともなかったのに。

 ……いや、僕はまだ人間だ。

 都市で起居するのだからそのルールを厭ってどうする。

 自分に言い聞かせながらコウモリをリュックの目立たないところに張り付かせる。

 

「もしかしたら走って逃げることになるかもしれないからモモックは一人で帰ってよ。他の人間に見つかったらダメだからね」


「まかしちょかんね」


 物陰からモモックの返答が聞こえた。

 彼が素直に帰ってくるのかは賭けだ。もしかするとそのまま逃げて二度と戻らないかも、なんて思いながら他に方法はない。

 まずは我が身を守る。後のことは後のことで考えればいい。

 男が呻く。

 目覚めが近いらしい。


『火炎球』


 突然、男の上半身が炎に包まれた。

 炎が消えると男は立ったまま息絶えていた。

 その体がゆっくりと崩れ落ち、ドスっと音を立てて地面を叩く。

 魔法。

 だけど僕のじゃない。

 あわてて周囲を見回しても細い路地には他に人はいない。

 鼓動が跳ね上がる。

 全身から脂汗が吹き出た。

 

「こっちだよー」


 僕の緊張なぞ知らんというようなあまりに脳天気な声が頭上から響いた。

 そちらを見ると、路地に面した建物の三階に位置する窓が開いて、声の主がこちらを見下ろしていた。

 暗がりにも関わらず金髪が光り輝いている。

 ステアから貰った子供向けの教義書に書いてあった天使の挿し絵に似ている、そんなことを場違いに思った。

 本そのものはすぐにメリアが破り捨てたのだけど、その絵は綺麗だったのでよく覚えている。

 その金髪の持ち主は整った顔をしていて、ほんの一瞬の間、僕は美女だと思った。

 だけど、窓から覗かせる上半身は裸で男だとわかる。

 

「ちょっと待ってなー」


 言うと男は体を引っ込めた。

 安普請か、男が階段を駆け下りる音が響く。

 やがて、大通りからざわめきが起こり彼が路地裏に顔を出した。

 全裸で。

 局部も隠していなければ靴さえ履いていない。

 ただ、そそり立った陽根がまっすぐと僕の顔を指していた。


「こいつ嫌いだったんだよねえ。小汚くてさあ」


 そう言うと金髪の男は死体を蹴り飛ばした。

 間延びしたしゃべり方と整った顔つきに騙されそうになるがこいつは危険だ。

 頭の中で最大級の警鐘が鳴り響く。


「普通ならこれで誰だかわかんなくなるんだけどお、こいつらは入れ墨とか入れていたりするから面倒なんだよねえ」


 面倒だと口では言いながらも喜々として呪文を詠唱する。


『火炎球』


 再び唱えた魔法が死体の下半身も焦がした。

 彼の言葉を信じるのならこれで身元不明死体ができあがった。

 満足げに焼死体を見下ろした男は努張した陰茎を僕に向けた。


「ああ、すっきりした。で、君は誰?」


「えと、僕は債権奴隷の冒険者です」


 慎重に答える。

 なぜ裸なのかを聞きたかったのだけど、あまり刺激を与えたくなかった。

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