第147話 チューリップ
陽根に指されるのがいたたまれなくて身をよじると、陽根も僕を追尾するように動く。
「ふうん、それで魔法が使えるんだねえ。それならこんなやつとっとと殺しちゃえばよかったのに」
事も無げに言ってのける。
虚勢ではなく本心としてこの手のセリフを吐くのには二種類の人間がいる。
罪を問われない、もしくは罰を受けない自信があるのか、それらを気にしないかだ。
最悪なのはその両方を満たした人間で、目の前の美男はおそらく最悪に分類される。
罪が露見することはないと確信しながらも、露見して構わないと考えていれば、鼻歌交じりに死体を作れるだろう。
一刻も早くこの男と別れて二度と会わないようにしたい。
「すみません。とにかく助かりました」
お礼を言って立ち去ろうとする僕の前に男が立ちふさがった。
「まあ待ちなよお。どうでもいいんだけど僕は二という数字が好きなんだ」
言って男は薄笑みを浮かべた。
「ところがここにある死体は一つ。もう一つあった方がしっくりこないかい?」
なるほど、彼の罪が露見しない事への確信はつまり僕の口止めが含まれていたのだ。
彼の体内で強力な魔力が蠢くのがわかる。
事実としてこの男は僕よりもずっと格上の魔法使いだ。
おそらく今まで出会った魔法使いの中でも実力はウル師匠に次ぐのではないか。
冷たい汗が背中を伝う。
戦闘は避けられない。
僕は震え出す手足を必死で抑える。なぜこんなに恐ろしいのか。
人間を殺すのは初めてではない。それこそ迷宮では百人以上を魔法で殺したはずだ。
それにこの男よりも強い敵とだって向き合ったことはある。深層の魔物よりは流石に下だろう。
ふと原因に思い至る。
こうして前衛を置かずに敵と対峙するのが初めてなのだ。
いつだって仲間の背中に隠れて敵と向き合ってきた僕は、今更ながら前衛組に尊敬の念を捧げた。
男の魔力が指向性を持って練られていく。
おそらく火炎球。
練習したこともない技術を十分な精度で使えるだろうか。
失敗すれば死ぬ。
腹の奥底まで息を落とし込み集中を高める。
『火炎球』
一号謹製の魔力探知器官が魔力を捕らえ解析する。
一号は言った。
魔力操作に長けた魔物は迷宮に漂う魔力をとっさに盾にするのだと。
だけどここは地上だ。条件が違う。
では魔力が存在しないのか。そんなことはない。
今まさに僕へと向かう魔力がある。
火炎球は着弾する瞬間まで魔力の塊ではないか。
目が、耳が、鼻が、舌が魔力を読みとる。
僕に着弾する瞬間、それをかき乱すことで火炎球は発動せずに拡散した。
「あれ……へえ、おもしろいことをするねえ。そんなの初めて見たよ」
男は素直に驚いていた。
「自分の外にある魔力をいじるって相当高度な技術なんじゃないかなあ。理屈では可能だろうけど、人間には実現不可能な類の技術だ」
そう言いながら顎に手をやり考え込む。
「考えられるとすれば極度に順応が進んだ連中か魔物。そんなに強そうでもないし、君ってひょっとして魔物?」
「……違いますけど」
「そういやそのコウモリも迷宮産かな。ずいぶんと変な事をするねえ」
微笑みながら男は両手を挙げた。
その動きに魔力は感じられない。
「よし、やめやめ。ちょっと待っててよ。おごってあげるから飲みに行こう」
そう言うと男は踵を返した。
「あ、言っておくけど逃げたら今度こそ殺すよ」
穏やかな語り口調で物騒な事をいう。
それが可能であることはかけらも疑っていないようだ。
男は言い残すと小走りで路地を出て行った。
表通りの方でざわめきが聞こえ、階段を駆け上がる音が聞こえる。
「アイヤン、あいつはオイが殺しちゃろうか?」
物陰からモモックがささやいた。
モモックの一撃なら先ほどの男も殺せるのではないだろうか。
しかし、もし外した場合はこの一角を灰に変えてでもモモックを殺すだろう。そうなると僕も巻き込まれる。
なにより、これ以上敵対しないと言うのだから今は信じていたかった。
この都市で人は殺したくない。
僕は首を振ってそれを制止した。
「あ、ごめんねえ。ちょっと待ってて。まだ途中だったんだ」
金髪の男が先ほどの窓から顔を出して手を振った。
なんの途中だったのかは続く嬌声で明らかになった。
ここが娼館立ち並ぶ花街の中であることをすっかり忘れていた。
*
「さて、行こうか」
ずいぶんと長い時間を待たされたあと、男は今度こそ服を着て現れた。
そして、ようやく気付いたのだけど僕はこの男に会ったことがある。
深緑のローブを着込み、フードは目深に、もはや鼻さえほとんど見えないほどに深く顔を隠している。
そして何より特徴的なのは背中に大きく刺しゅうされた二本のチューリップである。
それは、先ほど再会した戦士と同じく迷宮の階段を占拠した部隊の一員だった。
ということはエランジェスの用心棒なのではないか。
ではなぜ味方であるはずのゴロツキを殺したのか。
疑問と同時に答えも湧き上がる。
この男は暴力を振るうことに、いや人を殺すことにさえ理由を必要としないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます