第130話 お説教

 エランジェスの脅威を説いたシグは渋い顔を浮かべたまま、早々に帰っていった。

 取り残された僕たちの間に気まずい沈黙が横たわる。

 

「あの、申し訳ありません」


 やがて沈黙に耐えかねたようにネルハが頭を下げた。

 

「私のせいで旦那様にも奥様方にもご迷惑をかけます」


 それに対して、横に座るステアがネルハの肩をそっと抱いた。


「なにも謝ることなどないのですよ、ネルハさん。ただ不幸にも奴隷の身に堕ちたあなたがいる。それだけです。偉大なる主も奴隷制は不条理で打ち破るべき悪習だと説いています。あなたも『荒野の家教会』に入信して真理について学んでみませんか?」


 お得意の説教師然とした口調。どこから取り出したのか、教義の綴った本をネルハに握らせると、そのままうなずくように言葉を繋ぐ。


「それと、もう一度奥さまと呼んでください」


 瞬間、ステアの頭をルガムがはたいた。


「それどころじゃないだろ、バカ!」


 ステアは殴られた頭を押さえて机に突っ伏す。

 

「痛いじゃないですかルガムさん。私にとっては大事なことなんです!」


 頬を膨らませて抗議するステアはちらりと僕を見つめる。

 その目を見つめ返していいのかどうか判断ができなくて僕は目をそらした。

 

「ほら、そういうところもダメなんですよ。きちんと正面から私の愛を受け止めてください!」


「だからダメだって言ってんだろ!」


 そこでようやく気づいたのだけど、この二人も先ほどの話を聞いて緊張している。

 それを必死にごまかそうといつものような掛け合いを展開しているのだ。

 僕を愛してくれる人たちが僕に寄り添おうとしてくれている。

 僕もそれを守るために努力をするべきだ。

 にらみ合う二人をはらはらしながら見つめるネルハの手をとる。


「君を守るから僕を信じてくれないだろうか」

 

 彼女の目を見つめて伝えた決意を、ネルハは事態を飲み込めない様子で聞いていた。

 一瞬、ステアとルガムの掛け合いも止み、二人は形容しがたい目で僕を見つめる。

 

「あ……はい、お願いします」


 一瞬遅れてネルハが頷いた。

 ルガムの平手が僕のビンタを張ったのはその直後だった。



「あれはダメですよ」


 ルガムの家を蹴り飛ばされるように追い出された帰り道、ステアがおずおずと口を開いた。

 教会までの道すがらは人通りもまばらで、今は見渡す限り他に人影もなかった。


「ルガムさんはあなたを他の人にとられるのが絶対に嫌なんですから」


 女心が分かっていないと呟いてステアはため息を吐く。

 僕も彼女の横を歩きながらうつむいてしまう。

 ルガムに張られた頬が腫れ上がり、ズキズキと痛んだ。これについてはステアに回復魔法を頼んだものの、丁重に断られている。


「でも僕はネルハを口説いたわけじゃ……」


 あのときは単純に、僕の決意を述べただけだった。

 

「手を握る必要はないでしょう」


 ステアが冷たく言う。

 落ち着いて考えれば確かにそうなのだけど、その時は儚い彼女に対して、子供にするように向き合ってしまった。

 本当に、誓って言うがネルハに下心なんて欠片も抱いていない。

 

「うん、確かになかったね。僕も舞い上がっていたのかな」


 突然押し付けられた奴隷と、はじめて存在を知った都市の危険人物。

 平静でいたつもりが、いつのまにか動揺していたのだ。

 

「あなたが動揺するのは似合いませんよ。もっと落ち着いて構えてくれなきゃ」


 先程から不機嫌そうだったステアはようやく微笑むと僕の手をつかんだ。

 細い指、華奢な右手がするすると動いて僕の手に絡むように繋がる。

 僕は彼女の意図が掴めずに振り払うべきか悩んだ。

 いや、言い訳だ。

 振り払った方がいいに決まっている。

 それでもそうしなかったのは彼女の手があまりに愛らしくて離したくなかったからだ。


「ほらまたすぐに動揺する。落ち着いてくださいね」


 ステアがイタズラっぽい笑みを浮かべた。


「これは精神修養ですよ。しっかりと手を意識してください」


 そう言うと今度は肩をもたれかけてきた。

 彼女の甘い香りが鼻腔をくすぐり、心拍数を跳ね上げる。


「似合うも似合わないもないよ。僕は今もすごくドキドキしているのに……」


 自分の顔が赤くなっていく音が聞こえるようだった。

 きっとはたから見れば耳の先まで真っ赤だろう。

 

「え、そうですか?」


 ステアは僕の胸に耳を押し当てて音を聞く。

 その背中に手をまわして抱き締めてしまいたかった。

 しかし、ギリギリのところで理性が薄氷の勝利を納め、僕は彼女を引き剥がした。

 

「ねえ、お願いだからあんまり僕をいじめないでよ」


 それだけを喉の奥からひり出すのが精一杯だった。

 ステアは心の奥底まで見据えるような目で僕を見つめ、薄く笑った。

 そうして掴んでいた僕の手も離して僕の正面に立つ。 


「私はあなたもルガムさんも大好きで愛しています。だからお願いなんですけど、ルガムさんを大切にしてください。決して彼女を裏切らないように。もし裏切ったら温厚な私でも怒りますよ」


 そう言うと再び僕の横に立ち、手を繋いだ。


「だけど、相手が私の場合だけは怒りませんし、きっと神様も祝福してくれるでしょう」


 急に彼女が背伸びをした。

 僕は避けることはできたのだけど避けなかった。

 道の真ん中で僕たちは唇を重ねた。

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