人材投入



「らっしゃっせ~~、……らっしゃいっせ~~。……らっしゃ…むにゃ」



 エセ魔人化したとはいえ、単独での魔界踏破はジロには堪えた。小屋に足を踏み入れるやいなや耳にした寝言を聞いて、旅の疲れがジロに身にどっと襲いかかる。


 ジロは、あばら屋と形容する事すらおこがましい藁葺きの小屋の中で一人嘆息した。寝言のぬしは、ジロが本店へと帰っていく時には存在しなかった、薄闇の中七色に光り輝く不思議な敷物の上で、ブカブカの服を着たままなのに、器用にも腹を出して寝ている少女であった。


「一号店はダン、二号店はサラ。どっちが、よりマシな従業員なんだろうな……俺より強い分、こっちの方が性質たちが悪い?」


 ジロは重い荷物を下ろすと、むき出しの地面の上に腰を下ろした。



       ◆


 ジェリウス邸を出発してから日を置かずに帰宅し、ジロは店で腰を落ち着ける事もなく、すぐに下山行を指揮しているマールの元へと飛んだ。


  山中まで飛ぶと、アーグルの反応を頼りに一行を上空から捜す。

 すぐに反応を見つけ、近くに着地すると、時を置かず、アーグルがすぐに駆けつけた。

 ジロとアーグルの間には魔法反応以外の、何か特別なパスPathが通っている感覚が互いにあり、ジロはアーグルのいる方向を、遠方からでも感知できていた。


あいつアーグルの方はどうなんだろうな)


 ジロは息を切らせて駆けつけ、尻尾を千切れんばかりに振るアーグルを一撫ですると、アーグルに命令を下して下山行の一時中断を申しつけた。

 そしてマールを呼んでくるように命じるとアーグルは駆けだしていく。


 20分ほどして、アーグルは背にマールを乗せて戻ってきた。


「片道だいたい10分か……。俺が着地してすぐに来た所を見たら、アーグルの感知範囲は俺よりもだいぶ狭いんだな。……覚えておこう」


「申し訳ありません。聞き取れませんでした、ジロ様」


「単なる独り言だ。マール」


「左様でございましたか。アーグルより、ジロ様がお呼びとの事で参上いたしました」

「女達にこう説明しろ。一週間ほどここでキャンプだ。お前はその間、本店に戻す。スムーズに事が進んでも一週間で戻ってこれるかどうかは、微妙ではあるが、ひとまずはそう言い含めておけ」


「ハッ! 了解です。それでは経過を報告させて頂きます、ジロ様がお救いになった者達――」


「必要ない。人里に返す時に至るまで、女達に興味はない。アーグルの手の追えないような難敵が現れて、女達が全滅したっという訳でもあるまい?」


「はい、アーグルらは立派に勤めを果たしております。自身の気配を絶つすべも心得ているようで、女達の匂いに釣られて現れた魔物などはすべて鎧袖一触がいしゅういっしょくでした。女達に健康被害は一切ございません」


「ならいい」


 その言葉を聞き終えると、マールはジロの言葉を実行に移す為に、アーグルを頼らずに、自らの足で来た方向へと戻っていった。


 ジェリウス達との別れで気持ちがささくれ立っていたジロにとって、マールの端的な返事とその行動は、ジロにわずかばかりの安らぎをもたらした。


 二時間後、マールが再びジロの元へと戻る。ジロが魔界で習った魔法の修練中、ずっと足下でジロにじゃれついていたアーグルは、マールが来ても一顧いっこだにしない。


「アーグルはすっかりお前に慣れたみたいだな」


「はい。さすがはジロ様直々のしもべと、いつも感心し通しです」


 ジロはマールの元へと歩き出す。


「アーグル。では頼んだ。騒げば誰であろうと殺せ。……いや、ドスだけは、例え脱走を試みても決して殺すな」


「あっ!? ……ジロ……様?」


 ジロはマールを引き寄せ細腰を抱えた。


 そして《飛行フライ》を発動させ、本店へと戻る進路を取った。



       ◆


 ジロは黙考しながら飛んでいると、いつの間にかトロンへと着いた事に気づく。


 地面へ降りると、マールが凍えて震えている。


 ジロは無意識のままマールの頬に右手を添える。


 マールが目を丸くしてジロを見るに至り、ジロは自分の無意識の行動を怪訝に思った。ついでであったので、ジロは精霊に命じ、マールと自分の周りの空気の温度を上げさせる。


 ジロの凍えた体が急激な温度変化を感じ、わずかながらに心地よさを覚える。


 ジロはジッとマールを見ながら、右手添えたまま、指をマールの顔に這わせる。


 マールはすぐにウットリとして目を閉じるが、ジロにそんな気持ちは一切起きず、しばらく我ながら不思議に思いつつも、マールの端正な顔のすみずみに指を這わせ続けた。


 精霊の働きにより体がすっかり温まった頃、ジロはこの行動に無意味さを覚え、興を失い、本店に向けて歩き出した。



 本店は無人で、ダンはすでにいなかった。


 深夜の曇り空であるため、漆黒に包まれた本店は戸締まりすらしていなかった。


「……あいつめ、戸締まりもしていないなんて……」


 ジェリウス達の事を考えながら、ジロは自分の従業員の質の悪さに苦々しい思いを抱いた。


粛正しゅくせいいたしましょうか?」


「差し出がましいぞ。金輪際、店についての人員の取捨選択に口を挟んでくるな」


「お、お許しを!!」


「……言っておく。ダンを雇ったのは不本意そのものだが、本店ではどんな些細な刃傷沙汰騒ぎも起こすな」


「……ハッ! ですが、あの愚鈍そうな男の行動には目に余るものがあり――」


 ――これでマールの口を封じたっとばかりに思い込んでいたジロは、山とでは打ってかわり、ジロに意見するようになったマールを見て、キョトンとしてしまう。


(あれか……肉体関係をもつのはもっぱら、ここでだな。だからマールもここではちょっと打ち解けている……のか?)


 ジロはまじまじとマールを見つめると、マールは照れたように視線を逸らせた。この様子も山や支部などでは見られない行動であるとジロは気づく。


(マールめ……。鬱陶し……くは無いな。……あれ? なんでだろう? 多少の煩わしさは感じるが、他の人間達に感じるような、不快感は無いな)


 なぜ今は不快に思わない? っと自問するとすぐに答えが見え気がした。



(マールにとってもここが気安い、気の張る必要のない家だと思ってるのか?)


 その気持ちをジロは好ましいと思い、マールの気安さをジロは許した。



「……いい。あいつダンの事は、放っておく」


「しかし、ジロ様。あの者のジロ様に対する態度に私は納得が――」


「――それならお前が店員としての心構えを教育しろ」


「私が……ですか? えっ!? ほ、本当によろしいのでございましょうか!! な、ならば、私の仮の身分カバーストーリーはいかがなさいますか?」


「マール・ノルズのままで、いいだろう。組織所属シカリィクッターについては秘匿するが……その辺りの話は自分で考えておけ」


 なんの考えも無しに口走った言葉だったが、マールを表舞台に出すにはいい頃合いだとジロは感じた。魔人化により、やれる事が飛躍的に増えたが為に、人手不足が深刻化しつつあるからであった。


(店を留守にする事も、今以上に多くなるだろうし、留守番役がダンでは心許ないからな)


「……確認致します。私が私のままに、その……、表舞台に立ってもよいのでしょうか?」

「別にいいんじゃないか?」

 なぜマールがそれだけ確認するのかをジロは不思議に思った。

 

「そうなれば当然、あの……エリカ様やリスマー様とも接点を持つようになりますが……」


「あぁ……そういう事か。大丈夫だろう、お前の事は組織には徹底的に隠し通すが、いざという時にあの二人を守るように動ける人材として有用だ。アーグルでは影から補助する事は可能だが、二人は王都のど真ん中で生活しているからな。街にあれだけの巨躯の狼が存在するのは難しい。しかもアーグル自体がもはや魔獣化しちまったからな、あいつらの隣に立って、危機があればそれを助ける人材が必要だ。

「お前達はエリカやリーブと比べれば、ずいぶんと弱弱しいが、あいつらの補助としてならば、それなりに使えそうだ。

「それが俺の正体をある程度知っているお前達、シカリィクッターなら、現状最も好ましい。……アルフレッドでも良いが、奴にするには、逆に地位がありすぎて身動きが取りづらい事態も起こりうるだろうからな」


「……今ほど、組織内で出世が停滞期に入っていた自分を褒めたくなった事はありません」



 ジロはぞんざいに手を振って会話を終わらせると、旅支度をととのえ始めた。

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