遠くなったもの
土煙から飛び出て、カルラが居ると思える場所に目を走らせ、カルラから直接放たれる魔法に警戒しようとするが、今度は離れた空中から風とは異なる音を感知する。
(これは、《
黒剣に魔力を通し、瞬時に迫りくる見えない刃に剣を走らせる。
バガン! っと魔法と黒剣が衝突した瞬間、炸裂音と共に、強い衝撃が剣を通して手首に伝わる。
(ぐぅ! なんて威力だ、カルラさんが使うとここまで強力に!)
さらに超感覚でしか拾えないような、微かな予兆音が上下左右いたる場所から聞こえてくる。
(離れた場所からでもこれほどの連係なんて、ただの人に可能な事なのか!?)
他とは桁の違う実力を目の当たりにして、ジロの脳裏に嫌な予感が走る。
(カルラさんが姿を見せて戦い始めれば今よりも戦闘能力が跳ね上がる。これが師匠の言っていた愛情からの手加減なら、今の内に逃げないといけないのに……)
遠距離からの連続攻撃ですら、なんとか凌げているといった状況下、ジロに焦りが募ってくる。
魔界の魔法常識を持ち込んでの回避こそしていないながらも、ジロには、人間とは比べものにならないほどの、肉体強化+感覚強化という、絶対的な回避アドバンテージは得ていながら、逃げ出す事すら叶わない。
魔界でサラに復活させられる前のジロならば、とうに死体になっていてもおかしくはない猛攻である。
音源から推測し、常識外の数と威力の《
攻撃は地面からの土槍が多く、破壊したり自壊する土槍から水弾が飛んでくるが、待機中の、不可視な風刃への警戒は怠れない。
数多くの土槍を凌いだ為に、土埃が舞い、視界が悪くなりつつある。
(視界が悪く……? 風もないのになぜ?)
「!!」
よく見れば、土煙が渦巻いている。風刃がこれだけの数、待機状態にあれば、そこには風の精霊が多く集まる。
そしてジロを中心にして、風が砂塵を巻き上げる。
ジロが見ている内にも風の精霊が次々とその渦に加わるにつれ、土埃の中に、土槍で砕かれた石畳や、地中にあった石などが巻き込まれ始めるにつれ、カルラの術中にすっかり
(あの強力な風刃ですら、フェイク!? 間に合うか!?)
ジロは不得意ながらも修得はしている《高速詠唱》を始める。
風の勢いに乗り、鈍い刃とかした石や小枝、石つぶてがジロへと襲いかかる。
ジロは自分の身よりも荷を庇うように体を丸くする。
竜巻の中に入りこんだのかと錯覚するほどに激しくなった風は、呼吸すらままならないほどに強くなる。
(あとは生命維持の主要器官さえ守れれば! ……違う! 防御なんかでは負ける! それに……音が変だ! いくらなんでも風の音が大きすぎる!)
ジロは結界の高速詠唱を即時破棄。
視界の悪さを利用して、ジロはついに自らの禁を破り、裏の精霊による窮地の回避に取りかかる。
(やっぱりだ! 俺の周りの音が拾えない! 攻撃の効率と、俺を逃がさない為に極狭の結界が張ってある! ならすべき事は!)
ジロは《火球》の高速詠唱を開始し、即座に火球を自分の上空へと放つ。
レジストせず、防御は操った裏の精霊に任せる。ジロを焼こうとした火や火の精霊は裏の精霊にからめとられ、ジロに熱による被害は及ばない。
ジロの魔人化によって強化された火球は結界に当たり、弾け飛んだ。
石礫の竜巻は炎も巻き込むが、竜巻が熱を上空へと巻き上げる。
(今!!)
飛び交う精霊は、ほぼ全てがカルラの影響下にある。それを再操作するには膨大な魔力が必要となるが、裏の精霊は別だ。いくらカルラと言えど、無意識でそれらの精霊を操ることは難しいようで、フリーのままの裏の精霊は多数この場に存在していた。
場が殺伐とした修羅場になった為に『影』と『邪』という裏の精霊が数を増やしていた。
そして存在しないはずの影と邪の精霊にはカルラの魔力の影響力は極めて少なく、それを見取ったジロは、即座に魔力を
通常、結界を破壊すれば結界全体が即座に破壊される。だがジロは、他人の張った結界全体は維持させつつ、結界の一部だけに穴を開けた。
ジェリウスやカルラといった天才ですら不可能な芸当を、魔法の才は凡人そのものだが、魔界の魔法常識を得たジロは不可能を可能とした。
結界内の気圧が変化し、竜巻は整合性を失い、穴から風が漏れていく。
竜巻はさらに乱れ、術者からの直接操作ではないため、いくらカルラと言えど、魔法の崩壊を遠隔操作で防ぐことはできなくなり、致命的にまで効力を失った。
さらに視界の悪化を利用して、ジロは残りの影と邪の精霊をブーストとし、カルラの魔力の呪縛から解けたこの場に掃いて捨てるほどいる土の精霊に魔力を通して、《石弾》を発動して、豪雨のごとく立て続けに結界にぶつける。
カルラからの観測では少し違和感はあったであろうが、ジロが単に力業で結界破りをした。とだけ認識させるためであった。
狭い檻として機能していたカルラの結界は、粉々に砕け散った。
元々
結界は人界では、その強度故に、攻守ともに万能の魔法であるが、魔法を場に固定している分、精霊や魔力の流動性が皆無の為、魔界の魔法常識下においては破壊が容易い。
その事は帰国後すぐに分かった事であったが、カルラレベルの結界に対しても、そのジロだけが知る新常識の範囲内にあるという事が分かっただけでも、ジロの戦闘能力に飛躍的な価値が出る。
『よくやったわね』
カルラのの本気を凌いだジロに、そんな声が、カルラとの仲が良好だった幽界の生活時に聞いたような、明るい声音が聞こえた気がした。
視界が晴れ――
ジロは絶望した。
そしてジロは自分の弱さを罵った後、苦笑し、死を受け入れる覚悟を瞬時に決めた。
晴れた視界の先に、ジロを執拗に攻撃していた、カルラその人が目の前に立っていた。
ジロは魔界の魔法常識行使を、たったそれだけで封じられる。
ジロにとって意外だったのは、カルラは普段着のままで、魔法効果を上昇させる装備は一切身に纏っていなかった。スタッフはおろか、ワンドすらも持っていない。
二人の周囲には、動きを止めた火の精霊達が《熱線》となるべくして多数配置され、一秒、時が進むにつれ、地面の中では土槍の発動準備が整えられていく鳴動音をジロの耳は捕らえる。
草の根はついに足を止めたジロの足首を捕らえ、ジロの足首からさらに上へ上へと目指しながら、硬質化していく。
少し前にボロ宿で見た、酔って横たわるエリカの顔が浮かび、そして幽界でジロと共に暮らした七人と一人の顔が浮かぶ。
魔界の魔法常識をカルラに晒して反撃する以外に、生き残る道は無くなった。
(なら、もう……いいな。サラが俺の生を少し延長してくれた、そう考えよう。……その延長期間が終わった。ただそれだけの事だったんだ)
カルラがジロを見ている。だが、ジロを追いつめたカルラからジロに向けての言葉は無い。
「恨んでない。当然の結末だと。復讐の連鎖は、ジロ・ガルニエが望んでいない。……この言葉は俺の遺言として、カルラさんの想いの如何に関わらず、必ず、絶対に二人に伝えて」
「……。約束する。必ず……、伝えるわ」
嘘だな、っとジロはカルラの嘘を看破して、少し困るが、それ以上ジロにははどうする事もできない。
(師匠、後は頼んだ。体はしんどいだろうけど、三人に殺し合いなんてさせないでくれ。……頼む)
ジロは目を閉じた。
唇や指先を激しく振るわせながら魔法を発動させるカルラを見たくはなかったからであった。
(自分の中でのカルラの魔法行使する姿は、常に凜と気高く美しくあるべきだ)
っとジロは心中安らかに、そう願った。
ジロは殺される数秒前にもかかわらず、自己防衛から、カルラを攻撃する意志や殺意が一切湧いて出てこない今の自分に満足し、心底ホッとした。
「……時間切れ」
変わった死の宣告だなっと他人事のように思いながら、
その時を待ったが――
――いつまで経っても痛みはこない。
目を開けると、空中に火の精霊は全て動きを回復させ、ジロの足全体を締め付けつつあった、草の根は硬度を失っていく。
カルラは美しい顔を横に向け、坂の町の方面の道を見ている。
木の葉の壁が突如崩れ落ち、石畳に木の葉の山が築かれる。
森の小道の曲がり角から、ジェリウスが現れた。
服装は別れた時のままだったが、ただ、その腰にはあの聖剣があった。
かつてはジロの大切なものを全て守りきり、今は大事なものを奪おうとしている聖剣だった。
「ジェイ……、それは、その剣は、使わない約束でしょ?」
「悪ぃ、わりぃ。ちょっと飛びたくなっちまってな。やっぱ、今は疲れんなぁ……。さ、帰えんぞ」
「ジェイ……一人で帰って。……お願いだから」
「けえんよ。お前とな。修行は、ここまでだな」
「……ジェイ、これは……、修行なんかじゃない」
カルラの声音は硬い。
「修行だ。知ってっか? 愛しのお前は、ジロにとっての超優秀で美しい師で、ジロは、お前にとって弟子の中でも一番愛おしく、そんでいて最も不出来な弟子なんだぜ」
カルラの目から一筋の涙が流れ落ち、
ジロは二人を尻目に、自分の身支度を整える。
といっても服はボロボロで、以前来訪した時に見た、ゾゾの乞食達よりも酷い格好だった。エリカへの預かり物が入った荷だけは身を
「……助かった。ありがとう」
「……間違えんな。俺様が助けたのは、愛しくて愛しくて堪らねえ、こいつだ」
ジロはジェリウスの言葉を聞いて、返答に窮した。
「行け」
ジロは二人に向かい無言のまま頭を深々と下げ、踵を返して坂の町へと向かう。
「『カルラの修行』を生き抜いてみせろ。……ダメ弟子、それじゃダメだ。……もっと、もっと強くなれ」
ジェリウスの魔力がほとばしり、ジロと二人の間に、結界が敷かれた。
今の状態でジェリウスが魔法を行使するのは寿命を自ら縮めている事に他ならない。
(俺が弱いから!!)
ジロが強く握りしめた両拳から血が滴り落ちる。
しばらく歩くとジロは、二人に背を向けたまま、
「絶対に、師匠を助ける手段を見つけてみせます。そしたらカルラさん、その時は、その時は。……笑って……」
その後に続く言葉をジロは飲み込んだ。
結界があるのにもかかわらず、ジロの背に、カルラが声を上げて泣き出した……、気配がした気がした。
それでもジロは振り返る事ができない。
昔ジェリウスはカルラに男の涙を軽々しく見るなと諫めたが、ジロも、愛する二人の、今の姿を見てはいけない、ただそう思ったからであった。
「泣かせるな。不肖のバカ弟子」
ジロの鋭敏な耳が、結界内のジェリウスの声を拾った気がした。
そしてジロの目から、悲しいとは一切感じていないのに、カルラと同じように一筋だけ涙が流れ落ちたが、ジロの鈍磨しきった心は、その肉体反応に、最後まで気づけなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます