その背に誓う

佐伯瑠璃(ユーリ)

第1話

 俺の名前は市村鉄之助、十五歳だ。友達は俺のとこをてつと呼ぶ。物心ついた時からこの名前が嫌だった。


「お父さんは役者さんか何か?」 違う! 普通のサラリーマンだ!


   **********



 時は慶応三年、俺は京の新選組という集団に拾われた。貧乏な田舎町で生まれた俺はいつも腹を空かせていた。父親は生まれてすぐに死んだらしい。母親は俺が七つの時に病気で死んだそうで、麻疹という病気だったらしい。兄がいたと思うが、何処かの誰かが連れて行ってしまった。

 俺はたった一人で生きてきたんだ。

 子供にくれる仕事は無い、誰かの食い残しを漁ったり、夜を待って盗みをしながら生きてきた。そして、十四になった頃に役人にしょっ引かれた。


「死に損ないの餓鬼が、まだ此処にいやがった」

「煩え、離せ!」

「暴れるんじゃあねえよ、殺すぞ!」

「ああ殺せよ!さっさと刀を抜きやがれ、このくそ侍っ!」


 いつ死んでもいい、どうせろくな生活はできやしない。俺は世間に俺自身に逆らいまくっていた。もうこんな惨めな生き方はしたくなかったんだ。いっその事、ひと思いに首をはねて楽にして欲しかった。


「餓鬼一人くらい減っても構わないだろう。斬れ!」


 くそ侍は鞘から刀をスッと抜くと、俺の喉に突きつけた。「死ねっ」俺は喉を突き出したまま目を瞑った。その時だった、頭の上から低く腹に響く声がしたのは。


「京の治安を乱すものは容赦なく成敗する」

「しっ、新選組だ! 逃げろっ」


 俺は粋がった侍から、捨て逃げされた。泣く子も黙る新選組、最強の人斬り集団と呼ばれた男たちだ。


「お前は逃げねえのか」


 顔を向けるとそこには、背の高いガタイのいい男が立っていた。だんだらの羽織を身に纏い額には鉢巻が巻かれてあった。仁王立ちで俺を睨んでいる。まるで鬼のようだ!


「逃げねえ。どうせ俺は死ぬんだ。無駄な体力は使いたくない」


 新選組から普通の餓鬼が逃げられるわけがない。最後くらいはとことん粋がって見たかった。目の前の鬼のような男を俺は力いっぱい睨み返してやったんだ。


「そんなに死にてえなら俺の所に来い」


 こうして俺は新選組の屯所の門をくぐることになった。

 俺を拾ったのは副長の土方歳三という男だった。鬼の土方と言えばこの男のことを指すらしい。俺は人間なのに鬼と呼ばれいるとんでもない男に拾われたもんだ。


「おい、茶を淹れてこい」

「は?」


「墨を磨れ」

「なんで!」


「肩を揉め」

「ちっ……!」


 気がつくと俺は土方歳三の下僕しもべになっていた! 俺はぼろ雑巾のように使われて捨てられると思っていたのに。なのに、飯も寝る所も新しい着物も与えられた。幹部と呼ばれる連中は俺のことを鉄之助と名で呼び、時に労いの言葉までくれた。


「土方さんの世話は大変だろうが、がんばれよ」

「歳三さんは人使いが荒いからね、同情するよ」


 此処は泣く子も黙る人斬り集団じゃないのかっ!!


 土方はいつも眉間に皺を寄せ文机に座っていた。俺はこの人に上手く仕込まれたもんだ。頃合いを見ては茶を運び、墨を磨る、肩を揉む、馬鹿のひとつ覚え見たいに繰り返していた。


「鉄之助、お前随分上手くなったじゃねえか」


 土方はそう言って、ほんの少し口角を上げてみせた。これは笑ったのか? 俺に笑いかけてくれたのか? 俺は今まで一度も、誰からも褒められたことが無かった。憎まれ口なら浴びるほど言われた俺が、褒められた……。


 俺の中でよく分からない感情がどくどくと込み上げて来くる。


「馬鹿か、男がそれくらいで泣くんじゃねえ」


 頭をガシガシと乱暴に撫でられた。その手は大きくてゴツゴツしていて、それでいて温かかった。どうも俺は泣いているらしい。目から熱い水が流れている。これが涙ってやつか。


「うぅ、うっ」

「お前はちゃんとした人間だ、獣じゃねえ」

「うわぁぁ」


 泣いた、狂ったように俺は泣いた。母親が死んだ時も、兄が居なくなった時も泣かなったのに。俺は世間では恐れられている新選組の鬼の前で泣いている。俺は今でも、いつ死んでもいいと今でも思っている、だったら! 俺は土方歳三と言う男を死ぬまで支えてみせるんだ。俺は新選組副長土方歳三に忠誠を誓う!




 世の流れは無情にも新しい組織へと傾き始めた。大政奉還で事実上、徳川幕府は倒れ、鳥羽伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争へと移った。


「てめえら、怯むな! 敵はすぐそこだ! 俺に続けぇ!」


 副長自らが先頭に立ち、敵に向かって突っ込む。薩摩軍の放つ鉄砲の弾が雨のように注ぐ中、その弾は土方歳三を避けているように見えた。一発もあたりはしない。その背中からはまさに虎でも飛び出してきそうな勢いだった。


「副長が来たぞ!」


 その姿を見ただけで隊士達の士気が上がってゆく。俺はこの背中が大好きだった。


「もう刀の時代も、武士の時代は終わったな」


 先を見越す目は誰よりも持っていたと思う。土方はあっさりと髷を切り、洋式の軍服を身につけた。その姿は男の俺が見ても惚れ惚れするほど似合っていた。


「近藤さんの新選組は俺が引き継ぐ!」


 土方は局長の死後も生き残った隊士を引き連れ北上した。軍人に成るために生まれたのではないかと思うほどに輝いていた。土方歳三の軍は勝ち続けた 誰かがいくさの神と呼んでいた。それでも流れは止められず時代は明治へと変わった。


「お前は此処に残れ」

「嫌です! 俺は土方さんと共に行きます! 生きるも死ぬも土方さんと一緒に!」


 俺は必死に食い下がった。此処で離れたらもう二度と会えなくなるだろ!


「仕方のない奴だ」


 土方はため息交じりにそう言って、俺の蝦夷行きを許してくれた。


 もうどんなに足掻いても旧幕府軍は勝てない。恐らく土方は分かっていた筈だ。そんなある日突然、俺は昇格した。


「市村鉄之助、貴殿を副長助勤に任命する」

「え!」

「え、じゃねえだろ」

「は、はいっ!」

「それでいい」


 そして、俺は土方さんが写った写真と何通かの文を渡された。


「これを持って、江戸に行ってくれ」

「え? どうしてですか! 俺は此処から離れませんよ」

「俺は此処で新選組を終わらせる。死んだ奴らの想いと共にな、お前はそいつらの生き様を家族に知らせてやってくれ。俺たちは罪人じゃねえ。最後まで武士としてこの国の為に戦い散ったのだと」

「でも!」

「お前が伝えなきゃ、あいつらはの死は無駄になる」

「けどっ!」


 土方は俺の頭にそっと手を乗せる。


「いろいろ教えてやりたい事はたくさんあったんだがな、すまん」

「ううっ」


 土方は今までになく優しい顔をしていた。こんなに人想いで優しい男は居ないだろうに。この人の意志を俺は継がなければならないんだ。


「市村鉄之助、承知、した!」

「頼んだ」


 これが俺と土方歳三の最後の会話となる。俺が江戸についた時は既に土方は銃弾に撃たれて死んでいたようだ。

 俺はまた泣いた。随分と泣き虫になったもんだ。


 *********


「鉄っ! 起きなさい。あんたいつまで寝てるの!」

「煩え」


 また夢を見た。頬には涙の跡があった。この春、俺は高校へ進学する。今日は入学式だ。夢の原因は母親にあると思う。流行りの歴女もとい歴熟女だからだ。あいつのせいで俺はこんな夢を見るんだ。俺の部屋はアイドルのポスターなんてなく、誠の旗や浅葱色の羽織が飾られてある。小さい頃から母親に刷り込まれてきた。


(あんたの前世は土方さんの小姓だったのよ〜)


 たまたま姓が市村ってだけでたぞ?


「やっべー、初日から遅刻はまずいよな」


 朝食も取らずに追い出されるように家を出た。野郎しか居ない男子校だからやる気も出ない。


 入学式も終わり、俺たちは各教室へ移った。俺は名前からして必然的に席が前になる。そうこうしていると担任の登場だ。

 でけえ、見上げるほどうちの担任の背は高かった。黒板に向かってお決まりの自己紹介ってやつを始める。


 ん? 土方義豊 


「ひじかた、よしとよぉぉ!?」


 思わず叫んでしまったぞ。まずい、教室中がしーんと静まり返るのがヒシヒシと伝わる。俺はゆっくりと振り向くその男の顔を見て固まった。


「市村鉄之助と言ったか?」

「は、はい」

「いろいろと一から教えてやる、覚悟しておけ」


 あの、あの土方歳三だったんだ!義豊とは土方歳三のいみなで、いわゆる本名というやつだ。それを知っている人は余程のマニアか俺ぐらいだろう。

 最後に教室を出るときに担任の土方からこう言われた。


「茶の淹れ方は、覚えているんだろうな」


 まさかの言葉に俺はまた、泣いた。


「馬鹿か、男がそれくらいで泣くんじゃねえ」


 今度こそ俺はその背中を見失わない。俺は再びその背に誓った。土方歳三改め、土方義豊の背に誓う。


 もう、あなたの背中は見失わない!

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