口述筆記
先日、某病院のサーバ室で一人寂しくデータの加工をしていたら、他システムのメンバーが二人やってきた。どうやら何かのトラブル対応で来たらしい。ふーん、そっすか。大変ですね。と労いの言葉をかけたら持っていたファイルで叩かれた。
「で、解決したんですか」
「したけど、報告書書かなきゃいけないから一回戻ってきたの。ペン出して」
はいはい、と自分の愛用のペンを相手に渡そうとしたら、報告書用の紙を押し付けられた。
「書いて」
「いや、対応したの私じゃないですよ」
「書く内容は言うから」
思わず壁に掛かっているカレンダーを見る。令和も始まって早半年。来年は東京五輪が控えているこのご時世に、ドローンが飛んでIoTの進化目覚ましいこの時代に、口述筆記しろと言うのか。此処は何処だ。江戸か。滝澤馬琴か。
色々ツッコミたい私の心中などお構いなしに、相手は隣の席に座る。一緒に来ていたもう一人は、まさかの展開に笑いを堪えているようだった。堪えている理由はわかりきっている。口述筆記のとばっちりを受けたくないのだろう。
「えーっと、まず此処に契約先ね。こっちがご担当者様」
仕方なく相手の指示に従って、報告書に必須事項を書き込んでいく。
下敷きにしているのは、誰も使っていないノートパソコン。もう五年以上ここにあるので、蓋が緩んでいて書きにくい。
「じゃあ次ね。障害状況」
「しょーがいじょうきょう。……状況のキョウってサンズイでしたっけ」
前にも書いたが、パソコンばかり使っていると漢字がわからなくなる。簡単な字になればなるほど、その傾向が強い。「薔薇」「鬱」とかは逆に忘れないと思う。あと主に封神〇義で出て来た漢字。
ガリガリと報告書を書き進めるが、段々と億劫になってきた。口述筆記は自分の意思が入らないので、相応な集中力がないと続かない。私は小さい頃から注意力散漫なことに定評がある。
「各端末の接続状態を確認後、AならびにC室で応答がないことを確認」
「AとCで応答がないことを確認」
「勝手に縮めない」
怒られた。少しならバレないと思ったのだが、存外相手も厳しいようだ。
しかし普通に書くのも飽きてくる。昔から自分の興味のあることにだけ数日分の集中力を注ぎ込むタイプだった。読書だったらチャイムがなったことも気付かない程に没頭して先生に叱られ、折り紙だったら朝から晩まで延々と同じものを折って親に呆れられ、車に乗れば窓の外を見つめて数時間は虚無になって同乗者に心配された。
しかしその他のこととなると、飽きっぽくて適当で全く集中力が継続しない。集中力と言うのは真面目さと密接な関わり合いがある。要するに私は真面目ではない。
「聞いてる?」
「はい、ネットワークの状態のチェックも実施したんですよね」
「そう、一本だけ100MBのネットワークがあって……」
かといって不真面目というわけでもない。ちゃんと毎日仕事もしているし、サボったこともない。日報も週報もちゃんと書くし、提出期限だって守る。何故なら私は不真面目ではあっても、不適合者ではないからだ。不真面目な性根に忠実に生きたらどうなるかを理解しているが故の行動とも言える。
「そこまで細かく書きますか?」
「あまり簡単に済ませると仕事してないみたいじゃない」
「そりゃそうですね」
飽きて来た。どうしようもなく飽きて来た。
頭の中ではさっきから懐メロが流れていて、それをBGMにアルパカが阿波踊りをしている。そんなカオスな脳内の片隅だけが、辛うじて正常に動いている状態だった。もし口述筆記の良いバイトがあったとしても絶対に選ばない。というかこういう性格だと「規則正しく言われたことを守ることを前提とした仕事」は向かない。
もっと集中力が続く真面目な性格だったら良かった。あるいはせめて人から言われたことを素直に聞くような性格であれば、ここまで陰鬱に口述筆記なんかしていないだろう。神よ恨みます。いや、神だって困るだろう。生まれ持った性質はとにかくとして、現在進行形で集中力が途切れているのは個人の匙加減だと思う。そもそも「神には感謝しているよHAHAHA」なんていう人は冷たい地下室で口述筆記とかしない。とりあえずスターバックスでカプチーノにモカシロップ入れたやつ(モカチーノ)飲みたい。シナモンパウダーをかけて飲みたい。
「飽きたのはわかるけど、もう少し頑張って」
「自分で書けばいいじゃないですか」
口ではブツブツと文句を言いながらボールペンを握りなおすのは、相手がこの後でモカチーノを飲ませてくれると信じているからである。押しに弱いのか優しいのかは定かではないが、いつもなんだかんだで珈琲を奢ってくれるので、多少のお願いは聞いてあげることにしている。
飽き性だろうとなんだろうと、奢りの前に性格なんてものは無力である。
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