やる気はなくても終わらせる
会社の事務の女の子がいい人過ぎて、世俗に塗れた自分の薄汚さが浄化される勢いである。近頃は写真に凝っているのか、会社のイベントではデジカメを持って色々撮っている。ぼんやりしていたら写真を撮られたので、慌てて消してもらおうと思ったら、写真をチェックして「わぁ、可愛い。天使かな?」と言われたので、その場で撃沈した。天使は君だよ、と思いながら煙草のフィルターを噛みしめた。煙草を吸う天使はいねぇよ、とかそんなことは言ってはいけない。
そんな天使な子が出張前に私に声を掛けて来た。出張先にいる同僚Nさんに、あるものを届けてほしいということだった。私は知らなかったのだが、どうやら同じ日数だけ同じ病院で作業をしているらしい。
らしい、というのは互いの担当システムが掠りもしないせいである。例えるなら、同じスーパーで働いていても、片や鮮魚コーナーで片や本屋ぐらい違う。だから出張日程が被っていても気付かない。
いいよー、と安請負して一週間の出張に旅立った。行先は群馬の山奥。交通の便が不便な場所である。バスとタクシーを駆使して現場に着くと、作業部屋にはインフラ担当が一人いるだけだった。
「Nさんって来てますか?」
「来てるよ。今、食事に行ってるからもう少しで戻ると思うけど」
じゃあ待ってるかな、とノートパソコンを起動したところで、サブマネが入ってきた。
「あれ、淡島さん着いたの? 喫煙所行く?」
「行きます」
思えばこれが間違いだった。
私が煙草を吸っている間に、Nさんは食事から戻ってきてしまい、そのまま別の作業場へ移動してしまった。互いに持っているセキュリティーカードが違うので、訪ねに行くことも出来ない。
夜に食事に行くだろうから、そのタイミングで渡せばいいか、と思っていたのだが、その日は私の担当しているサーバがダウンして食事どころではなかった。
恐るべきことに、それが状況を変えながら三日間も続いた。互いにいるのはわかっているし、荷物も見ている。存在するのは間違いないのだが、全く会えない。他の人は見ているのに、その人だけ会えない。こうなると神様も意地になっているのではないだろうか、と勘繰るほどである。一度など、確かに扉の向こうを通り過ぎたのに気付きながらも、トラブル対応中で身動きが取れなかった。
電話番号でも知っていれば連絡してしまうのだが、生憎と仕事が被ることが少ないので番号を把握していない。あとそもそも、互いに電波のあるところで仕事をしていない。
昨今のドラマだって、こんなにすれ違ったりしないだろう。この場合、お互いにそこまでやる気がないので会えないとも言う。私は私で「まぁ、会えたら渡せばいいや」と思っているし、そもそも相手は私が探していることすら知らない。
やる気のないすれ違いはそのままだらだらと続いた。
ついに出張最終日。もはや最初の目的は忘れてしまって、私の胸の中には「やっと帰れる」という気持ちしかない。気持ちも軽やかに他の担当者とデータ整理の作業をしていたら、後ろから声が聞こえた。
「すみません、俺達は先に引き上げます」
「はーい、お疲れ様です。Nさん」
マウスを動かしながらそう言った二秒後、慌てて立ち上がった。
待って、Nさん待って。私は貴方に用事がある。ちょっと忘れかけてたけど、天使からのギフトがある。
廊下に出て、Nさんを呼び止める。Nさんは私を見て首を傾げた。
「淡島さん、いたんだ」
いたし、すっごい探した。普段だったら探さないけど、今回はちょっと多めに探した。
「会社から預かったものがあるんですけど」
「でももう出ないと」
いいから待ってろ。これ逃すと、多分次に会うのは来年度だ。急いで荷物が置いてある場所へ向かい、預かっていた物を取って引き返した。待っていてくれたNさんに勢いよくそれを渡すと、数秒の沈黙の後に思い切り不思議そうな声が投げかけられた。
「何これ?」
「十円。飲み会の時に貸したんですよね?」
「全然覚えてないし、どうでもいいよ」
「私も内心そう思ってたんですけどね」
十円とてお金はお金。預かった以上はネコババするわけにもいかないので、無事に渡せて安堵する。しかし次は止めておこうと思った、初秋の午後。
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