文章の書き方

『蒼穹を仰ぐ夏』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885463586


 そういえば去年書いたなぁ、と読みなおしてみたら、あまり自分らしくない文体だった。歴史物を書こうとするとこうなる。その点、エッセイは多少書き方が変でも「こういう気分だったんだろうね」で片付くから気が楽だ。


 今を遡ることXX年前。高校進学時に「自己推薦文」というものを書かされた。自分がどれだけ頑張ったかを書くものである。何を書いたかすっかり忘れたが、確かそれを提出した高校は合格した。行ってないけど。

 数年後、妹が受験生になった。ある時、自己推薦文の資料を持って帰った妹は複雑な表情で言った。


「お姉ちゃんのがお手本として出された……」


 お前も複雑だろうが、許可を貰ってない私はもっと複雑だ。

 何でそんなことになったのかわからないが、せめて許可は取ってくれ。あと名前も隠してくれ。そんなことを思ったのを覚えている。


 月日は流れて、社会人X年目。

 若手を相手に色々と指導をしていたら、日報の書き方について尋ねられた。日報なんて新人の頃しか書いてないから、よく覚えてない。というかそういうのはもっと年の近い人間に聞けばいいんじゃないのか?

 そう言ったら、新人は首を傾げながら言った。


「え、でも日報の書き方の例に、淡島さんの新人時代のメールが使われてますよ」


 課長。ちょっと話をしましょう。

 そりゃ会社に提出しているから会社の物かもしれませんが、メールなんですから許可は取りましょう。コンプライアンスとかに違反するんじゃないですか。知らないけど。

 「良い例として使ってるからいいじゃん」と言われたけど、そういう問題ではない。


 過日、自分とは全く関係のない部署で書いた覚えもない資料が「雛形」として出回っているのを聞いた。その部署では「この仕様を作るなら、これを元にして」と当然のように使われているらしい。だから、許可。許可か美味しいものをくれ。


 色々書いたが、別に自慢しているわけではない。逆である。

 以下、切実たる叫び。


 なんで! 一生懸命書いたのは評価されないのに!

 適当に書いて! 忘れ去ったものだけが! 評価されるんだ!


 多分力の入れどころを間違えているか、適材適所が自分でわかっていないんだろうな、と思う。悲しいことだが、筆を折らない精神だけは評価して欲しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る