深夜の検査室

 病院と聞くと、何を思い浮かべるか。

 言わずもがな、怪談である。病院が出てこないホラー特集というのは稀であるし、「これは私が入院していた時の話です」という出だしだけで、ちょっと期待してしまう。


 仕事で深夜まで作業をしていると、当然のことながら外来の診察時間は終わり、診察室も検査室も暗くなる。勿論入院患者や緊急外来があるので一部は明かりがついているが、それが余計に他の場所の暗さを引き立てる。

 まだ若手だった時に、メール機能のテストをするから手伝うように言われた。日頃気軽に使っているメールも、システムに追加するとなると結構大変なのである。

 準備段階から立ち会っていたのだが、色々割り込み作業やらが相次いだため、実際にテストを開始したのは夜の十時を超えてからだった。


「じゃあ、各自指定の端末の場所まで行って、端末を再起動。メールツールを起動したら連絡すること」


 マネージャーはそう言うと、院内の地図を取り出した。


「んーっと、とりあえず淡島は婦人科ね」

「はーい」


 女性優先対応スポットなので仕方がない。別に深夜だからどうでもいいのでは? という気もするが、病院から「男子禁制」と言われているからには、守るしかないのである。


 婦人科のあたりはすでに明かりが落ちて、真っ暗になっていた。携帯で照らし出して見つけた検査室横の端末を起動すると、暗闇の中に煌々とモニタが輝いた。

 メールツールの起動をし、それを電話でマネージャーに伝える。


「じゃあ全員の起動が終わったらテスト送信するから待機してて」

「了解っす」


 暇だなぁ、と思いながら携帯など見つつ時間が過ぎるのを待っていると、突然モニタが明滅した。チリチリとしたノイズが画面に走り、起動したばかりのメールツールが歪む。ケーブルが外れたのか、と携帯の明かりでモニタの背面を照らそうとした時、別の場所に行った人から着信があった。


「すみません、XXのエラーに引っかかっちゃって。これってどうするんでしたっけ」

「あー、それはですね」


 説明しながらチラリと横目で見ると、モニタの表示は正常に戻っていた。

 全く、驚かせないで欲しい。と安堵と苛立ちの間に立ちながら、電話を続ける。相手は暫く端末と格闘していたようだが、やがて「動きました」と嬉しそうな声を出した。


「えーっと、これで設定変更するんですよね」

「XXディレクトリ開いてもらえます? そこにファイルがいくつかあって……」


 明かりでもつけようかな、と壁側に視線を向ける。天井の非常灯でぼんやりと緑色に照らされたそこは、壁ではなくて通路だった。通路の奥には観音開きのガラス扉があり、更にその先には自動ドアがある。何度か使ったことのある場所も、暗がりで見ると少し不気味だ。まぁそれとて深夜の手術室ほどではないが。


 その時、ガラス扉の向こうで自動ドアが開いた。

 既に自動ドアの電源は落としてある。そもそも誰もいないのに開くわけがない。

 驚いている私の目の前で、またドアはゆっくりと閉じる。その挙動はとても遅いように見えて、誰かが手で操作しているようだった。


「どうしましたか?」


 耳に響いた声に私は我に返る。今起きたことを電話の向こうの人に話そうとして、しかしその時に気付いてしまった。

 声は、携帯電話を当てていない左側から聞こえていた。

 

 急いで壁側に走り、そこにある照明の操作ボタンを叩く。白い光で部屋が包まれて、先ほどまでの暗くて不気味な空気が消え失せた。やはりエジソンは偉大である。ついでに竹。ついでに猫。


「あー、やっと動いた」


 電話の向こうで暢気な声が聞こえる。

 そうですか。私は危うく心臓が止まるところでしたよ。


 しかし社畜モード全開の時なら、多分逆ギレしてるか悠長に会話をするんだろうなと思う。疲れは人の感覚を鈍くする。心がカサカサなので恐怖も喜びも等しく色あせる。

 妙な体験をして恐怖を覚えることは、即ち我々の精神が正常であることの証明だ。そう信じたい。

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